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2007/11/10

■脱貨幣社会の気分をちょっと味わっています

政治問題はもう辟易しましたので、今日はちょっと体験的な生活時評です。

ちょっと大げさのタイトルですが、今週はいろんな人からいろんなものをもらいました。
今日は福井からたくさんの野菜が届きました。
義姉夫婦が農業をやっているので、定期的に届くのです。
一部を近隣や兄夫婦にお裾分けしました。
午後には近所の人が新鮮なカブをたくさんもらったのでとお裾分けしてくれました。
昨日は、やはり近くの人が実家に帰って庭の柿を採ってきたのでとお裾分けしてくれましたし、
その前日は実家からわかめがどっさり届いたといって持ってきてくれた人もいます。
亡くなった妻が、お裾分けが好きだったのですが、そのおかげでわが家にはいろんなものが届きます。
お金がなくても暮らしていけるのではないかと思うほどです。

野菜だけではありません。
手づくりのジャムやきしめんが届くこともあります。
またわが家の家庭菜園からのお裾分けが虎屋の羊羹になったり、和菓子になったりすることもあるのです。
妻は近くの高齢者の家から夏みかんをもらってジャムにしてお返ししていました。
他の人からもいろんなジャムが届きます。
私には不得手なジャムもあるのですが、なかなかジャムは買うチャンスがありません。
他にも、古着を活用した裂き織のバッグだとか、妻はいろいろとリサイクルユースしていました。
ケーキもよく作っていましたが、ケーキ屋さんのよりも私の口には合いました。
娘もその文化を引き継いでいますが、そうしたおかげで、わが家の金銭支出はかなり低いはずです。

私は、百姓の生活が理想ではないかと思っています。
百姓生活にはさほど現金はいらないはずです。
女房と違って実践力がありませんが、亡き妻のおかげで、いまその恩恵を受けているわけです。
今日も来客があったのですが、わが家のつつましやかな家計と生活の質の正の相関について話をしていたところです。
なかなか理解はしてもらえませんでしたが。

お金の使用を最小限にする生き方をみんなが始めたら、どうなるでしょう。
きっと経済は失速し、景気は悪化するでしょう。
不要な仕事を創出することによる経済の活性化は、それを知ったときには実に新鮮に思えたのですが、
今では何という馬鹿げた話かと思います。
どこかで何かが間違っているように思います。

大切なのは経済ではなく、暮らしです。
経済が回復して暮らしが辛くなるようなことはどう考えてもおかしいです。
やはり、現在の経済システムは基本から考え直す必要がありそうです。
暮らしを良くするために現金は必要ですが、現金がなくても暮らせる仕組みを回復できないものでしょうか。
その視点で考えると、過疎問題や限界集落も違う捉え方ができるように思います。

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