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2007/11/05

■節子への挽歌62:最初の出会い

節子と結婚することになったのは、いくつかの偶然の結果です。
当時、私は会社に入社したばかりでした。配属は滋賀の大津の工場でした。
毎週のように京都や奈良に出かけていました。とりわけ奈良が好きでした。
西ノ京や佐保路が大好きでしたし、東大寺も好きでした。
東大寺の三月堂の空間に座っているとなぜか時空を超えて生きている感じがしました。
その日も、一人で会社のある石山から電車に乗りました。
そこに、節子が友だちと乗っていました。
節子も友だちも、私と同じ会社の社員でしたので、面識はありましたが、それほど話をしたことはありませんでした。
2人とも、それぞれの親戚に遊びに行くところでした。

でまあ、気楽に誰か一緒に奈良に行かないかと誘ったのです。
節子はたまたま先方にはまだ連絡していなかったこともあって、その誘いに乗ってしまったのです。
それで2人で奈良に行くことになったのです。
これがその後を決めてしまったのです。

奈良は興福寺から東大寺の月並みのコースでした。
このコースは何度歩いても好きなコースでした。
そこで何を話したのか、結婚した後には2人とも思い出せなかったのですが、2人ともなにかとてもあったかなものを感じた1日だったことは間違いありません。
私が覚えているのは大仏殿の裏庭で1時間近く日向ぼっこしながら会話していた風景です。
初めての2人が一体何を話していたのでしょうか。
今となっては思い出せないのですが、節子は私の話がとても不思議な話で、どこまで信じていいのかどうかわからないので興味を持ったのだそうです。

それからいろいろありました。
たぶんこの調子で書いていったら1冊の本になるくらい、ドラマもありました。
そして、私は節子に夢中になってしまったのです。
節子は、しかし、私には夢中になりませんでした。
それでますます私が夢中になってしまったのかもしれません。

そのことが、その後もずっと尾を引きました。
私はいつも節子に言いました。
「私が節子を愛している、せめてその半分くらいでいいから、私を愛してほしい」
彼女の返事はいつも、
「考えておく」
でした。
それがもしかしたら、私が今なお、節子に夢中になっている理由かもしれません。

この挽歌は、愛したけれど愛されなかった男の、未練がましいプロポーズの続きなのかもしれません。
はい。

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妻への挽歌01」カテゴリの記事

コメント

 
 佐藤さん、大へんご無沙汰しております。
 大分遅くなってしまいましたが、奥様のご逝去を心よりお悔み申し上げます。
 

 奥様に向けられる一聯の思慕の念に接しながら、都合十回以上も読み返したのが実は当スレッド(節子への挽歌62:最初の出会い)でした。佐藤さんのような深い想いの如くに自分は妻を愛して来ただろうか、今も尚愛していると謂えるだろうか、自問を繰り返していました。改めて出会いのときのことを想い起してみてはそれが像としてなかなか現在のことに結ばれず、内心はあたふたとするばかりでした。

 むしろ、ダイレクトに“Parlez-moi d'amour”『聞かせてよ愛の言葉を』と語ってくれたならば、事は容易いはずなのですが、概して日本の女性はそうすることがないようなのです。けれども、奥様は佐藤さんの心を十分受けとめられていて、また佐藤さんご自身も愛する幸せと同様に愛される幸せを感じて来られたのではないでしょうか。だからこそ、少なくとも佐藤さんの向後について奥様は安堵されて逝かれたのではないか、そんなふうに想うにいたりました。

 スレッドを読み返すのと並行して、 “Parlez-moi d'amour”(歌:リュシエンヌ・ボワイエ)を何回も聴くことになりましたが、その度に胸が疼くのを禁じ得ませんでした。どうか、佐藤さんの気持ちの済むまで、心往くまで、奥様への想いの丈を綴ってください。biosとzoeを媒介辞にしたConatusとの対話がやがてはHomo Sacerの克服に向かうことになると信じつつ、他の人達と一緒にどっしりと構えてプロポーズの方行を注視してゆきたいと考える次第です。

 では、また。


投稿: 向阪夏樹 | 2007/11/22 15:09

向阪さん
ありがとうございます。

まさか、コナタスやホモサケルが出てくるとは思ってもいませんでした。

ところで、
>プロポーズの方行を注視してゆきたい
とありますが、
これは現世のプロポーズのことですか、
来世のプロポーズのことですか。
現世は成就したとおもっていましたが、まだ成就していないのかもしれませんね。
来世に関してはまだ見えてきませんが、準備しだしたほうがいいですかね。

やや読解不足のリコメントですみません。
ちなみに、“Parlez-moi d'amour”はそんなに心にしみますか。
まだ聴いた事がないので、探してみます。

投稿: 佐藤修 | 2007/11/23 10:00


 佐藤さん、レスをありがとうございます。


 >>プロポーズの方行を注視してゆきたい
 >とありますが、これは現世のプロポーズのことですか、来世のプロポーズのことですか。現世は成就したとおもっていましたが、まだ成就していないのかもしれませんね。来世に関してはまだ見えてきませんが、準備しだしたほうがいいですかね。

 来世でのプロポーズに関することは何もかもが不明だと感じていますが、佐藤さんの現世でのプロポーズについては成就しているのではないでしょうか。
 ところで、つき合い始めの時の申し出や結婚のプロポーズが受け入れられたときの、言い知れぬ驚きのようなものを含んだ喜びの記憶は、日頃は頻繁に蘇えって来ることはなくても、特に男性側の意識の奥底には深く刻まれているような気がします。しかしながら、受け入れた側の女性にとって如何ほどの意味を持つものなのか、以後もその意味は継続していくものなのか量り知ることが難しく、そんな不全感を伴なった想念が未練と紛うような何かを生み出してしまう原因になっているのかも知れません。

 >ちなみに、“Parlez-moi d'amour”はそんなに心にしみますか。まだ聴いた事がないので、探してみます。

 たとえ男女の愛が生活上の問題(生存に纏わる様々な圧力)に直面して変容を遂げてしまうことがあり得るとしても、この歌はその本態の不変なる部分を映し出しているものの一つではないかと想われたのです。尚、“Parlez-moi d'amour”(歌:リュシエンヌ・ボワイエ)は“youtube”で視聴することが可能です。

 では、また。

投稿: 向阪夏樹 | 2007/11/24 09:42

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