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2007/11/18

■節子への挽歌75:言葉の優しさの大切さ

昨日の続きのような話です。

節子が病気になってから、言葉に対して過剰に反応するようになりました。
当事者の節子は、私以上だったと思います。
そして節子がいなくなった後、私はさらに過剰に反発するようになりました。
今度は私が当事者になってしまったからです。

たとえば、そのひとつが、「節子さんは良い家族に囲まれて幸せでしたね」というような言葉です。
家族としてはとてもうれしい言葉です。
でもどこかに、「生き続けられなかった節子が幸せだったはずがない」という思いが浮かんできてしまうのです。
自分の性格の悪さ、言葉にひっかかってしまう狭量さを嫌悪したくなりますが、自然とそう思いが出てきてしまうのです。
「元気そうで良かった」と言われると、表面はそうでも元気ではないといいたくなり、「元気がないので心配だ」と言われると充分元気だと反発したくなり、「元気をだして」と言われると、出るわけないでしょうと言いたくなるのです。
だれも私の気持ちなどわかるはずがないし、わかってたまるかという気があるのです。その思いが、他の人の言葉を素直に聞けなくしているのでしょう。
そんなことで、もしかしたら失礼な対応をしてしまっているかもしれません。

しかし、このことはコミュニケーションやケアの問題を考えるための重要なヒントを含んでいるように思います。
まあ、そうやって物事を広げて考えてしまうのが、私の悪い性癖なのですが。

そうしたことを踏まえて考えるならば、闘病中の節子に対して、あるいは死を直前にした節子に対して、私の言葉はどうだったのかと反省しないわけにいきません。
節子は限界状況にあったと思いますが、私の言葉をどう受け止めていたでしょうか。
もちろん私たちは異身一心でしたから私への誤解はなかったと思いますが、もしかしたら私の言葉がさびしく響いていたかもしれません。
もう少し言葉を選べばよかったと反省しています。
でもまさかこんな形で別れが訪れるとは微塵も思っていなかったのです。

生きている以上、誰でもいつ別れが来るかもしれません。
言葉には注意したいと、改めて思い直しています。

皆さんは大丈夫ですか。
私のような辛い思いをしてほしくないと思います。

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妻への挽歌01」カテゴリの記事

コメント

佐藤さん、ご無沙汰しています。私も看病中イヤだった言葉があります。「頑張ってください」と「大変ですね」です。
先日、ホスピス主宰の遺族会があったので、そこで他の方にも聞いてみました。みなさん「そうそう、私もそう」と仰るのでした。「頑張れって、何をどう頑張ればいいのか」「じゃあ、私は頑張っていないとでもいうのか」「頑張った先に何があるのか」といった声が上がりました。
まあ、ヒネクレテイルと言われればそれまでですが、私も「頑張って」は、「癌腫って」としか聞こえませんでしたね。一度など、そう言われて「いえ、頑張りません」と返答してしまい、ギョッとした顔をされてしまいました。
でも私は「大変だ」と思ったこともありませんでしたね。「大変だ!大変だ!」と思いつつ「頑張って」いたら、長期の看護などできゃしません。
普通です。日常があるだけです。病人には病人の日常、看護人には看護人の日常があるだけ。癌だから死んだんじゃない。人間だから死んだんです。何も特別じゃありません。
お釈迦様も死を前にしたとき、嘆く弟子たちにこう言ったそうです。「死は珍しいものではない。嘆くな。みなそれぞれ自分の道を歩め」と。

投稿: 同じく妻を亡くした男 | 2007/11/18 23:41

投稿ありがとうございます。
一度連絡しようしようと思いながら、まだ連絡できずにいました。
>「死は珍しいものではない。嘆くな。みなそれぞれ自分の道を歩め」と。
そうですよね。
でもまだ道を進めずにいます。
困ったものです。
もう少し待ってください。
ありがとうございました。

投稿: 佐藤修 | 2007/11/19 14:52

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