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2007年11月

2007/11/30

■守屋事件をどう問題設定するか

額賀大臣がどこかの宴席に出たかどうかが話題になっていますが、
どうして日本のマスコミは問題の立て方がこうも断片的で表層的なのでしょうか。
肝心の問題を見えなくしてしまうだけです。
マスコミの役割は事実を明らかにし伝えることでしょうが、
問題設定の仕方を間違ってしまうと事実は全く違った見え方をしてしまうことはいうまでもありません。
正しい解は正しい問の設定によって可能になります。
問題を解決するということは、実は問題を設定するということなのです。
そうした認識は日本では希薄です。
日本の教育は「問題を解くこと」に専念させられているからです。
昨今の教育再生議論にも、そうした視点は少ないように思います。

マスコミが世論を作り出すのは、そう難しいことではありません。
見出し一つで読者の印象を左右することができるからです。
世論の評価も意図的に操作することが可能です。
アンケート調査や電話調査も、質問項目や質問の仕方でかなり答えを誘導できますから、世論作りのために動員されます。
問題設定も、実は世論混乱のために行われているのかもしれないと思うほどに、昨今のマスコミの問題の立て方は扇情的です。
マスコミのトップが政治や経済に大きな影響を与える国ですから、そういう疑問も一概に否定はできません。

堀田力さんは、先週土曜日の報道ステーションで、
守屋・宮崎事件は「せこい事件」として、構造的な問題の可能性に否定的でした。
とても意外な発言でした。古館さんもちょっと残念だったようです。
しかし実際のところ、そうなのかもしれません。
守屋夫妻の逮捕の報道内容を見ると、そんな気もしてきます。
守屋夫妻の異常さが余りにクローズアップされてしまっています。
確かに異常かもしれませんが、その周辺に同じような人たちがたくさんいたし、いるはずです。
もしかしたら、本人も周りも気づいていないことだってあるでしょう。
言い換えれば、社会全体が「守屋化」しているのですから。

私は守屋事件は決して個人の話ではないと思っていますが、
私の判断材料の多くもまたマスコミ情報に依存しています。
もちろん私独自の直接的な状況証拠もないわけではありません。
そうしたことがなければ、このブログの記事はすべて勝手な創作活動になってしまいます。
多くの記事は、私が直接見聞したことを起点にしています。
やや過剰に解釈し、過大に展開する傾向はありますが、それは私の性格ですので仕方がありません。
私がいろいろな形で垣間見た僅かのことですら、
問題の立て方次第では、ここに展開しているような構造的な問題につなげていけます。
同じマスコミ情報も、認識の枠組みを少し変えるだけで違った風景になってきます。
マスコミが立てた問題の呪縛から自由になって、個々の事柄を見ていくと、もしかしたら違った風景が見えてきます。
多くの人たちが、そうやって自分の眼で世界を見ていくと、世界は大きく変わっていくような気がします。

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■節子への挽歌87:真夜中に目が覚めます

毎日ではないのですが、朝方5時頃に眼が覚めることが少なくありません。
頭が冴えて、いろいろなことを考えてしまいます。
もちろん節子のことです。
考えれば考えるほど、頭が冴えてきます。
闘病中のさまざまな情景をはっきりと思い出すこともあります。
時にはやりきれないほどに辛くなります。
楽しかった思い出を思い出すこともありますが、必ずといっていいほど、それはすぐに悲しさに転じます。もうそうした楽しさは私たちの前にはないことが、悲しさと寂しさを倍加させるのです。

声を出して節子と話すこともあります。
いくら声を出して呼んでも、節子の返事がないため、私が信じていた「輪廻転生」への疑問も生じそうです。
輪廻転生がないとすれば、私は生きる気力を完全に失いかねませんので、それはできるだけ考えないようにしています。

愛する人を失った人はみんなこうなのでしょうか。
それにしても、あまりにも辛い時間です。
節子がいた頃は、5時に眼が覚めるとベッドを離れて仕事をすることにしていました。
隣で寝ているとどうしても節子を起こしてしまうからです。
節子に気づかれないようにベッドを離れるのですが、いつも節子は「もう起きるの」と半分寝ながら声をかけてくれました。
しかし、節子のいない今はベッドを出る気にはなれません。
節子がいない世界で、やらなければならない急ぎのことなど何もないからです。

茫然自失しながら、節子と過ごす時間。
このブログに書いていることのほとんどすべてが、その時間に思いつくことです。
ブログに書くことができるので、私は自らの気を鎮めることができているのです。
そうでなければ、毎朝眼が覚めて考えることの罪の意識や後悔の念、あるいはこれから先の生きる力などの重さにへこたれて、朝、起き出せなくなってしまっているかもしれません。
きっと節子がこのブログを通して、私にいのちをあたえてくれているのでしょう。
節子は今もまだ、私を支えてくれているのです。
ありがとう、節子。
明日の朝はどんな話ができるかね。

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2007/11/29

■人が人を殺めることの事情

香川県の祖母孫殺害事件の犯人は親族だったことがわかりました。
親族同士の殺傷事件は少なくありませんが、
妻を病気で亡くした私としては、いつもやりきれない気持ちになります。

そもそも「人が人を殺める」ということは、信じられないことです。
なぜそんなことができるのか、おそらくその瞬間において殺害者は、
自分も相手も「人」ではなくなっているのでしょうね。
そう思わなければ理解できないことです。
しかし、親族の場合は心通わせた関係でしょうから、
相手を「人」でないと受け入れるのは極めて難しいはずです。
頭ではそう思ったとしても、身体がそうは反応しないでしょう。
ですからその場合は、逆に極めて人間的な心情がそうさせるのではないかと思います。
つまりその底に、愛憎という極めて人間的な心情が作用するのだろうと思います。
ちなみに、愛憎はコインの裏表のように、私には同じものに見えます。

私はいつも、親族同士の殺傷事件が起きた場合、マスコミ報道の後にある、それぞれの事情に思いを馳せます。
殺すほうにはそれなりの事情があるはずです。
そうでなければ、できるはずがありません。
今回の犯人の奥さんががんで半年前に亡くなったことを知りました。
短絡的だと思われそうですが、急に犯人の心が伝わってくるような気がしました。
もし私が彼の立場だったらどうだろうか。
孫まで殺めることは絶対にないだろうか。
よその家庭の事情は私には知る術もありませんが、
愛する妻を失った夫の心情は、実に悲しく不安定なものです。
ましてや、最近の世情を思う時、自暴自棄になり暴走することがあっても不思議ではありません。
不謹慎に聞こえると思いますが、私には犯人の哀しみがわかるような気がします。

個人的な事情だけではありません。
がん治療はお金のかかる治療です。
お金がなくて治療を断念する人もいるでしょうが、
治療のためにお金を貸リてしまう、それも高利のところに頼ってしまう人もいるでしょう。
がん治療の世界には、そうした高価な怪しい商品や治療が蔓延していますし、
いまの社会には犯罪的な高利金融業者が野放しになっています。
それらはいずれも政府と産業界の癒着の中で守られていますので、
孤立した庶民には対抗出来るはずもありません。

マスコミは、こうした事件の詳細を報道しますが、その事情をしっかりと可視化してはくれません。
もちろん背景事情は面白おかしく詳細に伝えますが、
そうした「事情」ではなく、社会的な「事情」こそを明らかにしてほしいものです。
先日、犯罪被害者の方の話も書きましたが、個々のエピソードの底にある「事情」です。
言い換えれば、現代の社会の構造と言ってもいいでしょう。
平たく言えば、個人が孤立化させられてしまっている「事情」「構造」です。

私がいま、フーコーやネグリに興味を持っているのは、
彼らがそうした構造を考える視点を提供してくれるからです。
ネグリの「マルチチュード」。
あるいはフーコーの入門者である「生と権力の哲学」や「フーコー入門」(いずれもちくま新書)、
あるいは「フーコー 主体という夢:生の権力」(青灯社)をお薦めします
コモンズ書店で紹介しています。
刺激を受けます。

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■節子への挽歌86:「社会的弱者」のコンプレックス

最近、少し「負い目」を感ずるようになってしまいました。
妻を死なせた夫は、人生における敗残者ではないかという強迫観念です。
人生の途中で生命を失った妻もまた、人生の敗北者だったのではないかという思いもあります。
こんなことを書くと、死者への冒涜ではないかと思う人もいるかもしれませんが、妻を失った夫の気持ちはそれほどに揺れ動くものなのです。
「冒涜」という意識は全くないのですが、夫婦で旅行を楽しんでいる話を見聞すると、自分ながら嫌になるのですが、そういう気持ちがどこかに生まれてくるのです。
その複雑な気持ちは、なかなかわかってはもらえないでしょうが、そのコンプレックス、劣等感が自分の言動に影響を与えてしまっていることに気づいて、それがまたコンプレックスになっていくのです。

そうした敗残者や敗北者の感覚は、行き過ぎかもしれませんが、少なくとも夫婦という形に欠陥が発生したわけで、夫婦単位で考えれば、私たち夫婦は大きな障碍を持った夫婦と言うことは否定できません。
最近の言葉を使えば、「社会的弱者」ということになります。

この1か月ほど、そうした意識がとても強くなっているのですが、そのおかげで、改めて「社会的弱者」の気持ちが今まで以上にわかるようになった気がします。
さすがに私には「可哀想に」という言葉は向けられませんが、僻(ひが)みかもしれませんが、そういう「まなざし」を感ずることはないわけではありません。
たしかに「可哀想」なのですが、そういう「まなざし」はさらに気分をへこませてしまいます。
おそらくハンディキャップをもっている人たちは、こういう「まなざし」の中におかれているのだろうなと改めて感じました。

暗い話になりましたが、一度書いておきたいと思っていた話です。
そしてこれは決して「暗い話」ではないのです。
そのことへの気づきや体験によって、実は私の世界は大きく広がったからです。
節子への愛や感謝の気持ちもさらに高まりましたし、節子とのつながりも太くなったのです。

節子、ぼくらはもしかしたら人生に負けたのかもしれないけれど、それによって大きなものを得たのかもしれないね。

でも、こんな「負い目」を感ずること自体、もしかしたら私自身が人生に負けてしまっているのかもしれません。

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■自由人とは自らにとっての真理を語るものである

自由人とは真理を語るものである。
これが古代ギリシアの自由人の定義だったそうです。
真理を語るのは、誰にも拘束されたり迎合したりしていな証です。
逆に真理を語れないのは誰かの、あるいは何かの奴隷だと言うわけです。

もっとも「真理」などというのは捉え方でいくらでも変わります。
「真理」は時代や文化のそれぞれに、存在しますから、唯一絶対の真理などあろうはずもありません。
ただ社会を維持していくためには、メンバーが共有する最小限の認識はが不可欠ですから、それを「真理」と呼ぶわけですが、それにしてもそれは絶対であるわけではありません。
「真理」は多様であり、生きています。
その認識こそが、「真理」を見るための出発点だと思います。
であればこそ、誰にも拘束されることなく、自由に「自らにとっての真理」を語り合うことが大切です。
先入観のない真理への思いをぶつけ合うことで、「真理」はいのちを与えられ、歴史は動き、社会は硬直化による死から解放されます。

こうした視点から考えると、日本では「真理」が語られることは少ないように思います。
多くの人、いやほとんどの人が「真理は与えられる物」と考えていますから、自らの違憲の根拠を誰かの発言に依拠しがちです。
そうやって、社会の「真理」は強固になっていき、そこから外れたものは多くの人には見えなくなっていく恐れがあります。

19年前、自由人になりたくて会社を離脱しましたが、以来、自由に考え語ることが私の自負の一つでした。
しかし最近、妻への妄念が強すぎて、真理が見えなくなってきているかもしれません。
いや、感受性が研ぎ澄まされて、真理が見えすぎて混乱してしまっているのかもしれません。

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2007/11/28

■持続可能性を高めるための多様性

グローバリゼーション、といっても経済中心のグローバリゼーションですが、その進展で世界の経済は深くつなってしまいました。
サブプライム問題で明らかになったように、世界のどこかで発生した経済問題が世界中に深刻な影響を与えるような状況になりました。
まさに、上海での蝶の羽ばたきがアメリカにハリケーンを起こしてしまうという、バタフライ効果が現実のものになりだしたのです。

世界の経済がつながっている以上、多かれ少なかれそれは避けられないことです。
1920年代にも、そうした世界同時不況はありました。
しかしそうした状況を克服する方向で経済政策が動いてきたかといえば、そうではありません。むしろ逆だったように思います。
しかも金融工学が異様に発展し、実体経済とは桁違いの大きな力を持ち出したのです。
てこの原理で損益を異常に拡大する仕組みが次々と開発され、まさに世界経済はカジノの場になってしまったような気がします。
その影響が、私たち生活者の生活という実体経済を左右するようになってしまったのです。おかしな話です。
金融エンジニアやベニスの商人たちには「堅気の世界」には入ってきてほしくないと思いますが、逆に「堅気の生活者」がその世界に吸い込まれているようです。
いうまでもありませんが、日本の財界はすでに魂をお金に売り飛ばしていますから、何の倫理観もありません。経団連や同友会も地に堕ちました。

文化の世界では、構造主義や文化人類学が世界の多様性を積極的に肯定することによって世界の豊かなビジョンを描きました。
しかし実際に起こったのは、多様な文化の消滅です。
異邦が発見されると、そこに強い文化が入っていき、結局は絡めとってしまうわけです。
いわゆる「文化人類学のジレンマ」ですが、今の時代においては、違法や多様性を維持することは至難なことです。
しかしこのままいくと、実体経済そのものが存立しえなくなりかねません。
汗して働くことが報われない社会になってきているのです。

それだけではありません。
世界そのものが極めて脆弱なものになりかねません。
多様性こそが組織の強さ、今様に言えば、持続可能性を保証するものです。
上海での蝶の羽ばたきが、異常に増幅されるような仕組みは見直されなければいけません。
さまざまな段階でリスクを回避し、ホメオスタシスとホメオカオスがバランスして、全体の持続可能性を高めていく新しい経済システムが構想されるべき時期に来ているように思います。その原理はもう見つかっているはずです。
なぜそうした動きが現実のものにならないのか。
この世界から自由がなくなってきているからかもしれません。

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■節子への挽歌85:事象としての死、経験としての死

昨日、柳田邦男さんの言葉を引用しましたが、思い出したことを今日も書きます。

柳田さんは、「3人称の死」と「2人称の死」という言葉で、死を語っています。
簡単にいえば、医者は生物学的な生命という視点から3人称的に「患者の死」を考えるが、患者にとっては言うまでもなく「1人称の死」である。
そのことを意識して、「精神的ないのち」の次元を重視した「2人称の死」として対応することが重要だというのです。

妻の死を体験したものとして、とても共感できる話です。
しかし、これは医者の問題だけではありません。
節子がいなくなってから、痛切に感ずるのは、
「事象としての死、経験としての死」ということです。
つまり当事者(夫婦、家族を含む)にとっての死とそれ以外の人にとっての死は全く違うものであるということです。

柳田邦男さん風にいうと、「いのちを共有」している人の死は生々しい自らの「経験」ですが、それ以外の人の死は、どんなに悲しくて寂しくても対象としての「事件」なのだということです。
こんなことを言うと、節子の死を悲しんでくれたたくさんの人の涙を裏切るようで申し訳ないのですが、お許しください。
節子の親友たちは、私以上に涙を出し、今でもとても悲しみ寂しがってくれています。
そのお気持ちを軽く受け止めているわけではありません。
もしかしたら私以上に節子への追悼の気持ちは強いかもしれません。

でもたぶん私が感じている死とは全く違うのだろうと思います。
注意しないと誤解されそうなのですが、どちらがどうだといっているわけではありません。
いのちに軽重がないように、いのちへの思いも軽重はないでしょう。
でも、「事象としての死」と「体験としての死」は全く異質なものではないかと思います。
ですから、私の気持ちは絶対に他の人にはわからないということです。
そして、節子の死は決して時間の経過の中で風化もしませんし、時が癒してくれることはないでしょう。
私が生きている限り、忘れることなどあるはずがないのです。
軽々に人の伴侶の死を語ることは戒めなければいけません。
それが体験者の正直な気持ちです。

