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2007/11/22

■節子への挽歌79:「誰に対しても心やさしい奥様でしたね

節子の訃報を知った私の友人から手紙が来ました。
「誰に対しても心やさしい奥様でしたね」
親バカならぬ、夫バカですが、とてもうれしい言葉です。

近くにお年寄りが2人で住んでいるお宅があります。
昔からのお宅なのですが、いわゆる独居老人だったのですが、いまはお手伝いさん的な人が一緒に住んでいます。
2人ともとてもいい人なのですが、最近やってきたお手伝いさん的な人は近隣とのお付き合いもあまりありませんでした。
おそらく最初に声をかけたのは節子だったのではないかと思います。
節子はいつもあの人はきっとまだ近くの「あけぼの公園」にいったことがないのではないか、「水の館」はどうだろう。私が元気になったら自動車で一緒に我孫子を案内してやりたいと話していました。
結局、それは適えられなかったのですが、節子はいつもそんな調子で、誰かを喜ばせることを考えていました。
私が節子にこれほどほれ込んでしまっているのは、私の人生において実にたくさんの喜びを与えてくれたからです。まあ、たいした喜びではなく、ちょっとした「やさしい心配り」なのですが。でもそれが今の時代には欠けていますから、もらった人はとても節子が好きになるのです。

自動車で我孫子を案内できなかった、その人が先日、献花に来てくれました。
節子がいたらどんなに喜んだでしょうか。
節子だったらそうしたであろうことをさせてもらいましたが、その人はとても喜んでくれました。
私はもう10年以上運転をしていないので、自動車での案内は出来ませんでしたが、節子の思いは少しだけ果たせた気がしています。
その後、夜道を歩いていたら、その方から声をかけられました。
私も少し節子の生き方に近づいたかなとうれしくなりました。
人の幸せは、本当にとても小さなところにあるようです。

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