■「戦争から学ぶことなどない」というオシムの見識
昨日の朝日新聞の天声人語の記事です。
サッカー日本代表のオシム監督は、祖国ユーゴスラビアの解体や、ボスニア内戦といった辛酸をなめてきた。それゆえだろうか。口をつく言葉は奥が深い。民族の悲劇が、名将の人生に、深々とした陰影を刻んでいるように見える。動じない精神力と、異文化への広い心が持ち味である。それを戦争体験から学んだのかと聞かれ、「(影響は)受けていないと言った方がいい」と答えたそうだ。「そういうものから学べたとするのなら、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が…」(木村元彦『オシムの言葉』)最後の発言に感動しました。
私はサッカーには全くと言っていいほど興味はありませんし、オシム監督についてもほとんど何も知りません。
しかし、この言葉はすごいと思いました。心から共感します。
オシムのサッカーを見ていなかったことを悔やむほどです。
企業経営も政治も戦争用語が頻繁に出てきます。
私にはとても違和感があります。
「戦争論」で有名なクラウゼヴィッツは「戦争とは政治の延長である」と述べていますし、フーコーは「政治とは別の形での戦争の継続」だと述べています。
ですから、政治の世界では当然のことかもしれません。
また経済の世界も、現代の経済は、まさに競争原理に支配されていますから、そこでも戦争と同じ活動が展開されているのかもしれません。
政治も経済も、いまやすべてが戦争の変形でしかないのかもしれません。
ですからみんな戦争から学びたがるのでしょう。
しかし、戦争から学ぶことがあるとすれば、オシム監督が言うように、戦争が存在価値を持ってしまうことになります。
そろそろ「戦争」から学んだり、戦争の知恵を政治や経済に応用したりするのは考え直すべきではないかと思います。
10年ほど前に私が翻訳した「オープンブックマネジメント」という本がありますが、そのあとがきの解説で戦争からゲームへとモデルを変えることを提唱しました。
もっと創造的なゲームへと発想を変えていけば、世界はきっと変わっていくでしょう。
フーコーも「真理のゲーム」ということを提唱しています。
「戦争」パラダイムから「ゲーム」パラダイムに生き方を変えるだけでも、人生は変わってくるかもしれません。
私は若い頃は、まさに「ゲーム」パラダイムで生きてきたのですが、いつの間にか「戦争」パラダイムの影響を受けてしまっているように、最近感じています。
このブログは、フーコー流のゲーム発想を大切にしているつもりなのですが。
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