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2007/11/30

■節子への挽歌87:真夜中に目が覚めます

毎日ではないのですが、朝方5時頃に眼が覚めることが少なくありません。
頭が冴えて、いろいろなことを考えてしまいます。
もちろん節子のことです。
考えれば考えるほど、頭が冴えてきます。
闘病中のさまざまな情景をはっきりと思い出すこともあります。
時にはやりきれないほどに辛くなります。
楽しかった思い出を思い出すこともありますが、必ずといっていいほど、それはすぐに悲しさに転じます。もうそうした楽しさは私たちの前にはないことが、悲しさと寂しさを倍加させるのです。

声を出して節子と話すこともあります。
いくら声を出して呼んでも、節子の返事がないため、私が信じていた「輪廻転生」への疑問も生じそうです。
輪廻転生がないとすれば、私は生きる気力を完全に失いかねませんので、それはできるだけ考えないようにしています。

愛する人を失った人はみんなこうなのでしょうか。
それにしても、あまりにも辛い時間です。
節子がいた頃は、5時に眼が覚めるとベッドを離れて仕事をすることにしていました。
隣で寝ているとどうしても節子を起こしてしまうからです。
節子に気づかれないようにベッドを離れるのですが、いつも節子は「もう起きるの」と半分寝ながら声をかけてくれました。
しかし、節子のいない今はベッドを出る気にはなれません。
節子がいない世界で、やらなければならない急ぎのことなど何もないからです。

茫然自失しながら、節子と過ごす時間。
このブログに書いていることのほとんどすべてが、その時間に思いつくことです。
ブログに書くことができるので、私は自らの気を鎮めることができているのです。
そうでなければ、毎朝眼が覚めて考えることの罪の意識や後悔の念、あるいはこれから先の生きる力などの重さにへこたれて、朝、起き出せなくなってしまっているかもしれません。
きっと節子がこのブログを通して、私にいのちをあたえてくれているのでしょう。
節子は今もまだ、私を支えてくれているのです。
ありがとう、節子。
明日の朝はどんな話ができるかね。

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