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2007/11/06

■どの党が政権をとるかより、日本が良くなるかどうかが大切でしょう

小沢さんの辞意表明に始まった騒ぎはさらに広がっています。
気になって、どうもテレビばかり見ているのですが、
見るたびにどこか論点が間違っているように思えてなりません。
街中の人はいいとしても、テレビでコメントしているジャーナリストやコメンテーター、あるいは評論家の人の発言を聴いていると、改めて政治とは何なのかが気になります。

「もう少しで自民党を追い詰められたのに」とか「政権奪取が目前だったのに」とか「これでもう自民党への対決姿勢も強められない」とか、いろいろと言われます。
政権放棄した安倍さんと同じじゃないかと言う人までいます。
また「民主党に投票した国民は裏切られた」とか「民主党の信頼性が崩れた」とか「損をしたのは国民」とかいう議論にも呆れます。
もちろん国民の一人が自分の意見として言うのは全く異論はありません。
しかし、テレビでの発言は世論を創っていくのです。
国民がどう思っているかなどわかるはずがないことを、国民の代表のようなつもりで発言するべきではないでしょう。
信頼していたコメンテーターにして、そうです。
彼らにはたぶん理解できないことだったのでしょう。
ともかく、政権交替や二大政党論が議論の中心になることが多く、日本が良くなるかどうかという議論は全く出てきません。
それが気になるのです。
みんな、政治と言うものをどう考えているのでしょうか。

政治は確かにゲームの側面を持っています。
しかし、大切なことは「社会が良くなるかどうか」ではないかと思います。
政権奪取はもちろんですが、与党を追い込むとか対決するということも、政治の実体をよくしたいからのはずであり、それらはあくまでも手段でしかありません。
そういう意味では連立も手段であり、代表交替も手段です。
小沢さんの辞意表明は、もっと大きな問題提起をしているはずです。
それがわかりにくいのは事実ですが、それをわかりやすくするのがあなたたちの役割だろうといいたいです。

ほとんど例外なく、みんな政治の実体よりも、誰が政権をとるのかの権力競争に興味があるようです。
実体から議論している人はほとんどいません。
私がしっかりした議論をしていると感じたのは、民主党の原口議員だけです。
大きな失望を感じます。

党首会談が密室談合だと言う人もいます。
とんでもない話だと私は思います。
密室政治が悪いのは、その密室議論がまさに密室的に行われるからです。
今回の党首会談は、公然と行われましたし、不十分とはいえ、その内容の報告も行われました。
公開性こそが民主主義の本質だと私は思っていますが、だからすべてを一挙に公開の場で行わなければいけないというわけではありません。
それこそがオーウェルの「1984年」の世界であり、息苦しい世界でしょう。
公開とは何かを議論する必要がありますし、ましてや今のようなモンタージュ技法を駆使して情報を捏造し偽装するマスコミの横行の中で、公開にやることのマイナス面は大きいこともあります。
一方で監視社会を危惧している有識者であれば、それくらいのことは理解できるはずです。

政権どりごっこよりも、日本の社会が良くなることが大事です。
政治は亀田の試合とは違うのです。
なぜそんな基本的なことをみんな理解しないのか、不思議でなりません。

あるいは、私がよほどおかしいのかもしれません。
まあ、最近の私の行動を考えると、私がおかしい可能性は決して小さくはないのですが。

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