少し時評にからめて付言すれば、
私たちはいま、あまりにすべてのことを「事象」の次元で捉えがちです。
たぶんそこからは未来は開けてこないような気がします。
このことはいつかまた「時評」のほうで書いてみたいと思います。

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2007/11/27

■節子への挽歌84:若い世代の夫婦観は「絆」だそうですが、60年代は「忍」

「佐藤さんたち夫婦は特別ですよ」。
そう言ってくださる人がいます。
通信教育のユーキャンの夫婦観に関する調査によれば、20代の夫婦観は「絆」に対して、60年代は「忍」だそうです。
しかし60代の私たちは、絆どころか異身一心でした。
忍だったらどんなによかったことでしょう。
先週お会いした初対面の人は、私の妻が亡くなって落ち込んでいることを知って、私を元気づけるためでしょうが、「自由を得たと思えばいいのですよ」といいました。
夫婦が忍の関係であれば、別れはうれしいことになるでしょうか。
決してそうはならないでしょう。

柳田邦男さんはこう書いています。
「家族同士には、他人とは異質の喜び、悲しみ、怒り、憎しみの感情がある。
そのことは精神的ないのちを「共有」していることを示すことにほかならない」(「犠牲‐わが息子・脳死の11日」)。

「精神的ないのちの共有」。
共感できる言葉です。
まさに私たち家族は、いのちを共有しています。いや正確に言えば、娘たちが20歳を過ぎてそれぞれの人生を歩みだすにつれ、家族は夫婦に戻っていくように思いますが、少なくとも夫婦はたぶんよほどのことがない限り、たとえ離婚しようが別居であろうが、そうなのではないかと思います。もし夫婦が「生活の共有」であるならば、当然のことながら「いのちの共有」でもあるはずです。
ですから、私たちは決して特別ではないのです。
おそらくどんなに仲の悪い夫婦でも、伴侶を亡くしたら私と同じ状況になるだろうと思います。
伴侶とは、夫婦とは、そういうものではないかと思います。
そうでなければ、あえて夫婦になる必要はないからです。

「忍」と「絆」。
違うようで、もしかしたら同じことなのかもしれない。
そんな気がします。

もっとも最近の夫婦は、必ずしも「生活の共有」を意味しないのかもしれませんので、これからはどうなるかはわかりません。
しかし、やはり「生活の共有」「いのちの共有」に支えられた夫婦関係こそが、社会の基盤であり続けるべきではないかと思います。
家族関係や夫婦関係は、もっと真剣に考えなければいけない「社会問題」だと思います。

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■「戦争から学ぶことなどない」というオシムの見識

昨日の朝日新聞の天声人語の記事です。

サッカー日本代表のオシム監督は、祖国ユーゴスラビアの解体や、ボスニア内戦といった辛酸をなめてきた。それゆえだろうか。口をつく言葉は奥が深い。民族の悲劇が、名将の人生に、深々とした陰影を刻んでいるように見える。動じない精神力と、異文化への広い心が持ち味である。それを戦争体験から学んだのかと聞かれ、「(影響は)受けていないと言った方がいい」と答えたそうだ。「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が…」(木村元彦『オシムの言葉』)
最後の発言に感動しました。
私はサッカーには全くと言っていいほど興味はありませんし、オシム監督についてもほとんど何も知りません。
しかし、この言葉はすごいと思いました。心から共感します。
オシムのサッカーを見ていなかったことを悔やむほどです。

企業経営も政治も戦争用語が頻繁に出てきます。
私にはとても違和感があります。
「戦争論」で有名なクラウゼヴィッツは「戦争とは政治の延長である」と述べていますし、フーコーは「政治とは別の形での戦争の継続」だと述べています。
ですから、政治の世界では当然のことかもしれません。
また経済の世界も、現代の経済は、まさに競争原理に支配されていますから、そこでも戦争と同じ活動が展開されているのかもしれません。
政治も経済も、いまやすべてが戦争の変形でしかないのかもしれません。
ですからみんな戦争から学びたがるのでしょう。
しかし、戦争から学ぶことがあるとすれば、オシム監督が言うように、戦争が存在価値を持ってしまうことになります。

そろそろ「戦争」から学んだり、戦争の知恵を政治や経済に応用したりするのは考え直すべきではないかと思います。
10年ほど前に私が翻訳した「オープンブックマネジメント」という本がありますが、そのあとがきの解説で戦争からゲームへとモデルを変えることを提唱しました。
もっと創造的なゲームへと発想を変えていけば、世界はきっと変わっていくでしょう。

フーコーも「真理のゲーム」ということを提唱しています。
「戦争」パラダイムから「ゲーム」パラダイムに生き方を変えるだけでも、人生は変わってくるかもしれません。
私は若い頃は、まさに「ゲーム」パラダイムで生きてきたのですが、いつの間にか「戦争」パラダイムの影響を受けてしまっているように、最近感じています。
このブログは、フーコー流のゲーム発想を大切にしているつもりなのですが。

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2007/11/26

■パグウォッシュ会議と科学技術のシビリアン・コントロール

今朝の朝日新聞の「ひと」欄に、鈴木達治郎さんの紹介がされていました。
科学技術政策、とりわけ原子力分野で活躍している鈴木さんの発言は私のような素人にも伝わってくるものがあり、名前だけは覚えていました。
記事によると、鈴木さんはパグウォッシュ会議の評議員に選ばれたのだそうです。

パグウォッシュ会議。
実は先週、友人たちとやっている「技術と暮らしを考えるサロン」で話題になった会議です。
話題といっても、私が少し言及しただけですが。
パグウォッシュ会議は1995年にノーベル平和賞をもらいましたから、ご存知の方もいるでしょうが、最近はあまり話題にはなりません。
原子力の平和利用と核兵器廃絶を訴える科学者を中心とした会議体です。
核兵器開発が進むことを危惧した、バートランド・ラッセルとアインシュタインが中心になって、世界に呼びかけた「ラッセル・アインシュタイン宣言」に始まったものですが、今でも毎年、世界各地で大会が開催されています。

私が科学技術のあり方に興味を持ち始めたのは、このパグウォッシュ会議と遺伝子工学に関するアシロマ会議です。
アシロマ会議は遺伝子を扱う生物学の倫理問題を議論した、最初の国際会議だと記憶していますが、その2つの動きがどこかで繋がっていることを感じていました。
自分たちが開発に関わった原子力という科学技術が原爆に応用されたことが、パグウォッシュ会議の根底にあると思いますが、同じことを繰り返したくないという分子生物学者の思いをそこに感ずるのです。
そうしたことから、科学技術と人間生活の関係が私の関心事の一つになり、会社を辞めた後、この問題に取り組みたいと思ったこともありましたが、残念ながら力不足で実現できませんでした。

原子力問題はいまこの時代を生きるすべての人にとって、その暮らしに深く繋がっている問題であるにもかかわらず、その情報は相変わらず専門家にしか開かれておらず、多様な眼にはふれていません。
もっと開かれた場での、事実に基づく議論が不可欠だと思うのですが、そうした状況は生まれていません。
とても残念です。
しかも、20年前に比べても、そうした議論はむしろ閉じこもりがちなような気もします。
コンセンサス会議なども思ったほどには広がりません。

軍事力のシビリアン・コントロールがいま話題のなっていますが、科学技術のシビリアン・コントロールも私たちにとって重要な課題ではないかと思います。
そんな問題意識もあって、いま友人たちと「技術と暮らしを考えるサロン」をやっていますが、関心のある方がいたらぜひご連絡ください。
テクノロジー・ガバナンスは軍事力のシビリアン・コントロールにも深くつながっている問題です。

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■節子への挽歌83:ストイックな秋、平和につながる生き方

今年の秋は紅葉が美しかったのでしょうか。
私は一度も紅葉を見ませんでした。
紅葉が好きだった節子と一緒でなければ見ても悲しくなるだけだからです。
節子は紅葉とか桜が好きでしたから、紅葉はテレビですら見られないのです。
来年の春も桜を見る気にはならないでしょう。

節子がいなくなってから、私の生活はとてもストイックになりました。
私だけが楽しいことを体験することには何となく「罪の意識」を感ずるのです。
いや、「罪の意識」というよりは一緒に体験できない節子の不憫さが頭をよぎってしまうのです。それは同時に、愛する伴侶と世界を共有できないでいる自らの不憫さを味わいたくないからでもあります。
楽しいことが辛いことになるという、見事な価値転換が起こってしまうのです。
ですからできるだけ身を縮めて、ストイックな生き方に心がけているわけです。
それは決して残念なことでもなく、むしろそこにこそ節子と世界を共有しているという幸せを感じられるのです。
価値転換がここでも見事に働くわけです。

喪にふくすとは、こういうことかもしれません。
発想を膨らますのが好きな私としては、これこそが平和につながる生き方ではないかという気にまでなりそうです。
しかし、宮沢賢治がいうように、世界にあるたくさんの不幸を考えれば、ストイックに生きることこそ正しい生き方のようにも思います。

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2007/11/25

■「暗殺 リトビネンコ事件」

一昨日は、昨年暗殺された元FSB(旧KGB)将校、リトビネンコの一周忌でした。
東京では、チェチェン連絡会議主催の「追悼集会」が開かれました。
昨年のアンナ・ポリトコフスカヤさんの追悼集会にも参加できなかったのですが、今回も参加できませんでした。

昨日、日本テレビの「ウェーク」で、チェチェンの特集をしていました。
来年公開される映画「暗殺 リトビネンコ事件」の一部が紹介されていました。
そこには暗殺される前のポリトコフスカヤさんも出てきます。
彼女はこう発言しています。
「衝撃の事実よ、あの悲惨なテロがヤラセだったのに、政府も平気な顔よ」

チェチェンの事件は衝撃的でしたが、その真実を知ることはさらに衝撃的です。
この映画がすべて真実かどうかはわかりませんが、かなりの真実さがあるようです。
番組の中で、どなたかがまるで映画の世界だというような話をしていましたが、
実際には映画の世界は常に現実の後追いなのかもしれません。
それが私たちには見えないだけです。
国家は国民を守る、国家は正義、国家に対する暴力はテロ。
そういった国家が創りあげてきた概念に、私たちは呪縛されています。
いや、そうした概念を定着させることで、国民国家は成立しているといってもいいでしょう。
国民の主体性は国家によって形成され、正当化されてきているのですから。

ロシアはまたスターリンの時代に戻っているようです。
国民国家というのは管理体制を強化する方向性を内在していますし、
いわば正当化された暴力を自由に駆使して国民を統治する存在です。
とりわけロシアのような大国においては、中途半端ではない暴力装置が必要になってくるでしょう。

しかしチェチェン事件の顛末はあまりに疑惑が多すぎます。
国家への恐怖心が拭いきれません。
これはなにもロシアに特別な話ではありません。
中国でもミャンマーでもブータンでもイスラエルでも北朝鮮でもアメリカでも同じなのではないかと思います。
もちろん日本でも、です。
程度の差はあるでしょうが、それは私には瑣末な話にしか思えません。

国民国家はもはや役割を終えて、新しい世界の枠組みが生まれだしているという考えは少なくないですし、
たぶんそうだとは思うのですが、しかし今を生きる私たちは国家から自由になることは出来ません。
せめて可能な範囲で、国家権力あるいは政府の言動を注視し、
たとえ見えにくいものであろうとも見ようとする姿勢が不可欠だと思います。
もちろん、政権の透明性の向上やガバナンスの仕組みも大切ですが、
国民一人ひとりが政府の言動を見据えていくことが一番大事です。
それにしても、日本の昨今の政権与党政治家の言動は、あまりにも不透明です。
その不透明さを糾弾し明らかにしていく役割を持っている野党の政治家やジャーナリストの姿勢にも、どうも及び腰さを感じます。
国家権力の前には、だれもが萎縮してしまうのでしょうか。

日本ではまだ、ポリトコフスカヤ事件やリトビネンコ事件は起こってはいませんが、
起こってもおかしくないような状況が忍び寄ってきているような恐怖を感じます。
ロシアの事件ではありますが、同時にこれはグローバル化した世界の現代の事件です。
その意味で、私たちも決して無縁ではないのです。
チェチェンの教訓を肝に銘じておきたいと思います。
コラテラル・ダメッジを正当化できる国家権力はここまでできるのです。
私には、この事件が薬害肝炎事件に重ねて見えてきてなりません。

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■節子への挽歌82:「さわやかな節子さん」

節子は転居前、民生委員をさせてもらっていました。
私が大きな福祉を目指すコムケア活動に取り組むだいぶ前からです。
民生委員の現場の仕事は家族にも話せないといって、時に悩みながらも話してはくれないこともありました。
いろいろと生々しい現場に直面することもあり、そうした時には何となく状況が垣間見えたりはしましたが。
なかにはかなり大変な問題もあったように思います。
いろいろな人に声をかけ、解決に取り組もうとしたのに、なかなかうまくいかず悩んでいたこともありました。

その民生委員の仲間だったHさんとSさんが献花に来てくださいました。
転居した時に民生委員は辞めていましたので、もう6年もたっていますが、それ以来もいろいろとお付き合いがあり、節子と3人で旅行にも行っているそうです。
いろいろと節子との楽しい話を聞かせてくださいました。
そして2人の口から何回か出てきたのが、「節子さんはいつもさわやかでした」という言葉でした。
「さわやか」
私は意識したこともなかった言葉です。
またひとつ、私の節子のイメージが豊かになりました。
「さわやかな節子」
そういえば、たしかに結婚前の節子は「さわやかさ」がありました。
まあ表現を変えれば、単純で素直なだけ、ともいえるのですが。
嘘のつけない子でした。

節子さんは辛いだろう病気のことも、自分の身体のことも、とても明るくすべてを話してくれていました。すごい人だと思っていました、とも言ってくれました。
節子は今年になってから、腎臓から直接カテーテルで排尿するようになっていました。
最初はすごいいショックだったと思います。
外から見てもわかるのですから。
でもそれも持ち前のアイデアでおしゃれな手づくりポシェットでちょっと見ただけではわからないようにしてしまったのです。
それで外出もできるようになりました。

Hさんは習字の先生でもあるのですが、節子はそこに通っていました。
カテーテルをつけたままです。
そしてみんなとのおしゃべりのなかで、そんなことまであっけらかんと話していたのだそうです。
どんな辛いことも明るく話す。
自分の弱さも隠し立てせずに話す。
そうした節子をお2人は「さわやかな」と表現してくれたようです。

隠しだてをしないのは、私たちの文化でした。
隠しても必ずいつかはわかるものだと、私たちは知っていたからです。
そして隠す気持ちがあると、人との付き合いは楽しくなくなることも知っていました。
積極的に自らの弱みを開いていくというのは、私の生き方でしたが、節子はそれに共感してくれたのです。
そして、私以上にそうなりました。

外に向かっては、どんなことでも明るく話すのが節子の良いところでした。
時々、私には辛さや悲しさを話すこともありましたが、でも私を悲しませないために、いつも私よりも明るくしていました。
たしかに節子は「さわやかな人」でした。

やっと気づいた「さわやかな節子」。
しかし、そのさわやかな節子がもういないと思うと悲しくて仕方がありません。
この悲しさは、たぶん誰にもわかってはもらえないでしょう。
「さわやかさ」の奥にある節子の思いを知っているだけに、悲しくて悲しくて仕方がありません。

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2007/11/24

■問題が多すぎて何も変わらないのではないかと心配です

問題が多すぎると解決するためのエネルギーが分散するばかりでなく、問題そのものが相互に消しあって問題の本質を見えにくくしてしまうことはよくあることです。
全体が見えなくなるからです。
全体像を見せないままに、各論の解決を都合よい方向に向けて、それらを編集することで、結局、全体像を全く違った方向に落着させることも決して不可能なことではありません。
そうしたことへの対論として、複雑系の発想が出てきたわけですが、残念ながら社会の問題を「民主的」に解決するための効果的な方法論はまだ見つかっていないようです。

