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2007年12月

2007/12/31

■節子への挽歌120:節子、とうとう今年は会えずじまいでしたね

節子
今年も終わりです。

今日は実は大変な1日でした。
節子が呼びに来たのかなと思ったほどです。
朝起きたら、めまいと吐き気で、動けなくなりました。
ホームページに書きますが、
何とか落ち着きました。
生まれて初めての体験でした。

もうじき除夜の鐘が鳴り出すでしょう。

今年は私たち夫婦にとっては忘れられない年になりました。
しばらくの別れを余儀なくされてしまった不条理さをまだ受け入れられずにいますが、
今もなお、節子と共に生きていることはかなり実感しだしています。
矛盾した言い方でしょうが、それが正直な気持ちなのです。

あなたと会えなくなってから、たくさんのことに気づきました。
毎晩、早朝に目が覚めます。
そして1時間くらい、あなたと静かに会話します。
時には自然に声が出ることもあります。
そこであなたからたくさんのことを学んでいます。
あなたが私に残してくれたことは、本当にたくさんあります。
ありがとう。感謝しています。

節子と結婚しなかったら、今の私とは全く違った私になっていたでしょう。
今の私は完全に節子によって育て上げられたといえるでしょう。
そしてその生活の基盤をつくったのもあなたです。
わが家の文化は、良いところも悪いところも、すべてが節子の作品です。
節子がいなくなって、あなたの存在の大きさを感じます。

節子がいなくなってから、私はずっとめそめそしています。
会う人たちは、予想に反して元気で明るいと安堵しますが、元気で明るく、めそめそしているわけです。
娘たちは2人とも私とは別のショックを受けていますが、若い分だけ対応も柔軟のようです。
心の底は私には見えませんが、彼らはとてもよくしてくれます。
これも間違いなく節子の文化のおかげです。
家庭の文化は、結局、女性が創るものだとつくづく思います。

この挽歌も120回になりました。
私にとっては、この挽歌を書くことが一つの支えでもあるのですが、
うれしいことに(そして少し気恥ずかしいことに)読みつづけてくれる人がいるのです。
あなたのことを知っている人も多いですが、私たちとは面識のない人まで読んでくれています。

4か月たつのに、今も節子の周りには花が絶えません。
一昨日、ジュンの知り合いが、わざわざ富山からきれいなチューリップをたくさん持ってきてくれました。
彼はあなたの花好きのことを知らないだろうに、どうして花を持ってきてくれたのか不思議です。

明日から新年。
朝はいつものように、一緒に初日の出を見たいと思います。

節子
本当にありがとう。

また会えるのを楽しみにしています。
本当は今すぐにでも会って抱きしめたいのですが。

除夜の鐘が鳴り出しました。

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■読者へのお礼と自己反省

今年は私にとっては世界が一変してしまった年でした。
私に生きる意味を与えてくれていた最愛の妻が彼岸に行ってしまったのです。
しばらくは立ち上がれませんでしたが、このブログに「妻への挽歌」を書き続けたおかげで、気を鎮めることができました。
そんなわけで、一時はこのブログも挽歌一色になってしまいました。
しかし、妻との別れは生きるということの意味を改めて考える契機になりました。
そして、その生きるという視点から世界を見ることの意味も改めて知りました。
ゾーエとビオスという小難しい言葉を使って書いたことがありますが、挽歌と時評の2本立てで続けてきたこのブログのおかげで、自分の世界に埋没せずにすんだような気がします。
そして全く知らない人が、時評から挽歌に入り、読んでくださっていることも知りました。
また私たちを知っている人も、読んでくださり、メールや電話もくれるのです。
空虚になった自分の心の底に向けて書き出した挽歌が、こうしていろいろな人たちに読んでもらっていることに感謝しています。ありがとうございます。節子の言葉を使えば、「感謝感謝」です。
そうしたみなさんのおかげで、私たち夫婦はいまなお一緒に生きているという感じを持てるようになってきました。

