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2007/11/06

■国民国家の偽装の露呈

小沢さんが代表辞任の記者会見をした日の朝、中
曽根元首相と読売新聞主筆の渡辺恒雄さんが話しあうのをテレビで観ました。
お2人が国の先行きを考え、憂いていることがわかります。
2人とも、大連立こそ日本を救う道だと考えているようです。
このままだと、国会のねじれ現象は6年続き、何も決められず、
国際社会への責任も果たせないというのです。
そして、勝海舟と西郷隆盛の江戸開城の話まで出てきました。
聞いていると、なるほどと思ってしまうような気もします。

だが、どこかでおかしい気がします。
待てよ、この人たちは国家を私物化しているのではないのかという気がしだしたのです。

それは必ずしも否定的な意味ではありません。
「国家を私するものたちの志こそが、国家を動かしているのではないか」という思いがしたのです。
さらに言えば、国家とはそもそも私物化される存在ではないのかという気がしてきました。
近代において生まれた「国民国家(Nation State)」は、
「自分たちの国」と思う「国民」によって成り立っている、「コモンズ」なのです。
だとすれば、私物化の原理が基本にあって当然です。
その「私」(自分たち)の範囲が広くなることで、国家の基盤は強くなり、意味を持ってきます。
だから国民国家の最大の課題は国民を育てることです。
そこに「教育」の意味があり、憲法や制度の意味があります。

しかし、ちょっと視点を変えると、国家を一番私物化しているのは国民なのです。
フリーライダーしながら、国家に異議申し立てをしていれば自分の存在意義を確認でき、仕事も生み出せるわけです。
国家は自分でもあり、他者でもある便利な存在なのです。

党首会談を働きかけたのは渡辺恒雄さんだという噂も出ています。
今回の騒動は、国家を私するものたちの志が生み出した物語であることは間違いありません。
その故にこそ、国民国家の「偽装」が見え出した象徴的な事件なのかもしれません。
偽装は最近の流行ですが、国家の偽装が見えてきたことは皮肉な話ではないでしょうか。

日本の社会では「偽装」を暴露した人は報われません。
耐震偽装事件も食品偽装事件もそうでした。
それもまた私物化原理による国民国家の必然なのかもしれませんが、
小沢さんへの批判は留まることがないようです。
その事件も興味はありますが、その根底で動いている歴史の流れにも目を向けたいものです。
「マルチチュード」の岐路なのかもしれません。

ちなみに、私はまだ小沢さんの言動に共感しています。賛成ではありませんが。

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