平和を願う人たちが、一昨年、「平和に向けての結集」に取り組みだしました。
私も参加させてもらいましたが、さまざまな人たちが集まったために論点は多岐にわたりました。
私自身は結集のために必要なことは、みんなが賛成できる、ないしは納得できる1点を見つけることではないかと思いますので、「憲法9条を変えない」を突出させるのが効果的だと思いましたが、残念ながらそうはなりませんでした。
大同小異はとても大切なことです。
むしろ「小異」は「大同」を支える重要な要素なのですが、そう思う人は少ないのだとその時に感じました。

最近の政治や経済の世界はどうでしょうか。
問題が多すぎて、目移りするばかりですが、それでは解決には向かいにくいように思います。守る側が有利になります。
対策は2つあります。
一つはシンプルな問題に焦点をしぼり、そこから解決していくことです。
たとえば、前者は国民感情が収斂しやすい「年金問題」から入り、政治と行政と経済の問題点を露呈させ、解決の波を広げてく方法です。
みのもんたの朝のテレビ番組が、しつこく年金問題を摘発し続けました。
そのやり方はともかく、問題を絞って継続的に追いかけていく姿勢は大切です。
いくつかの報道ニュース番組がありますが、みんな同じような形で「問題」に時間配分していますから、どれもこれもスタイルこそ違え同じような話が出てきます。
そうではなく、どこか焦点を定めてせめて半年くらいは追い続けてほしいと思います。
一つの問題にフォーカスしても、しっかりしたグランドデザインがあれば、大きな全体像を解決することにつなげられるはずです。
今の状況では、次々目まぐるしく出てくる問題に振り回されて、何も変わらないのではないかという不安があります。

もう一つはたくさんの問題の根底にある「クリティカルパス」を見つけてそれを変えていくこと、です。
たとえば、やや極端ですが、嘘をつき使命を果たさない(と大方の国民が考える)人は社会から隔離し、損害賠償の責務を課す方法です。時効など考える必要はありません。明白な悪事は時効になどなるはずがありません。
法律に反するなどと考える必要は全くありません。
法律は、所詮は社会を正常化するためのルールでしかありません。
法治主義と法律万能主義は全く違いますし、法の精神と法文とはこれまた全く違います。それに、すべての法律は、それ自身正当性などはもっていないことを忘れてはなりません。
法律を成立させるには、法律の前に法を支える文化なり社会の合意があるのです。
法はその一つの現われでしかありません。
そして平常時において内部社会で通用するだけのものでしかないのです。

問題が多発しているのは、決して偶然のことではないことにも気づくべきでしょう。
今の事件多発状況はなにやら背後に意図を感じますが、考えすぎでしょうか。
目くらましにあってはなりません。

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■節子への挽歌81:優柔不断さと思い切りの良さ

節子が一緒に活動していた花かご会のみなさんが、我孫子駅前の花壇を整備してくれています。
季節の変わり目で、先週、全く新しくなりました。
その時、とった千日紅の花が節子のお墓に供えられた話は前に書きました。
そのお礼にメールをしたら、返事が返ってきたのですが、そこにこんな文章が書かれていました。

今夏の花はほとんどとってしまいました。
まだまだきれいに咲いている花もあるのですが、「公共の場にある花壇なので、季節ごとに思い切ってとってしまわないとね」と、節子さんとよく話したことを思い出します。

へえ、そんなことを話していたのかとちょっとうれしくなりました。
時々、私の知らない節子に会えるのです。

「思い切って」。
この言葉を節子がよく使っていたのを思い出しました。
節子はとても慎重で、むしろ優柔不断と思えることが多かったのですが、時には思い切って行動するタイプでもありました。
私が25年間勤めた会社を突然辞めると言い出した時にも、何も言わずに即座に受け入れました。
私の両親との同居が話題になった時にも、ほとんど間をおかずに自分から同居を買って出ました。
私は少し躊躇していたのですが。
自分が胃がん宣告を受けた時にも、それまでと全く同じように行動していました。
箱根で日産自動車のゴーンさんがいるのを見つけたら、英語も話せないのに突然近寄って「夫と一緒に写真を撮らせてほしい」といって、私を呼んだ時は驚きました。
物をとても大事にするタイプなのですが、なぜか時々、スパッと捨ててしまうこともありました。
私と節子が結婚する契機になった節子の手づくりセーター(おばけのQ太郎が刺繍されていました)も、ある時に捨てられてしまいました。
何で捨てたのか、と異議を申し立てたのですが、そんなものをとっていても意味がないでしょうというのです。
私以上に過去に興味がなかったのかもしれません。
そのくせ、日記を書くのは好きでした。

むすめたちは、節子が私のような夫を選んだことこそ思い切りがいい(但し間違った選択だった)といつも言っていましたが、本当によくまあ、私のような人と結婚したものです。
なにしろ私の話を聞いた節子の両親は、あわててわざわざ京都まで会いにきました。
親戚はすべて反対だったのです。
でも結婚してしまいました。
もっとも事情は私も同じで、私も最初は家族は反対でした。

話がちょっとそれてしまいましたが、時々、思い切りのいいところのあった人でした。
もっとも、身の丈よりも大きな話は判断できなかったのではないかという見方もあるのですが。

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2007/11/23

■「言葉の人」と「身体の人」

大きな身の変化があると見えてくることがあります。
それは恐ろしいほどによく見えてきます。

25年勤めた会社を辞めた時に見えてきたのは、人のつながりでした。
以前もどこかに書いた記憶がありますが、人のつながりは「時間」ではないということです。
一度しか会ったことがなく、それもたった15分しか立ち話をしたことのない人との付き合いが始まる一方で、長年仕事で付き合っていたのにパタリと付き合いが切れるつながりなど、思っても見なかった経験をしました。
「踏み絵」のような言い方になるのが心配ですが、そうではなく、つながりには「手段としてのつながり」と「それ自体に価値のあるつながり」があることに気づいたのです。
良し悪しの問題ではなく、同じ付き合いでも全く意味が違うことを実感したのです。

また、新しい立場になると、いろいろな人が興味を持って訪ねてきてくれることも体験しました。
組織を離れて、たった一人で、しかも世間的な意味では「まともに」仕事をしない生き方を選ぼうとする私に「つながって」も何の利得もないはずなのに、たくさんの友人ができました。これも思ってもいなかったことでした。
しかし、「利益」を求めてきた人はみんな失望して来なくなりました。
それは本当に明らかでした。
その後、ベンチャーで成功して有名になった人もいますが、成功したら私は全く意味のない存在として忘れられます。
それは私にはとてもうれしいことです。
会社を辞めた時に、そうした生き方から離脱することを目指したのですから。
そして19年、なぜか私は会社を辞めた時のままの生き方を続けています。
経済的に困ると、つながりの中の誰かが支えてくれました。
「つながり」を手段にしなかった生き方のおかげだと思っています。

妻を亡くして、またたくさんのことが見えてきました。
誤解のないように繰り返しますが、それによって誰かを評価するとか嫌いになるとかいう話では全くありません。
多様な人がいればこそ、社会は豊かなのだと確信していますから、私はほとんどあらゆるタイプの人と付き合ってきました。
要するに八方美人だったわけです。
そんな生き方は馬鹿げていると諭してくれた友人も、いつの間にか、それがお前の生き方だよなと諦めてくれています。

今回、何が見えてきたか。
「言葉の世界で生きている人(言葉の人)」と「身体の世界で生きている人(身体の人)」がいるということです。
前に書いた「ビオス」と「ゾーエ」と言い換えてもいいかもしれませんが、ますます分かりにくいかもしれません。

最近またフーコーの入門者を読んで、「正常」と「狂気」の関係を改めて考えています。
以前、「ノーマイラゼーション」や「ユニバーサルデザイン」という発想への違和感を書きましたが、そうした漠然とした違和感の実体が垣間見えてきたような気がします。
そうした視点からいえば、「正常な人」と「狂気の人」です。
いうまでもありませんが、私は「狂気の人」といえるでしょう。

ますます分かりにくくなりそうですから、やはり「言葉の人」と「身体の人」にしておきましょう。
「言葉の人」はだいたいにおいて経済的に豊かで、社会の主流にいます。
「身体の人」の多くは、文化的に豊かで、社会の主流の周辺にいます。

「言葉の人」と「身体の人」とでは、妻を亡くした私への対応は、見事に違います。
繰り返しますが、どちらが良いとか悪いとかいう話ではありません。
いずれも私のことを「心配」し、「支援」しようとしてくれているのです。
いずれにも感謝しています。
しかし、大きな違いがあるのです。
前者の人たちは「自分の視点」で私を救おうとしているのに対し、後者の人たちは「私(当事者)の視点」で私に寄り添おうとしているのです。
このあたりの話はもっとしっかりと書かないと伝わりにくいですね。

しかし、世界を見る上で、私にはとても大きな示唆を与えてくれました。
私の生き方も改めて考え直さなければいけません。
「身体の人」として生きながら、これまで以上に「わがまま」に生きようと思います。
失礼があることが多くなると思いますが、お許しください。

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■節子への挽歌80:献花台に土の葉

庄原の原さんが「献花にかえて、葉っぱの土笛を」と言って、2つの土笛を送ってきてくださいました。
夏と秋の柿の葉で作ったものだそうです。
青葉と紅葉が見事に再現されていて、見ているだけで安堵される土笛です。
早速、献花台の上に置かせてもらいました。

原さんは、節子の闘病中にも元気をつけるためにいろいろな作品を送ってくれました。
そんな原さんなのですが、私も節子も実はまだお会いしたことがないのです。
残念ながら節子は今生では会うことはかないませんでしたが、来世ではきっとお会いできるでしょう。
私は来年になったら、会いに行きたいと思っています。
節子が私一人を置いていってしまったので、来年はいろいろとやらなければいけないことが多くなりました。

原さんとのつながりは、同じ広島の折口さんの紹介です。
ところが、折口さんにもお会いしたことがないのです。
折口さんは私のホームページ(CWSコモンズ)に折口日記を掲載してくださっている方です。
それにしても、会ったこともない者同志がどこかで心をつないでいく広がりが私の周りにはいろいろとあります。
逆によく会っていても心がつながりにくい関係もないわけではありません。
今回のようなことを経験するとそれがよくわかります。
人のつながりは不思議なものです。
魂の波長がそうしたつながりを決めるのかもしれません。
私もたった一度だけしかお会いしていないのに、ずっと心に残っていた人もいます。
人のつながりの不思議さを、節子はたくさん教えてくれましたが、
いなくなった後も感動させてくれることが少なくありません。

献花台の前で、土笛を吹いてみました。
先日の西川さんのハーモニカのようにはいきませんが、不器用な私の笛の音は節子にも届いたでしょう。
久しぶりにまた涙が止められなくなってしまいました。
久しぶりといっても、3日ほどなのですが。

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2007/11/22

■人身事故の意味すること

昨日、久しぶりに大学時代の友人たちと会食したのですが、
その帰路、千代田線が人身事故でダイヤが乱れていました。
ところがさらに車内放送で、日比谷線でも人身事故が発生したと放送がありました。
そういえば、会食の前に上尾の友人と会ったのですが、
彼も人身事故で高崎線が遅れていたため30分遅れてきました。
今日は3件の人身事故に出会ったわけです。

年末になると毎年、こうした人身事故による電車の遅延をよく経験します。
先日、お会いしたツカサグループ会長の川又さんは、人身事故の件数をこまめに記録しているとのことでした。
川又さんのホームページには人身事故ニュースが取り上げられています。
たとえば、昨日のところにはこう書いてありました。

◆毎日全国で人が電車に飛び込んで自殺しています。(川又)
ほとんどが経済的理由で、借金清算の為に命を投げだしている方々のようです。
その方々への鎮魂の意味をこめて毎日人身事故の件数を拾っています。
友人たちとぬくぬくと食事をしていたことに少し罪の意識を感じました。
そうした生活はかなり捨てたつもりですが、まだまだ断ち切れずにいる自分がいやになります。

それにしても、「人身事故」という言葉は、とても他人事の感じがあります。
誰の視点で「人身事故」などという言葉を使っているのでしょうか。
こういう脱価値的な言葉が現実の生々しさを覆い隠し、問題を見えなくしているはずです。
最近、少しずつホームの柵を作る動きが出てきていますが、ホームは投身自殺しやすい設計になっています。
私でも、飛び込もうかという気が何時起こるかもしれません。
みなさんはいかがでしょうか。
そんなことは一度もないという人ばかりではないでしょう。
決して他人事ではないのです。

もし冷静な判断力が残っているとしたら、誰も電車への投身は絶対に行わないはずです。
残された遺族への損害補償を考えれば、とても出来ないはずですし、社会的な影響を考えても避けるでしょう。
たくさんの恨みを背負って彼岸に旅立ちたくはないでしょう。
しかし、多くの「人身事故」当事者は、そんなことを考える間もなく、突発的に吸い込まれるのではないかと思います。
いささか生々しく書いてしまいましたが、脳天気といわれる私ですら、疲れ切った時に電車が入ってきた時に引き込まれそうになったことが2回もあります。
最近は、ホームの縁には近づかないようにしていますが。

電車に乗っていると、そうした社会の実相が実感できます。
政治家や官僚、有識者の皆さんにも、ぜひ電車に乗ってほしいものです。
電車に乗らずに社会の問題を考えることなど出来ようはずがありません。
真実は現場にこそあるからです。
やや極端ですが、公共交通機関を使わない人の言説に、私は価値を見出せません。

電車も自動車も凶器なのです。
それを今のように安直に扱っているのは、社会の狂気ではないかと思えてなりません。
人身事故が増えている社会を支えている私たちの生き方をどこかで変えていかねばいけないと思います。
できることはいろいろあります。
周りの人への関心を高め、困っている人がいたら一緒に悩んでやることです。
宮沢賢治のように。

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■節子への挽歌79:「誰に対しても心やさしい奥様でしたね

節子の訃報を知った私の友人から手紙が来ました。
「誰に対しても心やさしい奥様でしたね」
親バカならぬ、夫バカですが、とてもうれしい言葉です。

近くにお年寄りが2人で住んでいるお宅があります。
昔からのお宅なのですが、いわゆる独居老人だったのですが、いまはお手伝いさん的な人が一緒に住んでいます。
2人ともとてもいい人なのですが、最近やってきたお手伝いさん的な人は近隣とのお付き合いもあまりありませんでした。
おそらく最初に声をかけたのは節子だったのではないかと思います。
節子はいつもあの人はきっとまだ近くの「あけぼの公園」にいったことがないのではないか、「水の館」はどうだろう。私が元気になったら自動車で一緒に我孫子を案内してやりたいと話していました。
結局、それは適えられなかったのですが、節子はいつもそんな調子で、誰かを喜ばせることを考えていました。
私が節子にこれほどほれ込んでしまっているのは、私の人生において実にたくさんの喜びを与えてくれたからです。まあ、たいした喜びではなく、ちょっとした「やさしい心配り」なのですが。でもそれが今の時代には欠けていますから、もらった人はとても節子が好きになるのです。

自動車で我孫子を案内できなかった、その人が先日、献花に来てくれました。
節子がいたらどんなに喜んだでしょうか。
節子だったらそうしたであろうことをさせてもらいましたが、その人はとても喜んでくれました。
私はもう10年以上運転をしていないので、自動車での案内は出来ませんでしたが、節子の思いは少しだけ果たせた気がしています。
その後、夜道を歩いていたら、その方から声をかけられました。
私も少し節子の生き方に近づいたかなとうれしくなりました。
人の幸せは、本当にとても小さなところにあるようです。

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2007/11/21

■ビオスによる時評とゾーエによる挽歌

しばらく自分の世界に埋没していました。
無意味な言説だけが飛び交う世間の事件に対して、関心を失ってしまっていました。
嘘を承知での形だけの応酬や報道、すべての人たちが演技をしている舞台には飽き飽きしてしまってきたのです。
いまさら額賀さんの金銭疑惑など馬鹿げていますし(誰でも知っていることでしょう)、防衛省の産業癒着などわかりきっていることでしょう。

