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2007/11/23

■節子への挽歌80:献花台に土の葉

庄原の原さんが「献花にかえて、葉っぱの土笛を」と言って、2つの土笛を送ってきてくださいました。
夏と秋の柿の葉で作ったものだそうです。
青葉と紅葉が見事に再現されていて、見ているだけで安堵される土笛です。
早速、献花台の上に置かせてもらいました。

原さんは、節子の闘病中にも元気をつけるためにいろいろな作品を送ってくれました。
そんな原さんなのですが、私も節子も実はまだお会いしたことがないのです。
残念ながら節子は今生では会うことはかないませんでしたが、来世ではきっとお会いできるでしょう。
私は来年になったら、会いに行きたいと思っています。
節子が私一人を置いていってしまったので、来年はいろいろとやらなければいけないことが多くなりました。

原さんとのつながりは、同じ広島の折口さんの紹介です。
ところが、折口さんにもお会いしたことがないのです。
折口さんは私のホームページ(CWSコモンズ)に折口日記を掲載してくださっている方です。
それにしても、会ったこともない者同志がどこかで心をつないでいく広がりが私の周りにはいろいろとあります。
逆によく会っていても心がつながりにくい関係もないわけではありません。
今回のようなことを経験するとそれがよくわかります。
人のつながりは不思議なものです。
魂の波長がそうしたつながりを決めるのかもしれません。
私もたった一度だけしかお会いしていないのに、ずっと心に残っていた人もいます。
人のつながりの不思議さを、節子はたくさん教えてくれましたが、
いなくなった後も感動させてくれることが少なくありません。

献花台の前で、土笛を吹いてみました。
先日の西川さんのハーモニカのようにはいきませんが、不器用な私の笛の音は節子にも届いたでしょう。
久しぶりにまた涙が止められなくなってしまいました。
久しぶりといっても、3日ほどなのですが。

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