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2007/11/08

■法律の成立が国政進展の証拠でしょうか

国政に関してはしばらく書くのをやめようと思うのですが、テレビを見ているとどうも書きたくなってきます。
困ったものです。

たとえば、今朝のテレビで、ある人が「国民の政治への関心が高まっているので、
それを低めることだけはしてほしくない」と鳩山幹事長に言っていました。
あなたたちのせいで関心の矛先が違うほうに向いているのではないかと、腹立たしくなりました。
小沢さんの苛立ちがよくわかります。
政治への関心と言ってもいろいろあります。
コメンテーターのみなさんの類の関心であれば、高くなったところで現実はよくはならないと私は思います。

まあ、こうした類の議論が盛んに行われているので、とても気分が悪いのです。
そのくせ、気になってテレビをよく見るようになりました。
私自身が、政治へのレベルの低い関心を高めているようです。
困ったものです。
政治はサーカス(見世物)ではないはずですが。

ところで、前から気になっていたことですが、
ねじれ国会のために福田政権になってから法律が制定されず、
国政が進展していないという話があります。
国政の進展が法律成立の数によって示されるという考えを聞いて、驚きました。
まさに手続きの時代、形式的な法治国家の時代です。
法律は少なければ少ないほど良い政治だと私は思っています。
大切なのはリーガルマインドです。
これに関しては、これまでも何回も書いてきました。

また、法律がなければ国政を進められないのであれば、
それこそ法律があればサルでも国政は進められることになります。
確かに国会は立法が使命ですが、法律を作ることは目的ではありません。

権力に対する刑事告発の動きが始まったことも書きましたが、その動きは鈍ってきているような気もします。
まさにパフォーマンスだったのでしょうか。
フィブリノゲンに関しては、私は未必の故意による殺人事件だと思います。
そのことは以前も何回か書きました
そうしたことを明らかにせずに、和解してしまう神経が理解できません。
もっともそれらは別の問題です。
被害者の救済は裁判とは別に進めるべきでしょう。
時間に余裕はないはずです。当事者の時間感覚で考えなければいけません。

法律を創ることは必要かもしれませんが、法律が問題解決の障害になっていることも知らなければいけません。
年金問題でも医療問題でも、いや民間のさまざまな不正事件や犯罪行為でも、
法律があるために処罰したり取り締まりできないことも決して少なくありません。
リーガルマインドを失った法治国家ほど恐ろしいものはないように思います。
法曹界の人たちは市場が増えてうれしいかもしれませんが、良心だけは失ってほしくないものです。

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