国会議員が仲間であることを知っている官僚は動きませんし、官僚が仲間であることを知っている企業も動かない。
そのことが明確に現れているのが厚生労働省ですが、そこには「小悪人」しかいませんから、悪事を隠しきれなかっただけの話です。
大悪人は防衛省や厚生労働などにはいないでしょう。

言説が飛び交う世界とは別に、アガンベンがいう「剥き出しの生」の世界があります。
彼は前者を「ビオスの世界」といい、後者を「ゾーエの世界」といいます。
ビオスとは「それぞれの個体や集団に特有の生きる形式」であり、ゾーエは「生きているすべての存在に共通の、生きている、という単なる事実」です。
これまでの政治の主役はビオスでしたが、これからはゾーエが主軸になるというのが(かなり不正確な私流の解釈ですが)、「マルチチュード」の著者ネグリの意見です。

妻が死んでから、私はまさにゾーエの世界を体感しています。
そして「生きているものたち」のやさしさやつながりを実感すると同時に、「言説」や「文化」のつめたさやおそろしさを感じています。

1週間ほど前に、時評と挽歌はビオスとゾーエの現われなのだと気づきました。
このブログでは、「時評」と並行して「挽歌」を書いています。
つまり、「ビオスの世界」と「ゾーエの世界」を交錯させながら書いているのです。

世界をどう見るかは、身近な生活、とりわけ伴侶の死にも見事に繋がっていますし、逆に伴侶の死によって見えてきた世間は、世界観にも大きな影響を与えます。
もともと私は、生き方においては「剥き出しの生」であるゾーエを大事にしてきました。
妻が亡くなったいま、その姿勢はますます強くなっています。
いつか挽歌と時評が自然と繋がっていけばいいと思いますが、まだだめでしょう。

たとえば、ゾーエの視点で薬害肝炎問題を考えるとこうなります。
フィブリノゲン問題を知りながら、ミドリ十字を存続させ、問題を地下に潜らせたのは、官僚と政治家とマスコミですが、彼らも含めて、当時の企業関係者、加担した研究者や官僚、国会議員は、死刑を含む極刑に値します。
もし彼らが、大企業や官庁に属していなかったらどうでしょうか。
彼らがやったことは残酷な殺し方でしたし、未必の故意もあったはずです。
殺人事件になりえたのではないかと思います。
しかも恐ろしいのは、関係者は今もって罪の意識もなく、また同じようなことが官僚や企業人に引き継がれているということです。
素直に生きている者として、どうしても納得できません。
自分が被害当事者になったことを考えれば、結論は一つしかないはずです。

私にとっては正直な気持ちなのですが、たぶん亡くなった妻はこの記事を見たら削除しろというでしょう。
妻は私と同じ、ゾーエの人でしたが、ビオスで生きることを大切にもしていましたから。
しかし、今の私は「生きること」にはほとんど関心はなくなり、「生きていること」に関心のほとんどは移ってしまいました。

明日からまた時評も再開します。

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■ゾーエの生命的規範とビオスの社会的規範

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■節子への挽歌78:節子さんはきっと最後までがんばったのでしょうね

私たち夫婦の共通の知人である岡林さんから電話がありました。
年賀欠礼の手紙が読んで、驚いて電話をしてきてくれました。
「奥さんはがんばりやだったから、きっと最後までがんばったのでしょうね」
泣きながらそう話してくれました。
岡林さんとの出会いは、私たちにとっては最後の海外旅行となったイランのツアーでした。今からもう10年ほど前でしょうか、しばらく中止されていたイランに旅行できるようになった最初のツアーに夫婦で参加したのです。岡林さんは海外旅行仲間の小林さんとご一緒でした。2人とも私たちよりもひとまわり歳が上でしたが、すごく元気な人たちで、毎年、3~4回、海外旅行をしているベテランでした。
イランでの服装は女性の場合かなり厳しく、黒いベールで顔を含む全身を隠さなければいけませんでした。それで節子は、いろいろと工夫して独自の服をつくっていったのですが、それを岡林さんはなぜか細かく覚えていました。
10日ほどの旅だったと思いますが、なぜかその2人と節子は気があって、帰国した後も食事をしたりしていたのです。
私も一度、ご一緒しましたが、熟年女性の行動的な元気さを教えてもらいました。
もし私が先に彼岸に行ったら、きっと節子は岡林さんのように元気な熟年シニアになっていたでしょう。
しかし、その岡林さんもこの数年はいろいろあって病院通いなのだそうです。
節子の歳をきいて、ちょっと絶句しました。そして代わってあげたかったといいました。
私も本当に代わってやりたかったです。

岡林さんが最初に言ったことばが、「がんばったでしょうね」でした。
節子はよほどがんばりやさんに見えたのでしょう。
いろいろとお話を聞かせてくれました。
節子にこそ聴かせたい電話の内容でした。
節子がいなくなってしまったいま、こうやって節子の友人知人と話しているのがとても奇妙な感じです。

節子は、本当にちょっとした出会いを大切にする人でした。
そうした出会いから始まったお付き合いの人たちがたくさんいます。
そうした出会いに私もいくつか居合わせました。
節子は見ず知らずの初めての人の心を開かす名人でした。
私の友人知人には決して見せない、彼女のそのやさしさは名人芸と思えるほどでした。
いつかまたそうした出会いの話を書きたいと思います。

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2007/11/20

■節子への挽歌77:年賀欠礼のご挨拶を節子と連名で出しました

年末が近づくと年賀欠礼のはがきが届きだします。
悲しいことに今年は私が送り手になってしまいました。

年賀欠礼の挨拶の手紙がみんな同じ文章で定型化されていることにいつも違和感を持っていました。
自分ではそうした定型文は使ったことがありません。
今回ももちろん「私たち仕様」で書くことにしました。
もっとも私の友人知人には出状しようかどうか迷っています。
まだ節子の訃報を知らない夫婦共通の知人に、私と節子の連名で出状させてもらいました。

今日はその手紙文を掲載させてもらいます。
手紙の実物はPDF形式ですが、私のホームページに載せています。
ちなみに、告別式の会葬礼状49日法要の報告も、既定のものではなく、私たちならではの文章にしました。よかったら読んでください。
いずれも基本形です。相手によって少しずつ変えているものもあります。

いつか弔電について書きましたが、こうした手紙も自分の言葉で書くようにできないものでしょうか。
その文章を考える時間がとてもいい時間になるはずです。
私が先に逝ったとしても、節子はきっと自分の言葉で手紙を書いてくれたはずです。

こうした手紙のおかげで、いろいろな人から連絡をもらいます。
そして故人を思い出す時間が持てます。
それこそが供養ではないかと思います。
みなさんも、その時が来たら、ぜひとも自分の言葉で、自分のスタイルで、手紙を書くことをお薦めします。
大変ですが、そのおかげでたくさんの感激を体験できるはずです。

以下は今回の手紙文です。

<年賀欠礼のご挨拶>

今年も残すところ、あと1か月半になってしまいました。
平素のご無沙汰をお許しください。

今日はちょっと辛いお知らせのお手紙です。
親しくさせていただいた妻、節子が今年の9月に彼岸へと旅立ちました。
4年半ほど前に胃がんの手術をし、その後、順調に回復していたのですが、昨年10月に再発してしまいました。再発してからも前向きな闘病生活で、もしかしたら奇跡が起こるかもしれないというところまでがんばったのですが、残念ながら体力の限界を超えてしまったのです。
私にとっては、生きる意味を与えてくれる、かけがえのない伴侶でした。
これほどのかなしさは体験したことはありませんし、またこれからもないでしょう。
伴侶の死は、まさに自らの死と同じような思いがします。

節子が逝ってからもう2か月以上経過しますが、今なお節子がいない世界が実感できずにいます。不思議な感覚です。
ブログで節子への挽歌を書いて気を鎮めていますが、時間がたつほどに寂しさはつのります。
告別式での挨拶をホームページに載せました。
読むのが辛い内容ですが、節子のがんばりを読んでもらえればうれしいです。

発病後の節子は見事な生き方をしました。
しかし、みなさんにお会いできずに逝ってしまうことが、とても残念だったと思います。
最後は家族に見守られ安らかに息を引き取りました。
最後の寝顔は、私がいうのもおかしいですが、とても美しくやさしい顔でした。
節子を守れなかった自分が本当に悔しいです。

訃報をお知らせもせずに申し訳ありませんでした。
またこんな手紙をお届けすることもお許しください。

我孫子のほうに来る機会があればお立ち寄りください。
庭に小さな献花台をつくりました。

これまでのたくさんのご厚情が、節子の人生をとても豊かにしてくださっていたことを、節子に代わって感謝申し上げます。
ありがとうございました。

みなさまも、どうぞご自愛くださいますように。

不一

佐藤修(佐藤節子)

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2007/11/19

■節子への挽歌76:駅前花壇の花がお墓に供えられていました

昨日、節子のお墓に行ったら、駅前花壇に咲いていた花が飾られていました。
そういえば、先日、駅前花壇の模様替えがあったのです。
きっと花かご会のみなさんが節子に花を持ってきてくれたのでしょう。
お墓の場所もお話していなかったのに、みんなで探してくれたのでしょうか。
感激しました。
本当に節子の友人たちはやさしい人ばかりです。
わざわざお墓にまで花を持ってきてくださるとは節子は果報者です。

節子がお墓に入ってから、それまでは年に4~5回しかお墓参りはしていなかったのですが、週に2回は行くようになりました。
しかし、花かご会の人がわざわざ来てくださることを考えると、私も週2回などといわずに、もっと来ないといけないと思いました。
自転車で15分くらいで来られるのですから。

墓には私の父母が入っていますが、節子は父母のお気に入りでした。
きっと私よりも節子のほうが気楽で信頼できたはずです。
ですから父母は喜んでいるはずです。
節子も自分で選んだ墓なので、きっとまた一緒に仲良くやっているでしょう。

昨日気づいたのですが、初めて墓前で涙が出ませんでした。
般若心経も無事間違えずにあげられました。
時間がたつと癒されるという言葉に私は反発していましたが、癒されてしまったのでしょうか。
いや、そんなことはありません。
さびしさは日を追うたびに高まりますし、いまもちょっとしたことで涙が出ます。
でも突然に涙が出てくることはなくなりました。
やはり癒されてきているのでしょうか。

癒されて元気が出てくることを節子は望んでいるかどうか。
望んでいるはずがないと私は確信しています。
節子も私ほどではありませんでしたが、さびしがりやでもありましたから。

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2007/11/18

■節子への挽歌75:言葉の優しさの大切さ

昨日の続きのような話です。

節子が病気になってから、言葉に対して過剰に反応するようになりました。
当事者の節子は、私以上だったと思います。
そして節子がいなくなった後、私はさらに過剰に反発するようになりました。
今度は私が当事者になってしまったからです。

たとえば、そのひとつが、「節子さんは良い家族に囲まれて幸せでしたね」というような言葉です。
家族としてはとてもうれしい言葉です。
でもどこかに、「生き続けられなかった節子が幸せだったはずがない」という思いが浮かんできてしまうのです。
自分の性格の悪さ、言葉にひっかかってしまう狭量さを嫌悪したくなりますが、自然とそう思いが出てきてしまうのです。
「元気そうで良かった」と言われると、表面はそうでも元気ではないといいたくなり、「元気がないので心配だ」と言われると充分元気だと反発したくなり、「元気をだして」と言われると、出るわけないでしょうと言いたくなるのです。
だれも私の気持ちなどわかるはずがないし、わかってたまるかという気があるのです。その思いが、他の人の言葉を素直に聞けなくしているのでしょう。
そんなことで、もしかしたら失礼な対応をしてしまっているかもしれません。

しかし、このことはコミュニケーションやケアの問題を考えるための重要なヒントを含んでいるように思います。
まあ、そうやって物事を広げて考えてしまうのが、私の悪い性癖なのですが。

そうしたことを踏まえて考えるならば、闘病中の節子に対して、あるいは死を直前にした節子に対して、私の言葉はどうだったのかと反省しないわけにいきません。
節子は限界状況にあったと思いますが、私の言葉をどう受け止めていたでしょうか。
もちろん私たちは異身一心でしたから私への誤解はなかったと思いますが、もしかしたら私の言葉がさびしく響いていたかもしれません。
もう少し言葉を選べばよかったと反省しています。
でもまさかこんな形で別れが訪れるとは微塵も思っていなかったのです。

生きている以上、誰でもいつ別れが来るかもしれません。
言葉には注意したいと、改めて思い直しています。

皆さんは大丈夫ですか。
私のような辛い思いをしてほしくないと思います。

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2007/11/17

■節子への挽歌74:「とてちりてん」を観ていると節子を思い出します

NHKの朝の連続ドラマ「とてちりてん」をみていて、いつも節子を思します。
そして、ちょっとした場面で、涙が出てしまうのです。
妻を亡くした落語家が3年間、落語もせずに寝てばかりいる。
そのまわりで、主人公の家族たちのあたたかなつながりが展開されています。
家族の中心は主人公の母親です。
他にもさまざまな「つながり」が並行して、展開しています。
かなりコミカルな話なのですが、毎回のように私には涙があふれてきます。
人のつながりの哀しさ、喜び、あたたかさを感ずるからです。

以前だったら、そうは感じなかったと思いますが、
いまはちょっとした仕草や言葉から、その奥にある世界が感じられ、
それが私自身の世界につながってくるのです。
形はかなり違いますが、わが家にあった風景を見ているような気がすると同時に、
妻を思って何もできずにいる落語家の気持ちが、まるで自分の気持ちのように感じられるのです。
こんなに鮮やかに生きられたらいいなあ、という羨望の念も少し感じます。

私には、そうした潔さがかけていることを自覚していますので、なおのこと無念さもあるのです。
第一、こんなブログを書き続けることも、未練がましい小賢しさの現われです。
そう思うなら、そうしたらいいではないかとも思うのですが、そこまでふんぎれません。
未練がましく、社会との接点を持ち続けているわけです。
四六時中、妻を思って、寝てばかりいる落語家に敬意さえ感じます。
もしかしたら、節子も私にそうしてほしいと思っているかもしれません。

先週、久しぶりに知人に会いました。
私が、お話をさせてもらう場にわざわざ訪ねてきてくれたのです。
そして、鳩居堂のお線香などをもらいました。
10年以上もほとんどお会いしてもいなかった人です。
話をしていたら、実はその人のパートナーも闘病中なのだそうです。
なぜかとても心が通ずるのを感じました。

当事者の感受性は研ぎ澄まされます。
他の人にはなんでもない言葉に過剰に反応してしまうと同時に、
普段ならなんでもない言動に心が揺さぶられるのです。

節子は、しかし、私以上に感受性を研ぎ澄ませていたのでしょう。
それにきちんと対応できなかったことが悔やまれます。

節子に対しては、最後まで鈍感で終わってしまいました。
節子がいなくなって、2か月以上たって、初めてその鈍感さに気づきました。
そうした間違いを、きっとたくさんしているのでしょうね。

自分の愚かさに気づくたびに、節子の賢さに気づきます。
人の聡明さは、知識や論理ではなく、感性や素直さなのかもしれません。
今となって、やっと節子のほうが、私よりも聡明だったことに気づきました。
まあ、知識や論理は私のほうが格段に上のはずですが?、
そんなことは生きる上では、瑣末なことでしかありません。

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2007/11/16

■寄合民主主義と多数決権力主義

民俗学者宮本常一の「忘れられた日本人」で語られている対馬の寄合の話はご存知の方も多いでしょう。
こんな話です。

「古文書を借りたい」という著者の申し出に対し、「そういうことなら寄りあいで話しあって」ということになり、「寄りあい」がもたれました。
ところが寄合が始まっても、いろいろな話題に話が広がり、なかなか古文書の議論になりません。
時々、古文書の話に戻るのですが、すぐまた話題はそれてしまい、著者はいらいらするのですが、結局、最後はみんなの話を踏まえたまとめ役の一声で決まるという話です。
決して結論を急ぐことなく話しあい(関連する話題も含めてですが)を繰り返しながら、それぞれが考え、みんなの共通認識を作り、問題の「落とし所」を見つけていくというわけです。
そうした話し合いは、時には何日も続くことがあるのだそうです。