しかし、一方の時評はどうでしょうか。
相変わらず言葉が汚く、感情的で独善的、時に読者を不快にさせているのだろうと思います。
実は、それでも最近は読み直してから掲載するようにしています。
ゾーエの視点を大事にする姿勢のために、原文はもっと激烈で社会的でないのです。
そうした私の直情性や独善性を戒める節子は、もういません。
自分で戒めるしかないのです。

戒めるべきは、表現だけではありません。
思い上がりや我田引水、浅はかな判断や知ったかぶり。
そうしたことは私自身を貶めるだけであり、そう問題ではないでしょう。
最大の問題は、読者の高校生が問いかけてきたように、自分はなにをやるのか、です。

来年は活動を再開しようと思います。
4年ぶりになるでしょうか。
気力も体力も半分に落ちていますので、何ができるかわかりませんが、考えるつもりです。

春からは毎月1回、土曜日の午後にサロンを始めようかと思います。
時評をテーマにした、しかしテーマのないサロンです。
またこのブログで、あるいはCWSコモンズのお知らせのコーナーでご案内します。
お会いしたことのない人と会えるのを楽しみにしています。

ちなみに1月4日の午後1~3時、湯島のオフィスにいる予定です。
よろしかったらお立ち寄りください。
どなたも、もちろん全く面識のない方も、大歓迎です。
湯島のオフィスの地図は私のホームページに出ています。

みなさんにとって、新しい年が良い年でありますように。
ありがとうございました。

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2007/12/30

■製造年月日の違う商品が並んでいたらどちらを購入しますか

これは誰からも賛同を得られずに、ついには自分もやめようかと思っている提案です。
でもちょっと捨てがたいかなと思っているので、紹介させてもらいます。
それは、お店でジュースや加工食品を購入するときにはできるだけ製造年月日の古い物を選びましょう、という提案です。
だれからも賛成されたことはありませんし、私自身、最近は家族から怒られてその行動を止めてしまいました。

なぜ古い物から選ぶのかですが、それは考えようによっては当然のことなのです。
もしみなさんの自宅の冷蔵庫に賞味期限が決まっている同じ種類の商品が複数入っていたら、みなさんはどちらから使いますか。
おそらく多くの方は、古い方から使うでしょう。
これはまだしばらくは大丈夫だから、先ずはこちらから使ってしまおう、というわけです。
そうしないと無駄にしてしまう恐れがあるからです。
ところが、その同じ人が、スーパーでは奥の方にある製造年月日の新しいものを選んでしまうのはなぜでしょうか。
当然だろう、できるだけ使える期間を確保して無駄にしないためだ、と家族からは言われました。
でもどうも納得できません。
そもそもそういう行動が昨今の食品偽装の根底にあるのではないか、という気もします。

自分の家での行動と社会での行動が、なぜ変わってしまうのか。
考えてみてもいい問題かもしれません。

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■節子への挽歌119:写真の向こうの節子の息吹を感じられるような気がします

節子 今年ももうじき終わりです。
そちらにもカレンダーはあるのでしょうか。
時間はどう流れているのでしょうか。

この頃、あなたの写真を見るだけで涙が出てきます。
どうしたことなのでしょうか。
自分でもわからないのですが、節子の笑顔の写真にこの頃、表情や変化を感じるのです。
写真なのに、その先に生きている節子を感じるのです。

あの世の世界は、私が今生きている三次元の世界ではなく、もっと高次元の世界という話を読んだことがありますが、もしそうだとすれば、この写真の向こうにあなたが生きている世界があるのかもしれません。
それが感じられるようになったからでしょうか、ともかく写真をみると自然に涙がこぼれてきます。

