■節子への挽歌63:節子の写真を見ることができません
この4年間、節子の写真をたくさん撮りました。
旅行に行くたびにどっさりと写真を撮ってきました。
それ以前から、わが夫婦は写真が好きでした。
私は撮るだけでしたが、節子はそれをきちんと整理していました。
ですから、わが家にはたくさんの節子の写真があります。
一度、写真のことを書きました。
葬儀に遺影として使った写真よりも節子らしい写真があったと書きました。
しかし、その写真を毎日見ているうちに、やはりその写真も節子ではないような気がしてきました。
節子はもっとあったかでやさしかったと思えてなりません。
そこでもっといい写真を見つけようと、残っていた写真を見始めたのですが、
写真を見るほどに悲しくなり涙がとどめなく出てきました。
今年の正月には一緒に初詣にも行っています。
その節子がいないのです。
もう初詣にも一緒に行けません。
節子の好きだった箱根の写真も出てきました。
箱根には2人の思い出が山のようにあります。
最近はテレビで箱根が映ると無意識に目をそらしています。
ましてや箱根での節子の写真は見ることもできません。
写真を探すのはやめました。
何時になったら写真を見られるようになるのでしょうか。
節子が残したたくさんのアルバム。
なぜ私たちはこんなに写真を撮ってきたのでしょうか。
写真よりも、心の中にもっとたくさん残しておくべきでした。
そういえば、節子がいなくなってから、写真を1枚も撮っていません。
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