著者は、こう書いています。
そういう場での話しあいは今日のように論理づくめでは収拾のつかぬことになっていく場合が多かったと想像される。そういうところではたとえ話、すなわち自分たちのあるいてき、体験したことによせて話すのが、他人にも理解してもらいやすかったし、話す方も話しやすかったに違いない。そして話の中にも冷却の時間をおいて、反対の意見が出れば出たで、しばらくそのままにしておき、そのうち賛成意見が出ると、また出たままにしておき、それについてみんなが考えあい、最後に最高費任者に決をとらせるのである。これならせまい村の中で毎日讐きあわせていても気まずい思いをすることはすくないであろう。

どんな難しい話も、このやり方だと3日もあれば、結論が出るのだそうです。

この話は、日本的な民主主義として、よく語られます。
現在の多数決原理からすれば、効率的でなく、合理的でもないということになるでしょう。
実際に、20年ほど前に、私が町内かの集まりに出た時にも、こうした名残があり、何と非効率な、といらだったものでした。

しかし、本当に非効率なのでしょうか。
単一の目的のためであれば、確かに非効率かもしれません。
しかし、「みんなが問題を理解し納得できる」こと、さらには世界を共有すること(それがコミュニケーションだと私は思っていますが)、という視点から考えれば、極めて効率的だとも思えます。
単一の目的を切り口にして、もっと大切な基本的な合意が育っているといえるからです。

最近の効率的な合意づくりは、実は近代的な効率性、言い換えれば、還元主義的な各論的効率性でしかありません。
それによって発生する社会費用を考えれば、決して効率的とはいえないはずです。

昨今の国会での法案議論を見ていると果たしてこれが合意形成なのかと思います。
対馬の寄合に込められている日本人の知恵を、私たちはもう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

実は日本には、熟議民主主義の体験があったのです。
だからこそ、江戸文化のような成熟した社会が実現したのです。
その文化から私たちはもっと学んでいきたいものです。

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■節子への挽歌73:人をつなげる発想は節子から学んだものでした

昨日、節子の友人が3人、献花にきてくれました。
お話を聞いていて、気づいたのですが、私が「人をつなげること」に価値を見出し、その活動に取り組んでいるのは、どうやら節子の影響だったようです。

今日、来てくださった皆さんは、私たちが6年前まで住んでいた地域の人たちでした。
そのお一人が、こんな話をしてくれました。
節子が自治会の班長だった時(当番制だったそうです)、同じ班の人たちに声をかけて自宅で集まりをやったのだそうです。
それまでもなかったことであり、その後もないそうです。
その方は、それを覚えていてくださいました。

そういえば、隣の空地でサツマイモを育てて、カレーライスパーティもしたわね、ともう一人の人が言いました。
ともかく節子はそういうのが大好きでした。
子ども会の会長を引き受けた時には、オリエンテーリングをやったことも覚えています。私もスタッフとして使われましたので。

6年前に今のところに転居してからも、節子はそうしたことをやりたがっていました。
私が自治会長を引き受けた時、私は班の皆さんに声をかけて自宅で集まりを持ちましたが、これはどうやら節子の影響を受けていたのです。
私は自分の発案だと思っていましたが、節子が仕向けたことだったのです。
わけです。
節子はその時にはもう闘病中でしたので、自分が中心にはなれないことを知っていました。そういえば、その集まりの日もお菓子を用意してくれていて、終わった後にいろいろとアドバイスされたことを覚えています。
節子が中心になっていたら、きっと大きな輪になっていたでしょう。
私にはそれができませんでした。

節子は人をつなげる名人でした。
いや、つなげるのではなく、人と付き合う名人でした。
但し、素直に自分を生きている人でないと、節子は付き合いたがりませんでしたが。
そのあたりは、見事な直観力を持っていました。

今日、来た人たちも、実は節子つながりだったようです。
節子が入っていたコーラスグループにMさんが参加し、その縁でAさんも入会し、そのお2人が春の発表会にYさんを招待し、その時はもうコーラスグループを続けられずに聴く側になっていた節子が会場で久しぶりにYさんに会ったのだそうです。
それがきっかけになって、今日はその3人が来てくれたのです。

いろいろと私が知らない節子のことをいろいろな人から教えてもらいます。
教えてもらう度に、節子に惚れ直します。
来世で節子に会って、そうした報告を早くしたいものです。

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2007/11/15

■「国民のため」に、新テロ対策法を通したい人、反対する人

衆議院で新テロ対策特別措置法が成立しました。
与党は「国民にため」にこの法案を早く成立させたいといい、野党は「国民のため」に反対しています。
いずれも「国民のため」なのですが、「国民」って一体誰のことなのでしょうか。
軽々しく使わないでほしいものです。

市町村でも、よく「市民参加」とか「住民参加」といわれます。
しかし、だれを「市民」や「住民」に定位するかによって、その意味合いは全く変わってきます。
したがって、この言葉はまさに「偽装」や「詐術」の常套句なのです。

日本は小泉首相時代以降、「偽装」に依存する国家に成り下がっていますが、
政治家は「国民のため」などとあいまいな表現をするのではなく、価値評価できる具体的な言葉で国民に説明するべきです。
「国民のため」というのは、内容のないトートロジーでしかないからです。
そうした言葉にこそ、騙されるのが「国民」なのかもしれませんが、
そろそろ私たちはそうした世界から抜け出したいものです。

「テロ」の意味もろくろく考えずに、何がテロ対策だという思いが私にはあります。
拉致問題で、横田さんが「拉致こそテロ」と言っていますが、全く同感です。
江戸時代の百姓一揆の実態がかなり究明されてきたために、私たちが学校で学んだ百姓一揆の認識は大きく変える必要があります。
同じように、いま一般に「テロ」と見なされている活動も、もう少し広い視野で実態をみていけば、世界の認識は大きく変わるでしょうし、50年後にはテロに対する主客が転倒していることも充分ありえます。

話がまたそれましたが、「国民のため」とか「市民のため」とかいう言葉を聞くと、その人が考えている「国民」や「市民」って誰なんだろうかといつも考えてしまいます。
先日、朝日新聞に掲載された民主党の仙石議員の投稿記事に、「熟議民主主義」が少しだけ言及されていました。
また機会を改めて、そのことを書きたいと思いますが、「国民のため」の最初の一歩は、「熟議」です。
判断が分かれている問題を急いで決着するのではなく。みんながわかるように情報共有化を進め、異論をぶつけ合う中で、多くの国民が自らの頭で考え決めていくことこそが、「国民のため」ではないかと思います。

自らの意向を実現するために、「国民のために」などという詐術用語で正当化するべきではありません。
「○○のため」の○○には、自分ではない人間や人間集団を入れるべきではありません。
「アメリカの信頼を得るため」「アフガンの戦火をなくすため」「自衛隊の訓練のため」などといった、もっと実体のある言葉を入れなくてはいけません。
そういう言葉を入れていくと、問題の本質が見えてくるはずですから。
そして、偽装や詐欺は成立しにくくなるでしょう。

同じことは、高齢者のため、障害者のため、過疎地のため、子どもたちのため、などという言葉にもすべて当てはまります。
本当に今の日本は、偽装が満ち満ちているのです。

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■節子への挽歌72:節子の私へのプレゼントは娘たちです

私からの節子への最後のプレゼントは「希望」でしたが、節子のプレゼントは何だったのでしょうか。
それは言うまでもなく、2人の娘です。
私が今も元気なのは、そして生きる気力を持続できているのは、娘たちのおかげです。

母親を亡くした娘たちの辛さや悲しみも大きいでしょう。
しかし彼らは、それ以上に私の辛さや悲しみが大きいのを知ってくれています。
いろいろな人からも、妻の死は格別なのだからお父さんを大事にね、と耳打ちしてもらっているようです。
ですから私に対して、とても気遣いしてくれています。
口にはあまり出しはしませんが。

それに彼らは、私の生活力のなさを知っていますし、
私が節子なしに生きていけないことも知っていてくれます。
私がいかに節子を愛していたかも知っています。
だからいろいろと気遣ってくれるのです。

そんなわけで、彼女が残してくれた2人の娘が、
いまは私に、いろいろな意味で生きる力を与えてくれています。
幸か不幸か、2人とも未婚なのです。
きっと私が生きる力をしっかりと回復するまで、
私を支えるようにと節子が残していってくれたのでしょう。
節子の良い面も悪い面も、彼らはしっかりと受け継いでいます。

しかし、節子への甘えを娘たちへの甘えに切り替えるわけにはいきません。
彼女らが早く出て行けるように、私も自立しなければいけません。
そうしないと節子に怒られそうです。
彼女らを早く追い出すことが、私の生きる意味なのかもしれません。
それができたら、私は節子のところに行きやすくなります。
節子からのプレゼントは、もしかしたら「宿題」と言い換えたほうがいいかもしれません。
私にとっては、かなりの難問なのですが。

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2007/11/14

■節子への挽歌71:私たち家族の節子への最後のプレゼントは「希望」でした

節子を守れなかったのは私の責任であり、いまから思うと本当にたくさんの悔いが残ります。
突き詰めて考えていくと、節子を殺したのは私かもしれないと思うほどです。
罪の意識で心身が震えてくることもありますが、
その時には私たち家族が節子に贈った最後のプレゼントのことを思い出すようにしています。
節子はそれをしっかりと受け取ってくれたと私は確信しています。

そのプレゼントは「希望」です。
希望こそは生きる力であり、生きる意味だと思います。
私たち家族は、最後の最後まで、節子が元気になると確信していました。
それが裏目に出てしまったおそれは否定できませんし、
それが私の最大の罪の意識の源泉でもあるのですが、
その一方で、節子が最後まで回復する希望を持ち続けていたことを思うと大きな安堵の念が沸いてくるのです。

節子はどんなに辛くても、家族と一緒に生き続けるという希望を持ち続けてくれました。
私と娘が、奇跡が起こったからきっと治るよ、よかったね、と声をかけた時に、
節子は確かに「うん」とうなづいたのです。
それは、節子が息を引き取る12時間前、意識が朦朧としだす直前でした。
最後まで節子は治ると信じていたのです。

節子が最後まで元気になる希望を持ち続けられたことを、私はとてもうれしく思います。
そしてその「希望」を贈ることができた私たち家族、
それをとても素直に受け取ってくれた節子のいずれもが、私の誇りでもあります。
その誇りと喜びが、私の罪悪感を相殺してくれるので、私は何とか生き続けられているのです。

節子への最後のプレゼントは「希望」でした。
すべての希望を贈ってしまったためか、今の私の心の中には「希望」があまり見つかりませんが、
節子の思い出がまたきっと私の希望を育てていってくれると思っています。

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2007/11/13

■節子への挽歌70:友からの節子への挽歌

短歌同人誌「地上」が送られてきました。
もう88年目を迎えている同人誌です。
送ってきてくれたのは節子の友人で、倉敷在住の友澤さんです。
友澤さんは、この同人の一人です。
今号に友澤さんは「友の笑み」と題して、7首の歌を投稿してくれています。
そのなかから3首だけ紹介させてもらいます。

前向きにがんばってますと闘病の文に明るき友逝ってしまいぬ
友の笑みに笑み返したり明け方の夢枕に立つ節子さん ああ
空港で会いしかの日の笑顔のまんま友がはるばる永遠の別れに

節子はもう20年以上前ですが、友澤さんを含む4人の友だちとヨーロッパ食文化の旅に招待されたのです。
食文化に関するエッセーの募集に応募し、それが入選したのです。
とてもぜいたくな旅をしてきたようです。
一緒に行った人たちとはすっかり仲良しになり、闘病中もたくさんのエールをもらいました。
その人たちがお見舞いに来てくださった時、私は絶対に節子を治しますから、と約束してしまいました。
でも約束は守れませんでした。
申し訳ない気持ちでいっぱいです。

同人誌の7首を節子に読んで聴かせました。
いろいろな人が今でもなお、節子のことを思い出してくれている。
私にはこんなうれしいことはありません。
節子と一緒に、この喜びを味わえないのが辛くてなりませんが。

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2007/11/12

■「国防は最大の福祉」

私の平和活動は、大きな福祉を目指す活動です。
その一つが、コムケア活動であり、共創のまちづくりです。
いまはちょっと活動を中断していますが、みんなが快適に暮らせる社会の向けての行為こそが、平和の活動だと考えています。
私が行動する時にいつも意識しているのは、
「大きな福祉」と「共創(一緒に創りだす、つながりの関係)」です。

先日、テレビである若手政治家が「国防は最大の福祉」と話していました。
私はこうした発想には思いもいたりませんでした。
ネットで調べたら、民主党の西村慎吾議員のホームページが出てきました。
国防なくして福祉なし、と主張されていました。
こうした主張はかなり多いのですね。
いや、もしかしたら福祉国家論の議論から始まっている、「常識」なのかもしれません。
私が知らなかっただけかもしれません。

フーコーに始まる<生政治学>の視点で考えれば、警察国家も福祉国家も同じものです。
いずれも、「生」を守ることで権力の基盤を強めていきます。
そこで掲げられるのは、「安全で安心な社会」です。
その視点で考えれば「国防は最大の福祉」かもしれません。
但し、それを支える仕組みはブラックボックスに置かれ、
さらに国民の自己管理、自己監視が基本に置かれます。

それでは「福祉は最大の国防」といえるでしょうか。
私は「福祉は平和につながる」と考えていますが、
「福祉は最大の国防」という言葉には大きな違和感があります。
いや、そもそも「平和」と「国防」が結びつきません。

おそらく、「福祉」や「安心・安全」の意味が違うのです。
世の中には、2種類の「福祉」や「安心・安全」があるということです。
私は、国防によってもたらされる福祉には関心がありません。
どうも私が目指しているのは、そうした福祉とは正反対の福祉のような気がします。
まずは、「国防は最大の福祉」という呪縛から解放される必要があります。
人道支援の名の下に、住民の生活を壊すようなことが行われてはなりません。
国防と人道支援とは次元の違う話です。
同じように、国防と福祉も次元が違うのではないかと言う気がします。

実は、私がこの言葉をテレビで聴いたのは、民主党の原口議員からです。
私にはとても共感できる発言の多い原口議員にして、やはりそうした発想なのかと、
いささか気になりますので、もう少し考えてみたいとは思っていますが。

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■節子への挽歌69:いたるところに節子がいます

仏壇だけでは狭いと思い、主な部屋に節子の居場所をつくりました。
といっても、写真とちょっとした依代(よりしろ)をつくっただけですが。
そのためにどこにいっても節子がいる感じです。
ところがそれがまたなんとも奇妙な気分になります。
それぞれの節子が別人格を持ち出したのです。

部屋で仕事をしていて終わると「節子、今日はこれで終わりにするよ」と言って、下の仏壇の節子に「おやすみ」の挨拶をし、寝室に行って、節子戻ってきたよというようなことになるわけです。
なんだか急に、女房がたくさん出来たような気分です。
庭の献花台にも節子が宿っている気もします。
その上、お墓にも節子がいますし、実はポータブル節子もいるのです。
一夫多妻制になってしまいました。

それぞれの節子が喧嘩をしださないでしょうか。
いささか心配です。

書き方が少し不真面目に聞こえるかもしれませんが、それぞれが別人格化していくのを感じるのは事実です。
意識を集中しているとリアリティが生まれるものです。
しかし、これだけたくさんの節子がいるのに、さびしさは減じません。
返事がないからです。
いつか返事をしてくれるようになるでしょうか。
なるよと言ってくれる人もいるのですが。