もうまもなく今年も終わろうとしています。
節子がいなくなってから、私にとっての世界は一変しました。
そして、それまで何となく見えてきたことがしっかりと見えてきたように思います。
とても温かな世界も見えてきましたが、とても寂しい世界も見えてきました。
生きるということの、惨めさと悲しさを改めて考えさせられています。
ともすれば厭世的になりがちです。

しかし、それにしてもこれまでの私の生き方は、いかにも寂しく冷たくて、近代的だったかを思い知らされています。
わがままで一人よがりだった。
その生き方が、節子のおかげで、温かなものに見えていただけだったのかもしれません。

節子、あなたも私同様、わがままでしたが、でもとても温かなものを持っていました。
それを思い出しながら、来年はもう少し温かい生き方を私もしようと思っています。

あなたは本当に私にとっての最高の先生でした。
すぐに後追いできないのがとても悲しいです。
あなたが早く迎えに来てくれることを願っています。
早くまた節子に抱きしめられたいです。
そして、抱きしめたいです。

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2007/12/29

■「批判ばかりせずに代案を出せ」の恐ろしさ

みのもんたの早朝の番組に各政党の人たちが政治論争をしていました。
最近、朝早く目が覚めるために、いつもこの番組をみていますが、今日はみんなエキサイトしていました。
政党による政治論争を聞いていると、与党側からよく出てくるのが、
「批判ばかりせずに代案を出せ」という言葉です。
今日も自民党と公明党の人が盛んに連発していました。

与党に与する人たちも、よく「民主党には代替案がない」と言います。
私などは、自民党以上に民主党は政策を明示しているように思います。
自民党はたしかに具体的な法案や手続き明細はだしているかもしれませんが、
それは政権担当政党としての作業でしかありません。
政策には理念やビジョンがなければいけません。
そういう意味では自民党よりも民主党の方に、私は政策や具体的な方策を感じます。
それに、独立行政法人見直しの動きを見ていると、
現在の政府の政策のほとんどは官僚がつくったものかもしれないと疑いたくなってしまいます。

人によって見方は違いますから、どれが正しいというつもりはありませんが、
少なくとも与党と野党の立場の違いを踏まえて考えなければいけません。
政府閣僚の「民主党には代替案がない」という言葉を鵜呑みにしてしまうことだけは避けたいものです

それ以上に大切なことは、批判の大事さが軽んじられていることです。
批判と代案提出とは別の問題です。
それに批判をよく読めば、ほとんどの場合、そこには代案が示唆されています。
それが読み取れないのは、官僚の案を鵜呑みにしているだけで、
真剣に問題を考えていないからかもしれません。

批判は否定ではありません。
与野党が対立関係で考えると批判は否定になることもありますが、
もっと大きな政治の目的からいえば、批判は建設につながるはずなのです。
代案を一緒に考える、それこそが民主主義に基づく政治のあり方です。

「批判ばかりせずに代案を出せ」
この言葉の恐ろしさを思い出さなければいけません。
そうした言葉が、どういう結果をもたらしてきたか、忘れてしまっているのでしょうか。

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■節子への挽歌118:「やはり、生きるしかないのです」

節子
今日はちょっと辛い報告です。
辛い報告もたくさんあるのですが、しばらくはあなたには伝えないようにしようと思っていました。

あなたも知っているJ.M.Aさんからのメールです。
彼女も辛い病気と一緒に生きているようです。
しばらく連絡がなかったので、もう病気は回復したのかと思っていましたが、そうではなかったのです。

早くご返事を出したかったのですが、言葉が見つからず、書いては消し、書いては消し、やっと落ちつきメールを出すことが出来ました。
彼女の気持ちを思うと、今度は私も返事が書けなくなりそうです。
あなたの訃報を知らせるべきではなかったと反省しました。
こういう人が何人かいました。
私の友人にはまだあなたの訃報はあまり知らせず、
あなたのことを知っている人50人くらいにしか知らせていないのですが、
その返事の多くに悲しいニュースが書かれていました。
いままで私にはそうしたことが見えなかったのかもしれません。
どこの家庭にも、それぞれに悲しいことや辛いことがあるのだと改めて思い知らされました。
同時に、自分が少しでもその立場にならないと、そうしたことは見えてこないものなのだとも思いました。

