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2007/11/24

■問題が多すぎて何も変わらないのではないかと心配です

問題が多すぎると解決するためのエネルギーが分散するばかりでなく、問題そのものが相互に消しあって問題の本質を見えにくくしてしまうことはよくあることです。
全体が見えなくなるからです。
全体像を見せないままに、各論の解決を都合よい方向に向けて、それらを編集することで、結局、全体像を全く違った方向に落着させることも決して不可能なことではありません。
そうしたことへの対論として、複雑系の発想が出てきたわけですが、残念ながら社会の問題を「民主的」に解決するための効果的な方法論はまだ見つかっていないようです。

平和を願う人たちが、一昨年、「平和に向けての結集」に取り組みだしました。
私も参加させてもらいましたが、さまざまな人たちが集まったために論点は多岐にわたりました。
私自身は結集のために必要なことは、みんなが賛成できる、ないしは納得できる1点を見つけることではないかと思いますので、「憲法9条を変えない」を突出させるのが効果的だと思いましたが、残念ながらそうはなりませんでした。
大同小異はとても大切なことです。
むしろ「小異」は「大同」を支える重要な要素なのですが、そう思う人は少ないのだとその時に感じました。

最近の政治や経済の世界はどうでしょうか。
問題が多すぎて、目移りするばかりですが、それでは解決には向かいにくいように思います。守る側が有利になります。
対策は2つあります。
一つはシンプルな問題に焦点をしぼり、そこから解決していくことです。
たとえば、前者は国民感情が収斂しやすい「年金問題」から入り、政治と行政と経済の問題点を露呈させ、解決の波を広げてく方法です。
みのもんたの朝のテレビ番組が、しつこく年金問題を摘発し続けました。
そのやり方はともかく、問題を絞って継続的に追いかけていく姿勢は大切です。
いくつかの報道ニュース番組がありますが、みんな同じような形で「問題」に時間配分していますから、どれもこれもスタイルこそ違え同じような話が出てきます。
そうではなく、どこか焦点を定めてせめて半年くらいは追い続けてほしいと思います。
一つの問題にフォーカスしても、しっかりしたグランドデザインがあれば、大きな全体像を解決することにつなげられるはずです。
今の状況では、次々目まぐるしく出てくる問題に振り回されて、何も変わらないのではないかという不安があります。

もう一つはたくさんの問題の根底にある「クリティカルパス」を見つけてそれを変えていくこと、です。
たとえば、やや極端ですが、嘘をつき使命を果たさない(と大方の国民が考える)人は社会から隔離し、損害賠償の責務を課す方法です。時効など考える必要はありません。明白な悪事は時効になどなるはずがありません。
法律に反するなどと考える必要は全くありません。
法律は、所詮は社会を正常化するためのルールでしかありません。
法治主義と法律万能主義は全く違いますし、法の精神と法文とはこれまた全く違います。それに、すべての法律は、それ自身正当性などはもっていないことを忘れてはなりません。
法律を成立させるには、法律の前に法を支える文化なり社会の合意があるのです。
法はその一つの現われでしかありません。
そして平常時において内部社会で通用するだけのものでしかないのです。

問題が多発しているのは、決して偶然のことではないことにも気づくべきでしょう。
今の事件多発状況はなにやら背後に意図を感じますが、考えすぎでしょうか。
目くらましにあってはなりません。

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