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2007/11/11

■「みんな幸せになるなんてありません」

妻が亡くなってから、時間をもてあまし、最近はテレビをよく見ます。
今朝も、吉村作治さん、曽野綾子さん、三浦朱門さんの鼎談を見ていました。
新聞を読みながら見ていたため、聴き違いがあるかもしれませんが、とても気になる発言がたくさんありました。

たとえば、格差社会に関して「みんな幸せになるなんてことは無理」というような話がありました。
そこで出てきたのは、鳥の子育てでも強いものを残していくというような発言が出てきました。
弱いものは捨てていくのが生物界のルール、人間だけが弱いものを生かそうとしているというような話です。
さすがに三浦さんだけは「さまざまな遺伝子を残すことが大切だ」と少しだけフォローしていましたが、曽野さんや吉村さんは反応もしませんでした。
恐ろしい話です。

ダーウィンの自然淘汰説や適者生存論には学生の頃から違和感がありました。
いずれも結果からみた現実正当化のための解釈学でしかないという気がしたのです。
それに社会ダーウィニズムにみるような、競争や対立を正当化する議論にはどうしても反発を感じました。
それに、自然界がそんなに生存競争に明け暮れているはずがないという思いもありました。
私は子どもの頃から自然の生き物が好きでしたが、彼らはみんな攻撃などはしてきません。
こちらが邪魔しなければの話ですが。
自然の中の動植物は、それぞれうまく折り合いながら生きています。
いや、協力し支え合いながら生きています。

競争を強調するダーウィン進化論の見直しは進んでいますし、
地球全体が支え合いの仕組みであり、ひとつの生命体だというガイア仮説もかなり認められだしています。
多細胞生物は、単細胞生物が協力したがゆえに生まれたという説もあります。
「進化の本質は普遍的な協調にある」と言う人もいます。
そもそも弱肉強食などという考え方は、権力抗争の中で生まれた発想ではないかと思います。
そうした先入観で自然や社会を見ている限り、真実は見えてこないでしょう。

近代は格差と競争の時代でした。
だからこそ、戦争や開発が広がったのです。
そろそろそうした呪縛から抜けなければいけません。

「みんな幸せになること」は決して難しいことではありません。
みんなが素直に生きれば、自然とそうなるのではないでしょうか。
生きていることはそもそも幸せなことなのです。
その原点に戻れば、その方策も見えてくるはずです。
小賢しい有識者の言葉に惑わされないようにしたいと思います。

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■節子への挽歌68:「いつも前向きだったので、そんなに悪いとは思ってもいませんでした」

節子はいつも前向きでした。
辛さを家族以外の人にはあまり見せませんでした。
ですから、電話をかけてきた人は節子が病気であることさえ気づかなかったかもしれません。
辛そうにしているのに、電話に出ると声が変わるのです。
そして電話が終わると、休みたいと言いました。
人に会う前には鏡を見て、自らを鼓舞していました。
それも7月の中旬からは、できなくなってしまいましたが。

「いつも前向きだったので、そんなに悪いとは思ってもいませんでした」という方が少なくありません。
その話を聞くたびに、私自身もそう思い込んでいたのではないかという後悔が起こります。
本当に節子は前向きでした。
その一事だけでも、私は節子を尊敬し、節子に感謝しています。
いつも前向きの節子と40年、一緒に暮らせたことは幸せでした。
その節子を裏切らないように、私も前向きに生きようと思っていますが、
前向きとは何なのか、と考えると、そう簡単な話ではありません。
早く節子に会うようにするのも、間違いなく「前向き」の一つですから。

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2007/11/10

■脱貨幣社会の気分をちょっと味わっています

政治問題はもう辟易しましたので、今日はちょっと体験的な生活時評です。

ちょっと大げさのタイトルですが、今週はいろんな人からいろんなものをもらいました。
今日は福井からたくさんの野菜が届きました。
義姉夫婦が農業をやっているので、定期的に届くのです。
一部を近隣や兄夫婦にお裾分けしました。
午後には近所の人が新鮮なカブをたくさんもらったのでとお裾分けしてくれました。
昨日は、やはり近くの人が実家に帰って庭の柿を採ってきたのでとお裾分けしてくれましたし、
その前日は実家からわかめがどっさり届いたといって持ってきてくれた人もいます。
亡くなった妻が、お裾分けが好きだったのですが、そのおかげでわが家にはいろんなものが届きます。
お金がなくても暮らしていけるのではないかと思うほどです。

野菜だけではありません。
手づくりのジャムやきしめんが届くこともあります。
またわが家の家庭菜園からのお裾分けが虎屋の羊羹になったり、和菓子になったりすることもあるのです。
妻は近くの高齢者の家から夏みかんをもらってジャムにしてお返ししていました。
他の人からもいろんなジャムが届きます。
私には不得手なジャムもあるのですが、なかなかジャムは買うチャンスがありません。
他にも、古着を活用した裂き織のバッグだとか、妻はいろいろとリサイクルユースしていました。
ケーキもよく作っていましたが、ケーキ屋さんのよりも私の口には合いました。
娘もその文化を引き継いでいますが、そうしたおかげで、わが家の金銭支出はかなり低いはずです。

私は、百姓の生活が理想ではないかと思っています。
百姓生活にはさほど現金はいらないはずです。
女房と違って実践力がありませんが、亡き妻のおかげで、いまその恩恵を受けているわけです。
今日も来客があったのですが、わが家のつつましやかな家計と生活の質の正の相関について話をしていたところです。
なかなか理解はしてもらえませんでしたが。

お金の使用を最小限にする生き方をみんなが始めたら、どうなるでしょう。
きっと経済は失速し、景気は悪化するでしょう。
不要な仕事を創出することによる経済の活性化は、それを知ったときには実に新鮮に思えたのですが、
今では何という馬鹿げた話かと思います。
どこかで何かが間違っているように思います。

大切なのは経済ではなく、暮らしです。
経済が回復して暮らしが辛くなるようなことはどう考えてもおかしいです。
やはり、現在の経済システムは基本から考え直す必要がありそうです。
暮らしを良くするために現金は必要ですが、現金がなくても暮らせる仕組みを回復できないものでしょうか。
その視点で考えると、過疎問題や限界集落も違う捉え方ができるように思います。

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■節子への挽歌67:みんなの悲しみをわかちあう安堵感

今日は朝から雨です。
雨の日は悲しくなります。
雨の音が節子の涙に聞こえるのです。
そして灰色に覆われた空を見ていると目が離せなくなるのです。
灰色の雲の向こうに、節子はいるのではないかと思ってしまうのです。

もう25年くらい前でしょうか、初めてペルーのリマに着いた夜のことを時々思い出します。
3週間の南米旅行で私の印象に残ったのは、唯一このことでした。
深夜過ぎに空港に着き、ホテルに着いたのは確か夜中の1時過ぎでした。
空港からホテルまで、そしてホテルについてからも、私にはずっと泣き声が聞こえていました。
人の泣き声ではありません。リマの街全体が泣いているのです。
インカの涙としか思えませんでした。
この時に、「おそろしいほどの悲しさ」を初めて感じました。
一緒に行った人たちにも、それが聞こえていたかどうかはわかりません。
誰も私の話には共感しませんでしたので、私だけかもしれません。

ペルーでは、今ではほぼ砂山でしかないパチャカマの遺跡に行きました。
節子であれば、ただの砂と日焼きレンガではないかというでしょうが、
私にはそこで暮らしていた人たちの涙が聞こえてきました。
いのちの記憶は必ず残っているものです。
遺跡が好きなのは、そうした声を聴くと心が揺さぶられるからです。

灰色の空を見ていると、悲しくなる一方で、心が落ち着くのはなぜでしょうか。
きっとたくさんのいのちが悲しみをわかちあっているからでしょう。
今日はこの悲しさの中で、節子の思いに浸りたいと思っています。

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2007/11/09

■国家を私するものたちの志

最近、テレビのニュース報道にはまってしまい、よく見ています。
今朝のテレビ朝日のスーパーモーニングは面白かったです。
政治評論家の三宅さんが、コメンテーターや司会者の知ったような発言を鮮やかに切り捨てていて、胸がスーッとしました。
本当にコメンテーターと言う人たちのコメントはリアリティがありません。
論理演算だけのバーチャルな発言だといつも感じます。
今朝のテーマは、「幻の大連立水面下の極秘交渉80日…安倍辞任劇との点と線」というものです。
そこに含意されるのは、日本の首相さえ替えてしまう「ある権力グループ」の存在を匂わせます。
私もそう考えている一人ですので、見てしまったのですが、三宅さんの見事な対応振りに見入ってしまいました。

日本の悪しき密室政治は、森政権に始まると私は思っています。
森政権は青木さんと野中さんを中心に、財界も絡んでの密室協議で政治を、もっといえば国家を、私欲の次元で私したものではないかと勝手に想像しています。
あのあたりから日本は嘘を肯定する文化が生まれだしたように思います。

つい先日、「国家を私するものたちの志こそが、国家を動かしているのではないか」と書きました。
そして、そもそも国民国家とはそういうものではないかとも書きました。
ちょっと考えの途中で書いたので、論旨不明確な記事になっていたかと思います。

「国家を私するものたちの志」は、かつてはノブレス・オブレッジの発想がセットとしてついていました。なぜなら自分のものを守るためには自分が犠牲になることはなんら抵抗がないはずだからです。
しかし、昨今の「国家を私するものたちの志」にはそんなものはなく、単なるフリーライダーの発想なのかもしれません。
現在は過渡期であり、ノブレス・オブレッジ付きの志とフリーライダー的な志が混在しているように思います。

小沢さんの志は前者、渡辺さんや福田さんの志は後者という気がしています。
だからこそ多くのコメンテーターやジャーナリストは小沢さんに厳しくあたっているのではないかという気もします。
人は自分と同じ考えの人の考えに共感するものです。
小沢さんの政策理念には全く反対ですが、最近、何となく好きになってしまいました。
つまりもしかしたら、私も平和主義者ではなく、戦争主義者なのかもしれません。
いや、本当は小沢さんも平和主義者なのかもしれません。
そうであってほしいですが、まあ、そんなことはないでしょうね。

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■節子への挽歌66:献花台がにぎわってます

献花台にいろいろな人が来てくれます。
そのおかげで、私自身はなかなかお話しする機会がなかった人ともお話しする機会がもらえます。
節子の自慢になりそうですが、昨日来てくださった方は、
「節子さんのお人柄で呼び寄せられるのです」と言ってくださいました。
「奥さんの笑顔が忘れられません」と涙ぐんでくれた方もいます。
1年半前に転居してきたばかりでまだ知り合いもいない時に、
道で出会った節子が笑顔で声をかけたのだそうです。

私の書いた七七日法要の手紙を読んで、こういう心のこもった手紙は初めてでとても心に響きました、と来てくださった方もいます。
昨日ではないですが、わざわざ手紙を持ってきてくれる方もいます。
会葬御礼も七七日法要報告も、既定の様式がありますが、おそらくそうしたものは読まれずに捨てられます。
しかし、自分の言葉でかけば、それだけでみんなの心に響くのです。
そしてほんの少しかもしれませんが、ちょっと幸せな気持ちになることができるのです。
私の手紙は、特別のものではありません。
読んでもらえれば分かりますが、素直な駄文でしかありません。
だれでもが書ける文章です。
でも定型文があるために、みんな自分で書こうとはしないだけなのです。
それは死者への冒涜であり、悲しんでくださった方への無礼だと、私は思います。

昨今の葬儀のスタイルは基本から見直さなければいけません。
今回の体験で、改めてそう思います。
葬儀をしてくれた葬儀社のコンサルティングをしようかという気もしています。
節子が喜ぶかどうかが問題ですので、まだ申し入れはしていませんが、
節子が教えてくれたことは無駄にはしたくないと思っています。

私と節子の生き方が、みなさんにちょっとだけ「しあわせ」をもたらせれば、望外の喜びですし、節子にも喜んでもらえます。
いうまでもありませんが、節子の友人たちのほとんどは、どういう人か私にはわかっていません。
話しているうちに、ああそういう関係だったのかとか、節子はそういうふうに思われていたのかとか、いろいろのことがわかってきます。
私にとっては、節子との世界をさらに深めることにもなるわけです。
節子の友人たちの後ろにいる節子と出会えることは、とてもうれしいことなのです。

献花に来てくださる人たちと話していると、節子はとてもいい人生を過ごしていたのだなとうれしくなる一方で、そうした豊かな人生を続けられなかったことがますます不憫になってきます。
こんなにたくさんの友人たちに囲まれていたのに、節子はなぜこんなに早く旅立ってしまったのでしょうか。
無念で無念で仕方ありません。
抱きしめてやりたいほどに不憫です。

ところで、昨日はほかにも弔問客がありました。
キチョウです。
絵葉書のキチョウではありません。
ほんもののキチョウが献花台の周りを飛んでいました。
写真に撮り損なってしまいましたが、ちょっと幻想的な気分にひたることができました。

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2007/11/08

■法律の成立が国政進展の証拠でしょうか

国政に関してはしばらく書くのをやめようと思うのですが、テレビを見ているとどうも書きたくなってきます。
困ったものです。

たとえば、今朝のテレビで、ある人が「国民の政治への関心が高まっているので、
それを低めることだけはしてほしくない」と鳩山幹事長に言っていました。
あなたたちのせいで関心の矛先が違うほうに向いているのではないかと、腹立たしくなりました。
小沢さんの苛立ちがよくわかります。
政治への関心と言ってもいろいろあります。
コメンテーターのみなさんの類の関心であれば、高くなったところで現実はよくはならないと私は思います。

まあ、こうした類の議論が盛んに行われているので、とても気分が悪いのです。
そのくせ、気になってテレビをよく見るようになりました。
私自身が、政治へのレベルの低い関心を高めているようです。
困ったものです。
政治はサーカス(見世物)ではないはずですが。

ところで、前から気になっていたことですが、
ねじれ国会のために福田政権になってから法律が制定されず、
国政が進展していないという話があります。
国政の進展が法律成立の数によって示されるという考えを聞いて、驚きました。
まさに手続きの時代、形式的な法治国家の時代です。
法律は少なければ少ないほど良い政治だと私は思っています。
大切なのはリーガルマインドです。
これに関しては、これまでも何回も書いてきました。

また、法律がなければ国政を進められないのであれば、
それこそ法律があればサルでも国政は進められることになります。
確かに国会は立法が使命ですが、法律を作ることは目的ではありません。

権力に対する刑事告発の動きが始まったことも書きましたが、その動きは鈍ってきているような気もします。
まさにパフォーマンスだったのでしょうか。
フィブリノゲンに関しては、私は未必の故意による殺人事件だと思います。
そのことは以前も何回か書きました
そうしたことを明らかにせずに、和解してしまう神経が理解できません。
もっともそれらは別の問題です。
被害者の救済は裁判とは別に進めるべきでしょう。
時間に余裕はないはずです。当事者の時間感覚で考えなければいけません。

法律を創ることは必要かもしれませんが、法律が問題解決の障害になっていることも知らなければいけません。
年金問題でも医療問題でも、いや民間のさまざまな不正事件や犯罪行為でも、
法律があるために処罰したり取り締まりできないことも決して少なくありません。
リーガルマインドを失った法治国家ほど恐ろしいものはないように思います。
法曹界の人たちは市場が増えてうれしいかもしれませんが、良心だけは失ってほしくないものです。

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■節子への挽歌65:なんで元気な時に今のような生活をしなかったのか

私の生き方はやはり間違っていた、と最近つくづく思います。

節子が自宅療養するようになってから、私はすべての活動を中断し、自宅で節子と一緒に治療に取り組みました。
そして、節子が息を引き取った後、2か月間、ほとんど自宅で過ごしています。
それも節子のことを思いながら、ぼんやりと過ごすことが多いのです。

なぜこうした生活を節子の状況がまだそう悪化しない時にやらなかったのか。
節子がいなくなってから、いくら節子のために時間を割いても意味がないではないかと悔やまれます。