Mさんはメールの冒頭にこう書いてきました。

やはり、生きるしかないのです。元気で生きてください。
メールの最後にこう書いてくれました。
奥様の分まで長生きして下さいとは言いません。
でも、元気でいて下さい。いつも、健康をお祈りいたします。
節子
あなたはもう痛みや苦しさから解放されていますか。
あなたの辛さをきちんと受け止めていなかったのではないかと悔やんでいます。
昨夜も4時に目が覚めて、そのことを思い出したら、もう眠れなくなりました。
声に出して謝りましたが、聞こえましたか。

Mさんも、痛みに耐えているようです。こう書いています。

今年のクリスマスは、神様に「痛みを少し取って下さい」とお願いしました。
節子、あなたもそちらでMさんのために祈ってくれますか。
Mさんだけではありません。
みんなの痛みや辛さが少しでも軽くなるように、一緒に祈りたいと思います。
私たちも、たくさんの人たちに祈ってもらいました。
私も、朝の般若心経の後、1分間の黙祷を始めたいと思います。

この世には、あまりにもたくさんの痛みや悲しみ、辛さや不安があります。
それがこの頃、見えすぎてきてしまい、生きることの辛さを感じています。
節子が元気だったころの脳天気な修は、少しだけかも知れませんが、卒業しました。

それなりにがんばっているので、安心してください。

*一昨日書いた「花より団子」がちょっと問題になっています。
 少し追記していますので、気になっている方はぜひ読んでください。
 勝手なことですみません。

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2007/12/28

■暗殺の対象者は異議申し立て者が多いような気がします

パキスタンのブット元首相が暗殺されました。なぜ殺し合いがなくならないのか。
殺害された人の無念さはよくわかりますが、
殺害するしか解決の手段が見つからない状況に追いやられた人の思いにも哀しさを感じます。
かけがえのない伴侶を病気で失った私には、生命を軽んじる人には憤りを感じますが、
社会そのものが生命をおろそかにしてしまっているのでしょうね。
寛容さが失われてきているのです。
とても哀しい風潮です。

しかし、最近の暗殺対象者の多くは、権力の中心にいる人ではなく、
むしろ権力に対して異議申し立てをしている人です。
今回のブットもそうですし、リトビネンコもそうでした。
最近、そのことがずっと気になっています。
異議申し立て者のいない社会や組織は長続きはしないでしょう。
しかし最近の世界は、異議申し立て者に寛容ではなくなりました。

異議申し立てが世界に輝きを与えていた1960年代が懐かしいです。

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■節子への挽歌117:2人で過ごす「無為」の時間

今年の年末は、何もやる気がなく、手持ち無沙汰です。
節子がいた時は、どうしてあんなに忙しかったのでしょうか。
自分の生き方を、今になって反省しています。
節子に指摘されていた意味が漸くわかってきました。

大切なことからではなく、どうでもいいことから始める、あなたの生き方を変えないとだめよ。
やることが山積みのときでも、私は気が向くままに、好きなことから取り組むのが常でした。
忙しい忙しいと言っているのに、実際にはどうでもいいようなことをやっていて、
寝る時間の直前になってからようやく明日までにやらなければいけないことに手をつけだすのが、私の習癖でした。
そのため、いつも節子は、やらなければいけない「大切なこと」からやらないとだめよ、と注意してくれていました。
私と節子とでは、「大切なこと」の意味が違っていたのです、
節子がいう「大切なこと」は、それをやらないと誰かに迷惑をかけることでした。
私にとっての「大切なこと」は、やっていて楽しいことでした。

