■節子への挽歌64:鳥と花、そして蝶
節子は「鳥や花になってわが家にチョコチョコ戻ってくる」と書き残しました。
その文字を見ると、涙がとまりません。
思い出しただけでも、涙があふれてきます。
今も涙でキーボードが見えにくいです。
前にも引用した「無所有」の中にこんな文章が出てきます。
ある詩人の言葉であるが、「花と鳥と星は、この世で一番清潔な喜びを私たちに与えてくれる」というのである。だがその花は誰かのために咲くのではなく自らの喜びと生命の力で咲くのである。森の中の鳥は自分たちの何にもとらわれない自由な気持ちでさえずり、夜空の星も自分自身の中から出す光を私たちに投げかけるだけなのである。この文章は、美しさとは内から染み出てくるものだということの説明として出てくるのですが、前に読んだ時には気にすることもなく読みすごし、全く記憶にも残っていませんでした。
しかし、昨日、読み直していてこの文章に出会った時にはなんだかうれしくなってしまいました。
星こそ出てきませんが、花と鳥は節子が残した言葉です。
本に感動するというのは、この程度のことなのかもしれません。
それはともかく、節子の話に戻れば、普通なら「花と蝶」ではないかと思うのですが、なぜか節子は「花と鳥」といいました。
なぜでしょうか。
今度、献花台をつくった場所に、鳥たちのための餌台が前からあります。
節子が作ったのです。
そこに果物などを置いておくのですが、小さな鳥がそれをついばんでいる時に、カラスやハトがくると節子は小鳥たちのためによく追いやっていました。
その餌台に節子は来ようとしているのかもしれません。
それともう一つ、わが家の近くの樹木で鶯(うぐいす)がよく鳴いています。
特に今年は長いこと鶯が鳴いていました。
それが、節子に鳥を選ばせた理由かもしれません。
ところで、昨日、ある人から絵葉書が届きました。
奥様のご闘病を知り、祈りの気持ちを添わせていただいてから今日まで、佐藤さんご家族のお姿は、本当に暖かい美しいものでした。その思いが形になった素敵な献花台に私は小さな蝶を捧げます。秋風とキチョウの写真でした。
献花台に供えさせてもらいました。
クリックすると大きくなります。
| 固定リンク
「妻への挽歌01」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- 節子への挽歌1~4(2007.09.06)
- ■節子への挽歌200:今年のお彼岸の中日は雨でした(2008.03.20)
- ■節子への挽歌199:カトマンズのチューリップ(2008.03.19)
- ■節子への挽歌198:ミラボー橋(2008.03.18)
コメント