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2007/11/21

■節子への挽歌78:節子さんはきっと最後までがんばったのでしょうね

私たち夫婦の共通の知人である岡林さんから電話がありました。
年賀欠礼の手紙が読んで、驚いて電話をしてきてくれました。
「奥さんはがんばりやだったから、きっと最後までがんばったのでしょうね」
泣きながらそう話してくれました。
岡林さんとの出会いは、私たちにとっては最後の海外旅行となったイランのツアーでした。今からもう10年ほど前でしょうか、しばらく中止されていたイランに旅行できるようになった最初のツアーに夫婦で参加したのです。岡林さんは海外旅行仲間の小林さんとご一緒でした。2人とも私たちよりもひとまわり歳が上でしたが、すごく元気な人たちで、毎年、3~4回、海外旅行をしているベテランでした。
イランでの服装は女性の場合かなり厳しく、黒いベールで顔を含む全身を隠さなければいけませんでした。それで節子は、いろいろと工夫して独自の服をつくっていったのですが、それを岡林さんはなぜか細かく覚えていました。
10日ほどの旅だったと思いますが、なぜかその2人と節子は気があって、帰国した後も食事をしたりしていたのです。
私も一度、ご一緒しましたが、熟年女性の行動的な元気さを教えてもらいました。
もし私が先に彼岸に行ったら、きっと節子は岡林さんのように元気な熟年シニアになっていたでしょう。
しかし、その岡林さんもこの数年はいろいろあって病院通いなのだそうです。
節子の歳をきいて、ちょっと絶句しました。そして代わってあげたかったといいました。
私も本当に代わってやりたかったです。

岡林さんが最初に言ったことばが、「がんばったでしょうね」でした。
節子はよほどがんばりやさんに見えたのでしょう。
いろいろとお話を聞かせてくれました。
節子にこそ聴かせたい電話の内容でした。
節子がいなくなってしまったいま、こうやって節子の友人知人と話しているのがとても奇妙な感じです。

節子は、本当にちょっとした出会いを大切にする人でした。
そうした出会いから始まったお付き合いの人たちがたくさんいます。
そうした出会いに私もいくつか居合わせました。
節子は見ず知らずの初めての人の心を開かす名人でした。
私の友人知人には決して見せない、彼女のそのやさしさは名人芸と思えるほどでした。
いつかまたそうした出会いの話を書きたいと思います。

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