■節子への挽歌65:なんで元気な時に今のような生活をしなかったのか
私の生き方はやはり間違っていた、と最近つくづく思います。
節子が自宅療養するようになってから、私はすべての活動を中断し、自宅で節子と一緒に治療に取り組みました。
そして、節子が息を引き取った後、2か月間、ほとんど自宅で過ごしています。
それも節子のことを思いながら、ぼんやりと過ごすことが多いのです。
なぜこうした生活を節子の状況がまだそう悪化しない時にやらなかったのか。
節子がいなくなってから、いくら節子のために時間を割いても意味がないではないかと悔やまれます。
節子が病気になってから私はほぼビジネスの仕事はやめました。
しかし、まちづくり支援やコムケア活動はビジネスとは違って無責任にやめることができないと理屈をつけて、継続していました。
もちろん活動量は激減しましたが、意識の上では残っていましたから、自宅にいてもパソコンなどでの対応を結構していました。
それに関係者から相談があると断れずに出かけてしまいました。
節子はもちろん出かけてもいいよと言ってくれていましたが、本当は在宅していてほしかったのかもしれません。
節子の病状が悪化した後、あるいは節子が亡くなった後は、みんなも私を気遣ってくれて相談してこなくなりました。
だから今のような生活ができるのかもしれませんが、たぶん、そうではなく要するに私自身の時間使用に対する優先順位のつけ方が変わったのだと思います。
イラクで何が起ころうと、私は今ではデモにも行きません。
地元の市議選がまもなくありますが、私は誰にも協力しません。
大切なテーマの集まりでも、よほどの理由がないと参加しません。
いま私にとって最優先事項は節子の関係なのです。
節子の献花台に来てくださる方がいたら、原則として自宅にいます。
私がいて意味があるのかと娘から言われても、私には意味があるのです。
生活において、何を優先するか。
私は常にそれを意識してきましたが、もしかしたら間違っていたのではないかと反省しています。
もっともっと節子のために時間を割くべきでした。
私のような間違いを、みなさんは犯さないようにしてください。
後悔しても何の役にも立ちませんので。
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