節子が病気になってから私はほぼビジネスの仕事はやめました。
しかし、まちづくり支援やコムケア活動はビジネスとは違って無責任にやめることができないと理屈をつけて、継続していました。
もちろん活動量は激減しましたが、意識の上では残っていましたから、自宅にいてもパソコンなどでの対応を結構していました。
それに関係者から相談があると断れずに出かけてしまいました。
節子はもちろん出かけてもいいよと言ってくれていましたが、本当は在宅していてほしかったのかもしれません。

節子の病状が悪化した後、あるいは節子が亡くなった後は、みんなも私を気遣ってくれて相談してこなくなりました。
だから今のような生活ができるのかもしれませんが、たぶん、そうではなく要するに私自身の時間使用に対する優先順位のつけ方が変わったのだと思います。
イラクで何が起ころうと、私は今ではデモにも行きません。
地元の市議選がまもなくありますが、私は誰にも協力しません。
大切なテーマの集まりでも、よほどの理由がないと参加しません。
いま私にとって最優先事項は節子の関係なのです。
節子の献花台に来てくださる方がいたら、原則として自宅にいます。
私がいて意味があるのかと娘から言われても、私には意味があるのです。

生活において、何を優先するか。
私は常にそれを意識してきましたが、もしかしたら間違っていたのではないかと反省しています。
もっともっと節子のために時間を割くべきでした。

私のような間違いを、みなさんは犯さないようにしてください。
後悔しても何の役にも立ちませんので。

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2007/11/07

■節子への挽歌64:鳥と花、そして蝶

節子は「鳥や花になってわが家にチョコチョコ戻ってくる」と書き残しました。
その文字を見ると、涙がとまりません。
思い出しただけでも、涙があふれてきます。
今も涙でキーボードが見えにくいです。

前にも引用した「無所有」の中にこんな文章が出てきます。

ある詩人の言葉であるが、「花と鳥と星は、この世で一番清潔な喜びを私たちに与えてくれる」というのである。だがその花は誰かのために咲くのではなく自らの喜びと生命の力で咲くのである。森の中の鳥は自分たちの何にもとらわれない自由な気持ちでさえずり、夜空の星も自分自身の中から出す光を私たちに投げかけるだけなのである。
この文章は、美しさとは内から染み出てくるものだということの説明として出てくるのですが、前に読んだ時には気にすることもなく読みすごし、全く記憶にも残っていませんでした。
しかし、昨日、読み直していてこの文章に出会った時にはなんだかうれしくなってしまいました。
星こそ出てきませんが、花と鳥は節子が残した言葉です。
本に感動するというのは、この程度のことなのかもしれません。

それはともかく、節子の話に戻れば、普通なら「花と蝶」ではないかと思うのですが、なぜか節子は「花と鳥」といいました。
なぜでしょうか。

今度、献花台をつくった場所に、鳥たちのための餌台が前からあります。
節子が作ったのです。
そこに果物などを置いておくのですが、小さな鳥がそれをついばんでいる時に、カラスやハトがくると節子は小鳥たちのためによく追いやっていました。
その餌台に節子は来ようとしているのかもしれません。
それともう一つ、わが家の近くの樹木で鶯(うぐいす)がよく鳴いています。
特に今年は長いこと鶯が鳴いていました。
それが、節子に鳥を選ばせた理由かもしれません。

ところで、昨日、ある人から絵葉書が届きました。

奥様のご闘病を知り、祈りの気持ちを添わせていただいてから今日まで、佐藤さんご家族のお姿は、本当に暖かい美しいものでした。その思いが形になった素敵な献花台に私は小さな蝶を捧げます。
秋風とキチョウの写真でした。
献花台に供えさせてもらいました。
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2007/11/06

■どの党が政権をとるかより、日本が良くなるかどうかが大切でしょう

小沢さんの辞意表明に始まった騒ぎはさらに広がっています。
気になって、どうもテレビばかり見ているのですが、
見るたびにどこか論点が間違っているように思えてなりません。
街中の人はいいとしても、テレビでコメントしているジャーナリストやコメンテーター、あるいは評論家の人の発言を聴いていると、改めて政治とは何なのかが気になります。

「もう少しで自民党を追い詰められたのに」とか「政権奪取が目前だったのに」とか「これでもう自民党への対決姿勢も強められない」とか、いろいろと言われます。
政権放棄した安倍さんと同じじゃないかと言う人までいます。
また「民主党に投票した国民は裏切られた」とか「民主党の信頼性が崩れた」とか「損をしたのは国民」とかいう議論にも呆れます。
もちろん国民の一人が自分の意見として言うのは全く異論はありません。
しかし、テレビでの発言は世論を創っていくのです。
国民がどう思っているかなどわかるはずがないことを、国民の代表のようなつもりで発言するべきではないでしょう。
信頼していたコメンテーターにして、そうです。
彼らにはたぶん理解できないことだったのでしょう。
ともかく、政権交替や二大政党論が議論の中心になることが多く、日本が良くなるかどうかという議論は全く出てきません。
それが気になるのです。
みんな、政治と言うものをどう考えているのでしょうか。

政治は確かにゲームの側面を持っています。
しかし、大切なことは「社会が良くなるかどうか」ではないかと思います。
政権奪取はもちろんですが、与党を追い込むとか対決するということも、政治の実体をよくしたいからのはずであり、それらはあくまでも手段でしかありません。
そういう意味では連立も手段であり、代表交替も手段です。
小沢さんの辞意表明は、もっと大きな問題提起をしているはずです。
それがわかりにくいのは事実ですが、それをわかりやすくするのがあなたたちの役割だろうといいたいです。

ほとんど例外なく、みんな政治の実体よりも、誰が政権をとるのかの権力競争に興味があるようです。
実体から議論している人はほとんどいません。
私がしっかりした議論をしていると感じたのは、民主党の原口議員だけです。
大きな失望を感じます。

党首会談が密室談合だと言う人もいます。
とんでもない話だと私は思います。
密室政治が悪いのは、その密室議論がまさに密室的に行われるからです。
今回の党首会談は、公然と行われましたし、不十分とはいえ、その内容の報告も行われました。
公開性こそが民主主義の本質だと私は思っていますが、だからすべてを一挙に公開の場で行わなければいけないというわけではありません。
それこそがオーウェルの「1984年」の世界であり、息苦しい世界でしょう。
公開とは何かを議論する必要がありますし、ましてや今のようなモンタージュ技法を駆使して情報を捏造し偽装するマスコミの横行の中で、公開にやることのマイナス面は大きいこともあります。
一方で監視社会を危惧している有識者であれば、それくらいのことは理解できるはずです。

政権どりごっこよりも、日本の社会が良くなることが大事です。
政治は亀田の試合とは違うのです。
なぜそんな基本的なことをみんな理解しないのか、不思議でなりません。

あるいは、私がよほどおかしいのかもしれません。
まあ、最近の私の行動を考えると、私がおかしい可能性は決して小さくはないのですが。

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■国民国家の偽装の露呈

小沢さんが代表辞任の記者会見をした日の朝、中
曽根元首相と読売新聞主筆の渡辺恒雄さんが話しあうのをテレビで観ました。
お2人が国の先行きを考え、憂いていることがわかります。
2人とも、大連立こそ日本を救う道だと考えているようです。
このままだと、国会のねじれ現象は6年続き、何も決められず、
国際社会への責任も果たせないというのです。
そして、勝海舟と西郷隆盛の江戸開城の話まで出てきました。
聞いていると、なるほどと思ってしまうような気もします。

だが、どこかでおかしい気がします。
待てよ、この人たちは国家を私物化しているのではないのかという気がしだしたのです。

それは必ずしも否定的な意味ではありません。
「国家を私するものたちの志こそが、国家を動かしているのではないか」という思いがしたのです。
さらに言えば、国家とはそもそも私物化される存在ではないのかという気がしてきました。
近代において生まれた「国民国家(Nation State)」は、
「自分たちの国」と思う「国民」によって成り立っている、「コモンズ」なのです。
だとすれば、私物化の原理が基本にあって当然です。
その「私」(自分たち)の範囲が広くなることで、国家の基盤は強くなり、意味を持ってきます。
だから国民国家の最大の課題は国民を育てることです。
そこに「教育」の意味があり、憲法や制度の意味があります。

しかし、ちょっと視点を変えると、国家を一番私物化しているのは国民なのです。
フリーライダーしながら、国家に異議申し立てをしていれば自分の存在意義を確認でき、仕事も生み出せるわけです。
国家は自分でもあり、他者でもある便利な存在なのです。

党首会談を働きかけたのは渡辺恒雄さんだという噂も出ています。
今回の騒動は、国家を私するものたちの志が生み出した物語であることは間違いありません。
その故にこそ、国民国家の「偽装」が見え出した象徴的な事件なのかもしれません。
偽装は最近の流行ですが、国家の偽装が見えてきたことは皮肉な話ではないでしょうか。

日本の社会では「偽装」を暴露した人は報われません。
耐震偽装事件も食品偽装事件もそうでした。
それもまた私物化原理による国民国家の必然なのかもしれませんが、
小沢さんへの批判は留まることがないようです。
その事件も興味はありますが、その根底で動いている歴史の流れにも目を向けたいものです。
「マルチチュード」の岐路なのかもしれません。

ちなみに、私はまだ小沢さんの言動に共感しています。賛成ではありませんが。

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■節子への挽歌63:節子の写真を見ることができません

この4年間、節子の写真をたくさん撮りました。
旅行に行くたびにどっさりと写真を撮ってきました。
それ以前から、わが夫婦は写真が好きでした。
私は撮るだけでしたが、節子はそれをきちんと整理していました。
ですから、わが家にはたくさんの節子の写真があります。

一度、写真のことを書きました。
葬儀に遺影として使った写真よりも節子らしい写真があったと書きました。
しかし、その写真を毎日見ているうちに、やはりその写真も節子ではないような気がしてきました。
節子はもっとあったかでやさしかったと思えてなりません。

そこでもっといい写真を見つけようと、残っていた写真を見始めたのですが、
写真を見るほどに悲しくなり涙がとどめなく出てきました。
今年の正月には一緒に初詣にも行っています。
その節子がいないのです。
もう初詣にも一緒に行けません。
節子の好きだった箱根の写真も出てきました。
箱根には2人の思い出が山のようにあります。
最近はテレビで箱根が映ると無意識に目をそらしています。
ましてや箱根での節子の写真は見ることもできません。

写真を探すのはやめました。
何時になったら写真を見られるようになるのでしょうか。
節子が残したたくさんのアルバム。
なぜ私たちはこんなに写真を撮ってきたのでしょうか。
写真よりも、心の中にもっとたくさん残しておくべきでした。

そういえば、節子がいなくなってから、写真を1枚も撮っていません。

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2007/11/05

■節子への挽歌62:最初の出会い

節子と結婚することになったのは、いくつかの偶然の結果です。
当時、私は会社に入社したばかりでした。配属は滋賀の大津の工場でした。
毎週のように京都や奈良に出かけていました。とりわけ奈良が好きでした。
西ノ京や佐保路が大好きでしたし、東大寺も好きでした。
東大寺の三月堂の空間に座っているとなぜか時空を超えて生きている感じがしました。
その日も、一人で会社のある石山から電車に乗りました。
そこに、節子が友だちと乗っていました。
節子も友だちも、私と同じ会社の社員でしたので、面識はありましたが、それほど話をしたことはありませんでした。
2人とも、それぞれの親戚に遊びに行くところでした。

でまあ、気楽に誰か一緒に奈良に行かないかと誘ったのです。
節子はたまたま先方にはまだ連絡していなかったこともあって、その誘いに乗ってしまったのです。
それで2人で奈良に行くことになったのです。
これがその後を決めてしまったのです。

奈良は興福寺から東大寺の月並みのコースでした。
このコースは何度歩いても好きなコースでした。
そこで何を話したのか、結婚した後には2人とも思い出せなかったのですが、2人ともなにかとてもあったかなものを感じた1日だったことは間違いありません。
私が覚えているのは大仏殿の裏庭で1時間近く日向ぼっこしながら会話していた風景です。
初めての2人が一体何を話していたのでしょうか。
今となっては思い出せないのですが、節子は私の話がとても不思議な話で、どこまで信じていいのかどうかわからないので興味を持ったのだそうです。

それからいろいろありました。
たぶんこの調子で書いていったら1冊の本になるくらい、ドラマもありました。
そして、私は節子に夢中になってしまったのです。
節子は、しかし、私には夢中になりませんでした。
それでますます私が夢中になってしまったのかもしれません。

そのことが、その後もずっと尾を引きました。
私はいつも節子に言いました。
「私が節子を愛している、せめてその半分くらいでいいから、私を愛してほしい」
彼女の返事はいつも、
「考えておく」
でした。
それがもしかしたら、私が今なお、節子に夢中になっている理由かもしれません。

この挽歌は、愛したけれど愛されなかった男の、未練がましいプロポーズの続きなのかもしれません。
はい。

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2007/11/04

■小沢民主党代表の辞任表明会見での意見を支持します

民主党の小沢代表が辞任の意を表明しました。
最初は安倍さんと同じで、何と無責任なと思いましたが、記者会見を見て、とても納得できました。
最初から最後まで、きちんと見ました。
おそらくニュースなどでは、またその一部が編集されて報道されるのでしょうが、全部をしっかりと見ることが大事だと思いました。
小沢さんは会見で最後にマスコミの報道姿勢への憤りも表明しました。
これにも共感しました。
しかし、記者会見での質問は、ほとんどが的外れというか、興味本位の質問でしたし、それに関連したテレビの街の人の声などを見ていると小沢さんの憤りもよくわかるような気がしました。

私は小沢さんにはかなりの不信感を持っていますし、その考え、とりわけ安全保障に関する考えには賛同できませんが、今日の記者会見での発言は理解できました。

安全保障の基本方針の転換を小沢さんは強調しました。
一国の恣意的な方針への恣意的な対応ではなく、国連の方針を拠り所にするという原則を確立しようということです。
それができれば、政策協議をやるべきだという話です。
常識的に考えれば、極めて当然のことです。
大連立などと無責任なマスコミや有識者がはやし立てるので、事の本質が見えにくくなっていますが、この限りでは全く違和感は在りません。反対するばかりが野党の役割ではないと、みんな言っていたはずです。

小沢さんはまた、生活の視点での自分たちの政策も実現しなければ意味がないと話しましたが、全くその通りです。
政権交代ばかりが話題になりますが、自民党と民主党が交替することなどは、国民の生活にとっては瑣末なことです。
マスコミがはやし立てるほど、意味のある話ではありません。
大切なのは国民の生活の舞台の状況が変わっていくことです。
小沢さんの話には、「国民の視点」が感じられました。
もっとも、その国民が「国民の視点」を失っているのが日本の現状かもしれません。

即座に断らずに持ち帰ったことが問題だなどという人が多いです。
そういう人は、民主主義を否定する人でしょう。
どうしてそんな馬鹿な議論が出てくるのか不思議ですが、そうした状況を創ったのは政治を「サーカス」にしてしまった政治評論家やコメンテーター族などのマスコミ寄生者たちでしょう。

小沢さんの記者会見を見ての即座の反応ですので、明日になったら書き直したくなるかもしれませんが、第一印象として書き残すことにしました。

私は、小沢代表の支援の声が高まり、代表を継続し、当然の政策協議に入るのが一番だと思います。
その可能性は極めて小さいかもしれませんが。

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■二大政党制は大政翼賛会体制の変種

福田・小沢会談で、連立構想が出されたそうです。
自民党も民主党も、ディシプリンがあいまいで、どこがどう違うのかよくわかりませんので、連立しても一向におかしくない話です。
党利党略から言えば、重要な課題でしょう。
しかし、仮に大連立が成立すれば、まさに大政翼賛会への道になるといわれています。

両党の共通点は、「戦後レジーム」の否定かもしれません。
わずかの例外はいるでしょうが、両党のほとんどの党員は日本を軍事国家にしようと考えています。
もっと正確に言えば、すでに軍事大国の日本の軍事力を解放したいと考えています。
それは戦争の世紀だった20世紀レジームへの回帰と言ってもいいでしょう。
日本の憲法9条体制は戦後のあだ花でしかなかったという認識がそこにはあります。

