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2007/11/19

■節子への挽歌76:駅前花壇の花がお墓に供えられていました

昨日、節子のお墓に行ったら、駅前花壇に咲いていた花が飾られていました。
そういえば、先日、駅前花壇の模様替えがあったのです。
きっと花かご会のみなさんが節子に花を持ってきてくれたのでしょう。
お墓の場所もお話していなかったのに、みんなで探してくれたのでしょうか。
感激しました。
本当に節子の友人たちはやさしい人ばかりです。
わざわざお墓にまで花を持ってきてくださるとは節子は果報者です。

節子がお墓に入ってから、それまでは年に4~5回しかお墓参りはしていなかったのですが、週に2回は行くようになりました。
しかし、花かご会の人がわざわざ来てくださることを考えると、私も週2回などといわずに、もっと来ないといけないと思いました。
自転車で15分くらいで来られるのですから。

墓には私の父母が入っていますが、節子は父母のお気に入りでした。
きっと私よりも節子のほうが気楽で信頼できたはずです。
ですから父母は喜んでいるはずです。
節子も自分で選んだ墓なので、きっとまた一緒に仲良くやっているでしょう。

昨日気づいたのですが、初めて墓前で涙が出ませんでした。
般若心経も無事間違えずにあげられました。
時間がたつと癒されるという言葉に私は反発していましたが、癒されてしまったのでしょうか。
いや、そんなことはありません。
さびしさは日を追うたびに高まりますし、いまもちょっとしたことで涙が出ます。
でも突然に涙が出てくることはなくなりました。
やはり癒されてきているのでしょうか。

癒されて元気が出てくることを節子は望んでいるかどうか。
望んでいるはずがないと私は確信しています。
節子も私ほどではありませんでしたが、さびしがりやでもありましたから。

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