■節子への挽歌71:私たち家族の節子への最後のプレゼントは「希望」でした
節子を守れなかったのは私の責任であり、いまから思うと本当にたくさんの悔いが残ります。
突き詰めて考えていくと、節子を殺したのは私かもしれないと思うほどです。
罪の意識で心身が震えてくることもありますが、
その時には私たち家族が節子に贈った最後のプレゼントのことを思い出すようにしています。
節子はそれをしっかりと受け取ってくれたと私は確信しています。
そのプレゼントは「希望」です。
希望こそは生きる力であり、生きる意味だと思います。
私たち家族は、最後の最後まで、節子が元気になると確信していました。
それが裏目に出てしまったおそれは否定できませんし、
それが私の最大の罪の意識の源泉でもあるのですが、
その一方で、節子が最後まで回復する希望を持ち続けていたことを思うと大きな安堵の念が沸いてくるのです。
節子はどんなに辛くても、家族と一緒に生き続けるという希望を持ち続けてくれました。
私と娘が、奇跡が起こったからきっと治るよ、よかったね、と声をかけた時に、
節子は確かに「うん」とうなづいたのです。
それは、節子が息を引き取る12時間前、意識が朦朧としだす直前でした。
最後まで節子は治ると信じていたのです。
節子が最後まで元気になる希望を持ち続けられたことを、私はとてもうれしく思います。
そしてその「希望」を贈ることができた私たち家族、
それをとても素直に受け取ってくれた節子のいずれもが、私の誇りでもあります。
その誇りと喜びが、私の罪悪感を相殺してくれるので、私は何とか生き続けられているのです。
節子への最後のプレゼントは「希望」でした。
すべての希望を贈ってしまったためか、今の私の心の中には「希望」があまり見つかりませんが、
節子の思い出がまたきっと私の希望を育てていってくれると思っています。
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