■食べられるものを利用して何が悪い
若い友人が次のような趣旨のメールを送ってきました。
一連の食品の消費期限に関する偽装について聞くたびに、何か間違ってる、と感じます。彼女は、賞味期限とか消費期限ではなく、製造年月日を書いて、それを消費者が判断しながら食べるのがいい、といいます。
食べられるものなのですから、再利用して何が悪い!と思ってしまいます。
まだ食べられるものが、大量に捨てられる現実こそおかしいと思うべきです。
食品の再利用というのは、つい近年までそこらじゅうで行われていたと思います。
上菓子がダメなら、その下のランクの菓子に。
再利用がうまくできるというのも、技術の一つだったと思います。
ほかの食品でもきっと同じです。焼いたものが売れなかったら揚げ物にするとか。
今でもそれはやってるんじゃないでしょうか。(少なくとも家庭ではそのようにして食べていますね)
今後、これがダメということになって、大量に食べられるものが捨てられるとすれば大問題だと思います。
今回の、一連のお菓子業界での「偽装」発覚報道で、「おかしいねん!」と言う人がいないのを不審に思います。
みなさん、いかがでしょうか。
私は賛成です。
次のような趣旨の返事を書きました。
私も「賞味期限」という発想がおかしいと思います。さてみなさんはどうでしょうか。
しかし、その仕組みを取り入れたのは、大量に消費させることを狙った食品業界です。
古くなって廃棄されれば、それだけ消費が増えることになります。
メーカーにとっては、外部での廃棄は販売と同じです。
もし返品されるようにしても、その分は価格にのせればいいわけです。
商品を陳腐化させるというのがマーケティング発想の出発点です。
そうした発想をしている現代の企業の経営に私は違和感を持っています。ミートホープの田中さんも含めて、食材をうまく活用するさまざまな工夫こそが食品産業の知恵であり、力の源泉だったはずだと私は思っています。
いいかえれば、ほとんどすべての食品会社は、その文化を持っていますから、再利用行為も日常的なはずです。
にもかかわらず、それを悪いことにしたのは、賞味期限論を持ち込んで売上げを高めてきた食品業界の人たちです。
行政が指導した、あるいは規制したというかもしれませんが、もしそうだとしても、それに賛成したのは食品業界です。
いまさら食材をうまく活用していて何が悪いのか、などと言うことはできません。
それに、鮮度を売りものにして、消費者をそう仕向けてきたのですから。
論理は一貫しなければいけません。いいとこどりはできないのです。それに、賞味期限などを明記することの影響は大きいです。
消費者は自分の舌で確認せずに、データで食材の安全性を確認するようになってしまいました。
これは大きい問題です。しかし一連の偽装問題の本質は、まさに「偽装」したことにあります。
つまり、嘘をついたのです。
嘘を許したら、社会は成り立たなくなります。
嘘をつく卑しさが問題なのです。
いや、従業員にまで嘘をつかせる行為を強制しているのが許されないことなのです。
嘘から社会は壊れていきます。
昨日もミスタードーナツで偽装が発覚しました。
そろそろ問題の本質に目を移したいものです。
| 固定リンク
「企業時評」カテゴリの記事
- ■カフェサロン「人を大切にする経営とは」(2019.01.28)
- ■「人間の成長」とは「新たな働きかけをする人へ自分自身が変わること」(2019.01.17)
- ■カフェサロン「大家族主義経営を考える―個人と組織の関係」報告(2018.12.07)
- ■一番悪いのはCoCo壱番屋ではないのか(2016.01.18)
- ■お金が人間をどんどんと劣化させている(2018.11.21)
「経済時評」カテゴリの記事
- ■カフェサロン「種子法がなくなって、日本の野菜は大丈夫なのか」の報告(2019.02.12)
- ■官民一体となって原発輸出を進めてきた?(2018.12.18)
- ■なぜ制度は複雑になるのか(2018.12.14)
- ■第3回有機野菜の旬を楽しむ会の報告(2018.10.21)
- ■消費することも「仕事」です(2018.10.08)
コメント