ところが、節子がいなくなってから、やっていて楽しいことがなくなってしまったのです。
だから時間をもてあましているわけですが、しかし一方で、友人知人に頼まれていることはたくさんあるのです。
もちろん私が担当の家事もたくさんあります。
仕事も引き受けていますので、やらないと誰かに迷惑がかかることもあるでしょう。
しかし、楽しくないことには気が向きませんし、気が向かなければ仕事はできません。
勝手だといわれそうですが、私の仕事は「その気」にならないと成果をあげられないのです。
まぁ、節子に叱られた時にはいつもそういう「言い訳」をしていました。

不思議なのは、節子がいなくなった後、どんな仕事も楽しくなくなってしまったのです。
目的が見えなくなったからでしょうか。
節子がいようがいまいが、関係ないはずですが、ともかくやる意義が見出せないのです。

そんなわけで、節子が最後までいた和室で、節子の写真の前で無為に過ごしていることが少なくありません。
それが無駄なのか、意味のあることなのか、わかりませんが、少なくともその時間は、私たち夫婦の時間です。
そういう時間を持てることに感謝しています。
ただ、なぜ節子がいた時にもっとこういう時間を持たなかったのか、それが悔やまれてなりません。
空気と同じで、それがなくなって初めて大切さがわかることもるのです。
その時は、すでに遅いのですが。

「無為」の時間を過ごすこと。
宇宙の大きな流れからみれば、個人の一生はそれ自体「無為」といっていいでしょう。
いろいろとやっているようですが、結局は無為に等しいことでしかありません。
その無限の無為が重なって宇宙になっていくのでしょうが、
逆にそういう視点から考えれば、無為とがんばりとの違いもないのかもしれません。
まぁ、節子の写真の前で、そんなことを考えているわけです。
困ったものです。

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2007/12/27

■誰にとっての効率

年末の風物詩はいろいろありますが、銀行のATMの行列もそのひとつかもしれません。
以前も書きましたが、本当に不思議な風景です。
数年後には、どうしてみんな黙って並んでいたのだろうかと思うことになるのではないかなと思いますが、いまは寒い中を何の疑問も感ずることなくみんな並んでいます。
もっともATMに限らず、銀行も郵便局もいまや待つのが常識のようです。
その原因のひとつは、さまざまな「保護条例」ができたことでしょうが、ともかく社会から「信頼」が失われたことです。
信頼関係の弱まりは、「取引コスト」を高め、効率性を阻害します。

その一方で、時代は効率性を要求しています。
物事の判断基準において、効率は大きなウェイトを占めています。
しかしよく考えてみると効率性は、誰にとっての効率性かで内容は変わってきます。
信頼関係が弱まったことで、効率性を享受している人もいるのです。
そこがややこしいところです。

銀行の最近の仕組みは、利用者の効率性や安全性ではなく、銀行の効率性や安全性が優先されています。
利用者は手数料まで取られて、長い時間待たされる。
仮に1人10分から30分としても、全国で並んでいる人数を掛け合わせたら膨大の無駄が発生しているはずです。

銀行にとっては無駄はなくなっているかもしれませんが、社会の無駄という視点で考えたらどうでしょうか。
国民がATMの前で待つ無駄な時間を合算した膨大なロスと銀行が手に入れた効率の総計とでは、どちらが大きいでしょうか。
もし前者が大きければ(間違いなく大きいと思います)、社会的な損失というべきです。
なぜそれが問題にならないのか。
銀行にとっての効率性と安全性だけで考えていいのでしょうか。

双方が満足できる方策はあるのでしょうか。
機械操作なのですから、勤務時間と関係なく、手数料は365日24時間一律とすれば行列はかなり解消されますし、銀行単位のATMではなく共有化すればいいだけの話です。
なぜそれができないのか。
それは、昨今の「食品偽装問題」と同じように、問題の設定が間違っているからです。
こうした事例が多すぎます。

