■節子への挽歌72:節子の私へのプレゼントは娘たちです
私からの節子への最後のプレゼントは「希望」でしたが、節子のプレゼントは何だったのでしょうか。
それは言うまでもなく、2人の娘です。
私が今も元気なのは、そして生きる気力を持続できているのは、娘たちのおかげです。
母親を亡くした娘たちの辛さや悲しみも大きいでしょう。
しかし彼らは、それ以上に私の辛さや悲しみが大きいのを知ってくれています。
いろいろな人からも、妻の死は格別なのだからお父さんを大事にね、と耳打ちしてもらっているようです。
ですから私に対して、とても気遣いしてくれています。
口にはあまり出しはしませんが。
それに彼らは、私の生活力のなさを知っていますし、
私が節子なしに生きていけないことも知っていてくれます。
私がいかに節子を愛していたかも知っています。
だからいろいろと気遣ってくれるのです。
そんなわけで、彼女が残してくれた2人の娘が、
いまは私に、いろいろな意味で生きる力を与えてくれています。
幸か不幸か、2人とも未婚なのです。
きっと私が生きる力をしっかりと回復するまで、
私を支えるようにと節子が残していってくれたのでしょう。
節子の良い面も悪い面も、彼らはしっかりと受け継いでいます。
しかし、節子への甘えを娘たちへの甘えに切り替えるわけにはいきません。
彼女らが早く出て行けるように、私も自立しなければいけません。
そうしないと節子に怒られそうです。
彼女らを早く追い出すことが、私の生きる意味なのかもしれません。
それができたら、私は節子のところに行きやすくなります。
節子からのプレゼントは、もしかしたら「宿題」と言い換えたほうがいいかもしれません。
私にとっては、かなりの難問なのですが。
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