■節子への挽歌73:人をつなげる発想は節子から学んだものでした
昨日、節子の友人が3人、献花にきてくれました。
お話を聞いていて、気づいたのですが、私が「人をつなげること」に価値を見出し、その活動に取り組んでいるのは、どうやら節子の影響だったようです。
今日、来てくださった皆さんは、私たちが6年前まで住んでいた地域の人たちでした。
そのお一人が、こんな話をしてくれました。
節子が自治会の班長だった時(当番制だったそうです)、同じ班の人たちに声をかけて自宅で集まりをやったのだそうです。
それまでもなかったことであり、その後もないそうです。
その方は、それを覚えていてくださいました。
そういえば、隣の空地でサツマイモを育てて、カレーライスパーティもしたわね、ともう一人の人が言いました。
ともかく節子はそういうのが大好きでした。
子ども会の会長を引き受けた時には、オリエンテーリングをやったことも覚えています。私もスタッフとして使われましたので。
6年前に今のところに転居してからも、節子はそうしたことをやりたがっていました。
私が自治会長を引き受けた時、私は班の皆さんに声をかけて自宅で集まりを持ちましたが、これはどうやら節子の影響を受けていたのです。
私は自分の発案だと思っていましたが、節子が仕向けたことだったのです。
わけです。
節子はその時にはもう闘病中でしたので、自分が中心にはなれないことを知っていました。そういえば、その集まりの日もお菓子を用意してくれていて、終わった後にいろいろとアドバイスされたことを覚えています。
節子が中心になっていたら、きっと大きな輪になっていたでしょう。
私にはそれができませんでした。
節子は人をつなげる名人でした。
いや、つなげるのではなく、人と付き合う名人でした。
但し、素直に自分を生きている人でないと、節子は付き合いたがりませんでしたが。
そのあたりは、見事な直観力を持っていました。
今日、来た人たちも、実は節子つながりだったようです。
節子が入っていたコーラスグループにMさんが参加し、その縁でAさんも入会し、そのお2人が春の発表会にYさんを招待し、その時はもうコーラスグループを続けられずに聴く側になっていた節子が会場で久しぶりにYさんに会ったのだそうです。
それがきっかけになって、今日はその3人が来てくれたのです。
いろいろと私が知らない節子のことをいろいろな人から教えてもらいます。
教えてもらう度に、節子に惚れ直します。
来世で節子に会って、そうした報告を早くしたいものです。
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