■節子への挽歌58:節約家夫婦
今となっては悔いの残ることがたくさんあります。
たとえばそのひとつ。
2人で歩いていて、ちょっとおしゃれなお店に出会うと、2人ともちょっと入ろうかと迷うのですが、ほとんどの場合、ケーキでも買って帰って、自宅で娘たちと一緒に食べようとか、今度また娘たちと一緒に来ようとかいって、結局は入らないことが多かったのです。
夫婦ともに自宅が好きだったこともありますが、節約精神も大いに関係していました。
そのたびに娘たちは、私たちのことをケチンボだねと笑っていました。
私たちは2人とも本当にお金を使わない夫婦でした。
もっとも、その反面、とんでもない失敗で経済的に大きな損失をよくしたため、娘たちからは全く信頼されていませんでした。
実際に私の退職金の半分は無駄な買い物で見事に借金に変わってしまいました。
つまり、ケチンボの浪費家というわけです。
円天のようなものにはだまされませんが、買わなくてもいいものを買ったり、無駄なお金を払ったりすることもよくあり、私たち夫婦は娘たちからは「悪徳商人に最もだまされやすいタイプ」と思われています。
しかし、人に迷惑をかけなければ、だまされることも悪いことではありません。
それが私の考えです。
節子はそれには口では反対していましたが、実際は私よりも数多くだまされていたと思います。まあ、お互いにそう思っているだけですが。
そんなわけで、いつか行こうねと話していたおしゃれなお店の前を通ると、なんであの時に入らなかったのかと思って、また涙が出そうになります。
節約家夫婦の片割れとしては、複雑な気分です。
ちなみに、節子がいなくなった今、私は以前よりももっとお金を使わなくなりそうです。
ますます節約家になります。
無駄な浪費や出金もなくなるでしょう。
なにしろ私は生まれてからずっと、財布というものを持ったことがないのです。
お金がなくなると節子からもらっていました。
もうお金をくれる人がいなくなってしまったので、どうなるのでしょうか。
いささか心配です。
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