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2007/11/22

■人身事故の意味すること

昨日、久しぶりに大学時代の友人たちと会食したのですが、
その帰路、千代田線が人身事故でダイヤが乱れていました。
ところがさらに車内放送で、日比谷線でも人身事故が発生したと放送がありました。
そういえば、会食の前に上尾の友人と会ったのですが、
彼も人身事故で高崎線が遅れていたため30分遅れてきました。
今日は3件の人身事故に出会ったわけです。

年末になると毎年、こうした人身事故による電車の遅延をよく経験します。
先日、お会いしたツカサグループ会長の川又さんは、人身事故の件数をこまめに記録しているとのことでした。
川又さんのホームページには人身事故ニュースが取り上げられています。
たとえば、昨日のところにはこう書いてありました。

◆毎日全国で人が電車に飛び込んで自殺しています。(川又)
ほとんどが経済的理由で、借金清算の為に命を投げだしている方々のようです。
その方々への鎮魂の意味をこめて毎日人身事故の件数を拾っています。
友人たちとぬくぬくと食事をしていたことに少し罪の意識を感じました。
そうした生活はかなり捨てたつもりですが、まだまだ断ち切れずにいる自分がいやになります。

それにしても、「人身事故」という言葉は、とても他人事の感じがあります。
誰の視点で「人身事故」などという言葉を使っているのでしょうか。
こういう脱価値的な言葉が現実の生々しさを覆い隠し、問題を見えなくしているはずです。
最近、少しずつホームの柵を作る動きが出てきていますが、ホームは投身自殺しやすい設計になっています。
私でも、飛び込もうかという気が何時起こるかもしれません。
みなさんはいかがでしょうか。
そんなことは一度もないという人ばかりではないでしょう。
決して他人事ではないのです。

もし冷静な判断力が残っているとしたら、誰も電車への投身は絶対に行わないはずです。
残された遺族への損害補償を考えれば、とても出来ないはずですし、社会的な影響を考えても避けるでしょう。
たくさんの恨みを背負って彼岸に旅立ちたくはないでしょう。
しかし、多くの「人身事故」当事者は、そんなことを考える間もなく、突発的に吸い込まれるのではないかと思います。
いささか生々しく書いてしまいましたが、脳天気といわれる私ですら、疲れ切った時に電車が入ってきた時に引き込まれそうになったことが2回もあります。
最近は、ホームの縁には近づかないようにしていますが。

電車に乗っていると、そうした社会の実相が実感できます。
政治家や官僚、有識者の皆さんにも、ぜひ電車に乗ってほしいものです。
電車に乗らずに社会の問題を考えることなど出来ようはずがありません。
真実は現場にこそあるからです。
やや極端ですが、公共交通機関を使わない人の言説に、私は価値を見出せません。

電車も自動車も凶器なのです。
それを今のように安直に扱っているのは、社会の狂気ではないかと思えてなりません。
人身事故が増えている社会を支えている私たちの生き方をどこかで変えていかねばいけないと思います。
できることはいろいろあります。
周りの人への関心を高め、困っている人がいたら一緒に悩んでやることです。
宮沢賢治のように。

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