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2007/11/29

■人が人を殺めることの事情

香川県の祖母孫殺害事件の犯人は親族だったことがわかりました。
親族同士の殺傷事件は少なくありませんが、
妻を病気で亡くした私としては、いつもやりきれない気持ちになります。

そもそも「人が人を殺める」ということは、信じられないことです。
なぜそんなことができるのか、おそらくその瞬間において殺害者は、
自分も相手も「人」ではなくなっているのでしょうね。
そう思わなければ理解できないことです。
しかし、親族の場合は心通わせた関係でしょうから、
相手を「人」でないと受け入れるのは極めて難しいはずです。
頭ではそう思ったとしても、身体がそうは反応しないでしょう。
ですからその場合は、逆に極めて人間的な心情がそうさせるのではないかと思います。
つまりその底に、愛憎という極めて人間的な心情が作用するのだろうと思います。
ちなみに、愛憎はコインの裏表のように、私には同じものに見えます。

私はいつも、親族同士の殺傷事件が起きた場合、マスコミ報道の後にある、それぞれの事情に思いを馳せます。
殺すほうにはそれなりの事情があるはずです。
そうでなければ、できるはずがありません。
今回の犯人の奥さんががんで半年前に亡くなったことを知りました。
短絡的だと思われそうですが、急に犯人の心が伝わってくるような気がしました。
もし私が彼の立場だったらどうだろうか。
孫まで殺めることは絶対にないだろうか。
よその家庭の事情は私には知る術もありませんが、
愛する妻を失った夫の心情は、実に悲しく不安定なものです。
ましてや、最近の世情を思う時、自暴自棄になり暴走することがあっても不思議ではありません。
不謹慎に聞こえると思いますが、私には犯人の哀しみがわかるような気がします。

個人的な事情だけではありません。
がん治療はお金のかかる治療です。
お金がなくて治療を断念する人もいるでしょうが、
治療のためにお金を貸リてしまう、それも高利のところに頼ってしまう人もいるでしょう。
がん治療の世界には、そうした高価な怪しい商品や治療が蔓延していますし、
いまの社会には犯罪的な高利金融業者が野放しになっています。
それらはいずれも政府と産業界の癒着の中で守られていますので、
孤立した庶民には対抗出来るはずもありません。

マスコミは、こうした事件の詳細を報道しますが、その事情をしっかりと可視化してはくれません。
もちろん背景事情は面白おかしく詳細に伝えますが、
そうした「事情」ではなく、社会的な「事情」こそを明らかにしてほしいものです。
先日、犯罪被害者の方の話も書きましたが、個々のエピソードの底にある「事情」です。
言い換えれば、現代の社会の構造と言ってもいいでしょう。
平たく言えば、個人が孤立化させられてしまっている「事情」「構造」です。

私がいま、フーコーやネグリに興味を持っているのは、
彼らがそうした構造を考える視点を提供してくれるからです。
ネグリの「マルチチュード」。
あるいはフーコーの入門者である「生と権力の哲学」や「フーコー入門」(いずれもちくま新書)、
あるいは「フーコー 主体という夢:生の権力」(青灯社)をお薦めします
コモンズ書店で紹介しています。
刺激を受けます。

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