■「国民のため」に、新テロ対策法を通したい人、反対する人
衆議院で新テロ対策特別措置法が成立しました。
与党は「国民にため」にこの法案を早く成立させたいといい、野党は「国民のため」に反対しています。
いずれも「国民のため」なのですが、「国民」って一体誰のことなのでしょうか。
軽々しく使わないでほしいものです。
市町村でも、よく「市民参加」とか「住民参加」といわれます。
しかし、だれを「市民」や「住民」に定位するかによって、その意味合いは全く変わってきます。
したがって、この言葉はまさに「偽装」や「詐術」の常套句なのです。
日本は小泉首相時代以降、「偽装」に依存する国家に成り下がっていますが、
政治家は「国民のため」などとあいまいな表現をするのではなく、価値評価できる具体的な言葉で国民に説明するべきです。
「国民のため」というのは、内容のないトートロジーでしかないからです。
そうした言葉にこそ、騙されるのが「国民」なのかもしれませんが、
そろそろ私たちはそうした世界から抜け出したいものです。
「テロ」の意味もろくろく考えずに、何がテロ対策だという思いが私にはあります。
拉致問題で、横田さんが「拉致こそテロ」と言っていますが、全く同感です。
江戸時代の百姓一揆の実態がかなり究明されてきたために、私たちが学校で学んだ百姓一揆の認識は大きく変える必要があります。
同じように、いま一般に「テロ」と見なされている活動も、もう少し広い視野で実態をみていけば、世界の認識は大きく変わるでしょうし、50年後にはテロに対する主客が転倒していることも充分ありえます。
話がまたそれましたが、「国民のため」とか「市民のため」とかいう言葉を聞くと、その人が考えている「国民」や「市民」って誰なんだろうかといつも考えてしまいます。
先日、朝日新聞に掲載された民主党の仙石議員の投稿記事に、「熟議民主主義」が少しだけ言及されていました。
また機会を改めて、そのことを書きたいと思いますが、「国民のため」の最初の一歩は、「熟議」です。
判断が分かれている問題を急いで決着するのではなく。みんながわかるように情報共有化を進め、異論をぶつけ合う中で、多くの国民が自らの頭で考え決めていくことこそが、「国民のため」ではないかと思います。
自らの意向を実現するために、「国民のために」などという詐術用語で正当化するべきではありません。
「○○のため」の○○には、自分ではない人間や人間集団を入れるべきではありません。
「アメリカの信頼を得るため」「アフガンの戦火をなくすため」「自衛隊の訓練のため」などといった、もっと実体のある言葉を入れなくてはいけません。
そういう言葉を入れていくと、問題の本質が見えてくるはずですから。
そして、偽装や詐欺は成立しにくくなるでしょう。
同じことは、高齢者のため、障害者のため、過疎地のため、子どもたちのため、などという言葉にもすべて当てはまります。
本当に今の日本は、偽装が満ち満ちているのです。
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