■節子への挽歌69:いたるところに節子がいます
仏壇だけでは狭いと思い、主な部屋に節子の居場所をつくりました。
といっても、写真とちょっとした依代(よりしろ)をつくっただけですが。
そのためにどこにいっても節子がいる感じです。
ところがそれがまたなんとも奇妙な気分になります。
それぞれの節子が別人格を持ち出したのです。
部屋で仕事をしていて終わると「節子、今日はこれで終わりにするよ」と言って、下の仏壇の節子に「おやすみ」の挨拶をし、寝室に行って、節子戻ってきたよというようなことになるわけです。
なんだか急に、女房がたくさん出来たような気分です。
庭の献花台にも節子が宿っている気もします。
その上、お墓にも節子がいますし、実はポータブル節子もいるのです。
一夫多妻制になってしまいました。
それぞれの節子が喧嘩をしださないでしょうか。
いささか心配です。
書き方が少し不真面目に聞こえるかもしれませんが、それぞれが別人格化していくのを感じるのは事実です。
意識を集中しているとリアリティが生まれるものです。
しかし、これだけたくさんの節子がいるのに、さびしさは減じません。
返事がないからです。
いつか返事をしてくれるようになるでしょうか。
なるよと言ってくれる人もいるのですが。
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