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2007/11/11

■節子への挽歌68:「いつも前向きだったので、そんなに悪いとは思ってもいませんでした」

節子はいつも前向きでした。
辛さを家族以外の人にはあまり見せませんでした。
ですから、電話をかけてきた人は節子が病気であることさえ気づかなかったかもしれません。
辛そうにしているのに、電話に出ると声が変わるのです。
そして電話が終わると、休みたいと言いました。
人に会う前には鏡を見て、自らを鼓舞していました。
それも7月の中旬からは、できなくなってしまいましたが。

「いつも前向きだったので、そんなに悪いとは思ってもいませんでした」という方が少なくありません。
その話を聞くたびに、私自身もそう思い込んでいたのではないかという後悔が起こります。
本当に節子は前向きでした。
その一事だけでも、私は節子を尊敬し、節子に感謝しています。
いつも前向きの節子と40年、一緒に暮らせたことは幸せでした。
その節子を裏切らないように、私も前向きに生きようと思っていますが、
前向きとは何なのか、と考えると、そう簡単な話ではありません。
早く節子に会うようにするのも、間違いなく「前向き」の一つですから。

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