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2007/11/11

■「みんな幸せになるなんてありません」

妻が亡くなってから、時間をもてあまし、最近はテレビをよく見ます。
今朝も、吉村作治さん、曽野綾子さん、三浦朱門さんの鼎談を見ていました。
新聞を読みながら見ていたため、聴き違いがあるかもしれませんが、とても気になる発言がたくさんありました。

たとえば、格差社会に関して「みんな幸せになるなんてことは無理」というような話がありました。
そこで出てきたのは、鳥の子育てでも強いものを残していくというような発言が出てきました。
弱いものは捨てていくのが生物界のルール、人間だけが弱いものを生かそうとしているというような話です。
さすがに三浦さんだけは「さまざまな遺伝子を残すことが大切だ」と少しだけフォローしていましたが、曽野さんや吉村さんは反応もしませんでした。
恐ろしい話です。

ダーウィンの自然淘汰説や適者生存論には学生の頃から違和感がありました。
いずれも結果からみた現実正当化のための解釈学でしかないという気がしたのです。
それに社会ダーウィニズムにみるような、競争や対立を正当化する議論にはどうしても反発を感じました。
それに、自然界がそんなに生存競争に明け暮れているはずがないという思いもありました。
私は子どもの頃から自然の生き物が好きでしたが、彼らはみんな攻撃などはしてきません。
こちらが邪魔しなければの話ですが。
自然の中の動植物は、それぞれうまく折り合いながら生きています。
いや、協力し支え合いながら生きています。

競争を強調するダーウィン進化論の見直しは進んでいますし、
地球全体が支え合いの仕組みであり、ひとつの生命体だというガイア仮説もかなり認められだしています。
多細胞生物は、単細胞生物が協力したがゆえに生まれたという説もあります。
「進化の本質は普遍的な協調にある」と言う人もいます。
そもそも弱肉強食などという考え方は、権力抗争の中で生まれた発想ではないかと思います。
そうした先入観で自然や社会を見ている限り、真実は見えてこないでしょう。

近代は格差と競争の時代でした。
だからこそ、戦争や開発が広がったのです。
そろそろそうした呪縛から抜けなければいけません。

「みんな幸せになること」は決して難しいことではありません。
みんなが素直に生きれば、自然とそうなるのではないでしょうか。
生きていることはそもそも幸せなことなのです。
その原点に戻れば、その方策も見えてくるはずです。
小賢しい有識者の言葉に惑わされないようにしたいと思います。

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