■節子への挽歌77:年賀欠礼のご挨拶を節子と連名で出しました
年末が近づくと年賀欠礼のはがきが届きだします。
悲しいことに今年は私が送り手になってしまいました。
年賀欠礼の挨拶の手紙がみんな同じ文章で定型化されていることにいつも違和感を持っていました。
自分ではそうした定型文は使ったことがありません。
今回ももちろん「私たち仕様」で書くことにしました。
もっとも私の友人知人には出状しようかどうか迷っています。
まだ節子の訃報を知らない夫婦共通の知人に、私と節子の連名で出状させてもらいました。
今日はその手紙文を掲載させてもらいます。
手紙の実物はPDF形式ですが、私のホームページに載せています。
ちなみに、告別式の会葬礼状も49日法要の報告も、既定のものではなく、私たちならではの文章にしました。よかったら読んでください。
いずれも基本形です。相手によって少しずつ変えているものもあります。
いつか弔電について書きましたが、こうした手紙も自分の言葉で書くようにできないものでしょうか。
その文章を考える時間がとてもいい時間になるはずです。
私が先に逝ったとしても、節子はきっと自分の言葉で手紙を書いてくれたはずです。
こうした手紙のおかげで、いろいろな人から連絡をもらいます。
そして故人を思い出す時間が持てます。
それこそが供養ではないかと思います。
みなさんも、その時が来たら、ぜひとも自分の言葉で、自分のスタイルで、手紙を書くことをお薦めします。
大変ですが、そのおかげでたくさんの感激を体験できるはずです。
以下は今回の手紙文です。
<年賀欠礼のご挨拶>
今年も残すところ、あと1か月半になってしまいました。
平素のご無沙汰をお許しください。
今日はちょっと辛いお知らせのお手紙です。
親しくさせていただいた妻、節子が今年の9月に彼岸へと旅立ちました。
4年半ほど前に胃がんの手術をし、その後、順調に回復していたのですが、昨年10月に再発してしまいました。再発してからも前向きな闘病生活で、もしかしたら奇跡が起こるかもしれないというところまでがんばったのですが、残念ながら体力の限界を超えてしまったのです。
私にとっては、生きる意味を与えてくれる、かけがえのない伴侶でした。
これほどのかなしさは体験したことはありませんし、またこれからもないでしょう。
伴侶の死は、まさに自らの死と同じような思いがします。
節子が逝ってからもう2か月以上経過しますが、今なお節子がいない世界が実感できずにいます。不思議な感覚です。
ブログで節子への挽歌を書いて気を鎮めていますが、時間がたつほどに寂しさはつのります。
告別式での挨拶をホームページに載せました。
読むのが辛い内容ですが、節子のがんばりを読んでもらえればうれしいです。
発病後の節子は見事な生き方をしました。
しかし、みなさんにお会いできずに逝ってしまうことが、とても残念だったと思います。
最後は家族に見守られ安らかに息を引き取りました。
最後の寝顔は、私がいうのもおかしいですが、とても美しくやさしい顔でした。
節子を守れなかった自分が本当に悔しいです。
訃報をお知らせもせずに申し訳ありませんでした。
またこんな手紙をお届けすることもお許しください。
我孫子のほうに来る機会があればお立ち寄りください。
庭に小さな献花台をつくりました。
これまでのたくさんのご厚情が、節子の人生をとても豊かにしてくださっていたことを、節子に代わって感謝申し上げます。
ありがとうございました。
みなさまも、どうぞご自愛くださいますように。
不一
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