テレビの国会議員のやり取りを聞いていると、たとえば安全保障や外交は現状の継続でなければ政権担当能力はないという認識が感じられます。
明確にそう話す議員もいます。
政治は現状の追認ではありませんから、そうした発想は行政の論理でしかないと私は思います。
政治においては、革命的な非連続発想も視野に入れるべきでしょう。
しかし、非連続の政策はよほどの状況でなければ国民は受け入れないでしょうから、民主主義を標榜する社会では革命は起こりにくいです。
そこに現代政治の限界があります。
民主主義を要素に持っている政治は革命にはなじめませんから、パラダイムは変えられないのです。

日本には財産としての憲法9条があります。
これを拠り所にすれば、もうひとつの日本の形がデザインできるはずですが、社会党も共産党もそれに成功しませんでした。
そしてなによりも国民がそれを選びませんでした。
ヒトラーが最後に口に出したように、結局は私たち国民が戦争を選んでいくことになるのでしょうか。

瑣末な戦術や利権主体の違いによる二大政党制など、大政翼賛会と同じようなものでしかないでしょう。
そもそも二大政党制というのは、大政翼賛会体制のバリエーションでしかない、と私には思えて仕方ありません。
そういう認識の下では、大連立の是非などはむなしい話でしかありません。

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■節子への挽歌61:世界で5番目に幸せにします

節子からいつもからかわれていたことがあります。
結婚する時に、私が「結婚したら世界で5番目に幸せにする」と約束したことです。
私は生活信条として嘘はつかないことにしています。
「世界で1番」は無理だけど、5番目くらいなら何とかなるだろうと考えたわけです。
節子は、なんで「5番目」なのといつも笑っていました。
節子はたぶん、私がその約束を果たしたと思ってくれていたはずです。
時に「世界で1番幸せ」とも言ってくれました。
ちなみに私は節子のおかげで「世界で1番幸せ」になりました。
でも、それはお互いがいればこそであっての「5番目」であり「1番目」でした。

誰かから与えられる幸せはほどほどがいいです。
その幸せがずっと続けばいいのですが、その「誰か」がいなくなれば、その幸せはもろくも崩れてしまうからです。
最近まで、実は私はそう考えていました。
「世界で1番幸せな男」は、いまや「世界で1番不幸な男」になってしまった、と。

しかし、どうも違うようです。
「世界で1番幸せな男」は、「世界で1番幸せだった男」になってしまっただけの話です。いや、今もなお、「世界で1番幸せな男」なのかもしれません。

節子に向かって、毎日、こう話しています。
「節子のおかげで、幸せな人生だった」。
そういえば、節子も家族にそういう言葉を残してくれました。
「世界で一番幸せだったこと」が大切なことなのだと気づきました。
これからの人生は、そのおまけに過ぎません。
ですから、私はやはり「世界で1番幸せな男」なのです。

しかし、節子はどうでしょうか。
今でも「世界で5番目に幸せ」と思ってくれているでしょうか。

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2007/11/03

■節子への挽歌60:西川さんがハーモニカを吹いてくれました

今日は節子の月命日です。
節子と会えなくなってから、もう2か月もたってしまいました。
どこかで、でもまだきっと会えるという思いが残っているのが不思議です。

福岡の西川義夫さんが来てくれました。
再入院の前に自宅に見舞いに来てくださって、節子のためにハーモニカの演奏をしてくれた西川さんです。
西川さんは、この挽歌を読んでいてくれて、よくメールをくれます。
西川さんからのメールが、私をどんなに元気づけてくれたかわかりません。
こうした挽歌を書くことの無意味さは、書く本人が一番良く知っています。
しかし書き続けられたのは、西川さんを初めとした数人の方からのメールでした。
一人でも読んでいてくれる人の顔が見えれば書き続けられるものです。

西川さんは献花台の前で、2曲、ハーモニカを演奏してくれました。
「庭の千草」と「トロイカ」です。
トロイカは、愛する人を送る歌なのだそうです。
西川さんが、節子のためにこの2曲を選んでくれた気持ちがとてもうれしいです。
心のこもった演奏を聴いていたら涙が出てしまいましたが、不思議と2曲目には心が静まりました。
節子もきっと心和やかに聴いていたことでしょう。
ちょうど演奏が終わった時に、花かご会のみなさんが献花に来てくれました。
西川さんには無理をお願いして、もう1曲、演奏してもらいました。
2曲を厳選してきた西川さんには不本意だったと思いますが、
花かご会の皆さんにも聴いてもらって、多分節子はすごく喜んでいるはずです。
節子は、そういう人でした。
曲は「埴生の宿」でした。
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西川さんのブログにも今日の記事を書いてくださっています。
西川さんのお人柄がわかると思います。

節子が大喜びするだろうことが毎日起こっていますが、
一番喜んでいる節子がいないのがいつもとても不思議な気持ちです。
今日も西川さんと話していて、途中で節子のいないことに気づいてしまいました。
主役のおまえがいないでどうするの、と心の中で節子に話しかけました。
その途端に急に不安感が高まり元気がなくなりました。
西川さんには気づかれたかもしれません。いささか心配です。
西川さんが「ゆっくりもどればいい」と、(たぶん)言ってくれました。
ゆっくりと節子との新しい生活を育てていこうと改めて思いました。

しかし、本当にどうして節子はこんな大事な時に姿を現さないのでしょうか。
本気でそう考えている自分が、時に心配になります。

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■常識の復権への期待

騙されているかもしれませんが、最近の政府の行動には「常識の回復」を感じます。
その典型は枡添さんの言動です。
最近の枡添さんはかつてとは全く違った印象を受けます。
福田首相もそうです。
政治家としてのリーダーシップや「キャラ」はないかもしれませんが、「常識」を感じます。
小沢さんとは全く違います。
もっともこれも戦術だといわれれば反論は出来ませんが。
鳩山法相の言動は「常識」とは全く反対のところにありますが、まあそれがこれまでの政治家の「常識」だったのかもしれません。それがちょっと度を越しただけかもしれません。
テレビによく出る与野党のタレント政治家たちは、鳩山法相とたいした違いはないように思います。

政治に、生活者の常識がもどってくるのは歓迎です。
昨今の福田さんや枡添さんの言動を見ていると、そんな気がします。
ちなみに、私はその2人も自民党もあまり好きではありませんが、好感を持ってしまうほどに他の政治家がひどすぎるのかもしれません。

それにしても現代の日本の政治家は問題が多すぎます。
ぜひとも、二世政治家禁止法と三選禁止法をつくってほしいものです。
政治の専門家は不要です。
その代わりに、政治家には官僚の人事権を与えるとともに、公務員をもっと簡単の告発し、解雇する法律もつくってほしいと思います。
時代は大きく変わってきているのですから。

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2007/11/02

■薬害肝炎事件は当事者の視点で緊急措置すべきです

薬害肝炎事件の報道は見ていて辛くなります。

私のようについ最近妻を病気で見送ったものにとっては、とくに辛いです。
事件は良い方向に向かっていますが、患者やその家族にとってはどう映っているでしょうか。

以前も書きましたが、当事者とそれ以外の人では時間感覚が違います。
枡添さんのおかげで、どうやら薬害肝炎事件は解決に向かったようだと私たちは思いますが、明日の生命にも不安のある当事者にとっては、みずからの状況が安堵できる状況になって初めて、解決への入り口に到達したと考えるでしょう。
7年間ですべて解決するというのは、論理の世界の話であって、当事者の視点ではありません。当事者は7年も待てません。

時間は実に残酷です。
私たちは、当事者の時間軸で問題を考えていかなければいけないと思います。
そう考えると、昨今のさまざまな事件への対応速度は実に遅いような気がします。
今回の薬害肝炎事件でいえば、7年間ではなく、やれることはすべて一気にやるべきでしょう。
軍事費を少しずつ先延ばしにすれば出来る話です。
そうした形での財政赤字であれば、国民は納得するはずです。
それに早く手を打てば、それだけトータルコストは削減できます。

法律づくりや予算の決定などの手続きも後でやればいいでしょう。
緊急措置的な発想で、問題解決に取り組めばいい話です。
薬害肝炎事件はすでに何年も議論し、事実はかなり明確になってきていますから、それが可能なはずです。
行政に迅速性を持ち込まなければいけません。
当事者の時間は待ってはくれないのですから。

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■節子への挽歌59:なかなか現実に向き合う勇気が出ませんでした

昨夜、Tさんからメールが来ました。

奥様の訃報を知ってから、なんどもメールをさせていただこうと思ったのですが、なかなか、書けませんでした。
以前、メールをさせていただいたときに、奥様からもメッセージを頂いていたのに、それがとても嬉しかったのに、なかなか現実に向き合う勇気が出ませんでした。
すいません。
「なかなか現実に向き合う勇気が出ませんでした」とあります。
私も節子が病気になって以来、「現実に向き合う勇気」を失っていたのかもしれません。
その結果、節子を救えなかったのではないかという罪の意識が消えません。
でも、実際にその場になるとそうなりがちです。
そうならなかった節子は強い人でした。
私にはとてもまねが出来ません。
このメールを読んで、節子の強さを思い出しました。
私よりも度胸のある、強い人でした。

Tさんは、以前、節子の「ひととき」の記事を読んでメールをくれた人です。
私たちの娘と同世代の女性です。

節子のおかげで、私もたくさんのことを学びましたが、今なお、いろいろな人からメールが届きます。
そのたびに、私にも新しい発見があります。
そして、どこかで誰かが、節子のことを知っていてくれると思うと、とても元気が出ます。
ご本人の了解を得ていないのですが、以前いただいたメールを紹介させてもらいます。

実は、私も奥様と同じ病気です。
「まさか、30代の自分が?」と思いましたが、「まさか」ではありませんでした。
昨年の夏に手術をしまして、9月の中頃から仕事復帰しています。
医師からは「完全に治ったとは言えない」と言われていますが、今のところ、元気に毎日を過ごしています。

時折、くじけそうになることもありますが、
「前向きに、前向きに」と自分を励ましつつ、毎日を送っています。
病気になってつらいことも多いですが、発見したこともたくさんあります。
自分自身が少し成長できたように感じています。
人間、どんな状態になっても学ぶことはあるのだなぁと再発見しています。

でも、私はまだまだ気づいていませんでした。
夫の気持ちです。自分の気持ちを支えるに必死で、横で支えてくれた夫の気持ちをあまり考えていなかったように思います。
佐藤さんの投稿を読んで、あらためて夫もつらかったことに気づいたように思います。
(中略)
大事なのは「感謝」ですよね。
大事なことに気づかせていただいてありがとうございます。
「いいことだけ日記」ステキなアイディアですね。
奥様によろしくお伝え下さい。

このメールを読んで、節子が「自分もがんばらなくちゃ」と言ったことを思い出します。
そしてがんばってくれました。
本当にがんばってくれました。
Tさんに節子のエールが届くことを確信しています。
節子は、みんなの悪いものをみんな持っていくからと言っていましたから。

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2007/11/01

■食べられるものを利用して何が悪い

若い友人が次のような趣旨のメールを送ってきました。

一連の食品の消費期限に関する偽装について聞くたびに、何か間違ってる、と感じます。
食べられるものなのですから、再利用して何が悪い!と思ってしまいます。
まだ食べられるものが、大量に捨てられる現実こそおかしいと思うべきです。
食品の再利用というのは、つい近年までそこらじゅうで行われていたと思います。
上菓子がダメなら、その下のランクの菓子に。
再利用がうまくできるというのも、技術の一つだったと思います。
ほかの食品でもきっと同じです。焼いたものが売れなかったら揚げ物にするとか。
今でもそれはやってるんじゃないでしょうか。(少なくとも家庭ではそのようにして食べていますね)
今後、これがダメということになって、大量に食べられるものが捨てられるとすれば大問題だと思います。
今回の、一連のお菓子業界での「偽装」発覚報道で、「おかしいねん!」と言う人がいないのを不審に思います。
彼女は、賞味期限とか消費期限ではなく、製造年月日を書いて、それを消費者が判断しながら食べるのがいい、といいます。
みなさん、いかがでしょうか。

私は賛成です。
次のような趣旨の返事を書きました。

私も「賞味期限」という発想がおかしいと思います。
しかし、その仕組みを取り入れたのは、大量に消費させることを狙った食品業界です。
古くなって廃棄されれば、それだけ消費が増えることになります。
メーカーにとっては、外部での廃棄は販売と同じです。
もし返品されるようにしても、その分は価格にのせればいいわけです。
商品を陳腐化させるというのがマーケティング発想の出発点です。
そうした発想をしている現代の企業の経営に私は違和感を持っています。

ミートホープの田中さんも含めて、食材をうまく活用するさまざまな工夫こそが食品産業の知恵であり、力の源泉だったはずだと私は思っています。
いいかえれば、ほとんどすべての食品会社は、その文化を持っていますから、再利用行為も日常的なはずです。
にもかかわらず、それを悪いことにしたのは、賞味期限論を持ち込んで売上げを高めてきた食品業界の人たちです。
行政が指導した、あるいは規制したというかもしれませんが、もしそうだとしても、それに賛成したのは食品業界です。
いまさら食材をうまく活用していて何が悪いのか、などと言うことはできません。
それに、鮮度を売りものにして、消費者をそう仕向けてきたのですから。
論理は一貫しなければいけません。いいとこどりはできないのです。

それに、賞味期限などを明記することの影響は大きいです。
消費者は自分の舌で確認せずに、データで食材の安全性を確認するようになってしまいました。
これは大きい問題です。

しかし一連の偽装問題の本質は、まさに「偽装」したことにあります。
つまり、嘘をついたのです。
嘘を許したら、社会は成り立たなくなります。
嘘をつく卑しさが問題なのです。
いや、従業員にまで嘘をつかせる行為を強制しているのが許されないことなのです。
嘘から社会は壊れていきます。

さてみなさんはどうでしょうか。
昨日もミスタードーナツで偽装が発覚しました。
そろそろ問題の本質に目を移したいものです。

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■節子への挽歌58:節約家夫婦

今となっては悔いの残ることがたくさんあります。
たとえばそのひとつ。
2人で歩いていて、ちょっとおしゃれなお店に出会うと、2人ともちょっと入ろうかと迷うのですが、ほとんどの場合、ケーキでも買って帰って、自宅で娘たちと一緒に食べようとか、今度また娘たちと一緒に来ようとかいって、結局は入らないことが多かったのです。
夫婦ともに自宅が好きだったこともありますが、節約精神も大いに関係していました。
そのたびに娘たちは、私たちのことをケチンボだねと笑っていました。

私たちは2人とも本当にお金を使わない夫婦でした。
もっとも、その反面、とんでもない失敗で経済的に大きな損失をよくしたため、娘たちからは全く信頼されていませんでした。
実際に私の退職金の半分は無駄な買い物で見事に借金に変わってしまいました。
つまり、ケチンボの浪費家というわけです。
円天のようなものにはだまされませんが、買わなくてもいいものを買ったり、無駄なお金を払ったりすることもよくあり、私たち夫婦は娘たちからは「悪徳商人に最もだまされやすいタイプ」と思われています。
しかし、人に迷惑をかけなければ、だまされることも悪いことではありません。
それが私の考えです。
節子はそれには口では反対していましたが、実際は私よりも数多くだまされていたと思います。まあ、お互いにそう思っているだけですが。

そんなわけで、いつか行こうねと話していたおしゃれなお店の前を通ると、なんであの時に入らなかったのかと思って、また涙が出そうになります。
節約家夫婦の片割れとしては、複雑な気分です。

ちなみに、節子がいなくなった今、私は以前よりももっとお金を使わなくなりそうです。
ますます節約家になります。
無駄な浪費や出金もなくなるでしょう。
なにしろ私は生まれてからずっと、財布というものを持ったことがないのです。
お金がなくなると節子からもらっていました。
もうお金をくれる人がいなくなってしまったので、どうなるのでしょうか。
いささか心配です。

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