ちなみに、並ぶことは無駄なことではないと言う人もいるかもしれません。
たしかに宝くじの発売前に並んだり、ディズニーランドで並んだり、並ぶことが好きな人もいます。
それに、日本の教育は、並ぶことを大事にしてきていますから、並ぶことへの抵抗はなくなってきているのかもしれません。
でも私は並ぶのが好きではありません。
みなさんはどうでしょうか。
並ぶことに慣れてしまう恐ろしさを思い出さねばなりません。

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■節子への挽歌116:「花より団子」「花よりこころ」

今日は、節子への内緒話です。
節子に聞かれるときっと掲載禁止になると思いますので。

節子の供養に来てくださる方のなかには、「花より団子」といいながら、花ではなく供物として果物を持ってきてくださる方もいました。
花はいろんな方からもらっていたので、花より団子はありがたいことでした。
しかし、「花」と「団子」とは、その意味合いが全く違います。
いつかそのことを書きたいと思っていましたが、注意しないとせっかくのお心遣いを否定することになりかねないので、書くのを躊躇していました。
でも、このブログでは当事者の思いをできるだけ知ってもらったほうがいいと思い、書くことにしました。
失礼な発言があったらお許しください。
それに、これは私だけの考えかもしれません。

花より団子、という言葉には比較が入っています。
そのために、当事者はいささかの感情を持ってしまいます。
花も団子も供養の手段ではあるのですが、当事者には微妙に違うのです。
「花」は主に死者に向けられていますが、「団子」は主に遺族に向けられています。
愛する人を亡くした当事者にとっては、その違いは大きいのです。
遺族よりも死者への供養をしてほしいと思ってしまうのです。
なにしろ頭の中には死者のことしかないのですから。
花が聖なるメッセージの象徴であるとすれば、団子は俗なメッセージの象徴なのです。

死者が生前、とても好んでいたものであれば、意味合いは違ってきます。
むしろその場合は、団子も「花」的な要素を持ってくるということです。
つまり、供物として団子が悪いということではないのです。
「花より団子」という言葉があまり適切ではないということです。
もっと端的に言えば、「比較」を内包する言葉は、弔いや供養の場面では使うべき言葉ではないように思います。
今にして思うと、実は私自身使ってしまっていたこともあるのですが、反省しています。

理屈っぽい話ですみません。
しかし、気分が落ち込んでいる当事者にとっては、そうした小さな言葉づかい一つひとつが心にグサッとくることもあるのです。
しかも、それは必ずしも明確に伝わるわけではありません。
いわゆるサブリミナルに印象を残すのです。
こうした「異常な感受性」におそわれて、私自身、ほかの遺族の人と接しられなくなってしまいました。
同時に、誰かに会うのも恐ろしかったのです。
過剰に「見えてしまう」気がするからです。
最近、やっと少しずつ落ち着き出しました。

せっかくなので、さらに余計な一言を付け加えます。
大切なのは、花でも団子でもなく、こころです。
「花よりこころ」、ではなく、「花にこころ」というべきでしょうが。
花や団子を使わなくても、こころは表現できることを改めていろいろと学びました。
私自身は、そうした生き方を心がけてきたつもりなのですが、なかなかできていないことにも気づかされました。

素直な思いをお伝えしたくて、勝手なことを書いてしまいました。
他意はありません。
団子を届けてくださった方、気を悪くしないでください。
私も同じようなことをこれまでやってきたのだろうと思います。
またぜひ団子も持ってきてください。はい。

追記(2007年12月28日)
このブログを読んだ人から、私のことね、という電話がありました。
その人が「花より団子」と言ったことは、実は記憶になかったのですが、
言われてみると確かにそんな話をしていたかもしれません。
その方は、ブログを読んで、とても気になり、真意を伝えたくて電話をしてくれました。
その話を娘にしたら、○○さんも「花より団子」と言ってたよと言うのです。
ところが、その記憶もないのです。
思っていた以上の方が、そういう言葉を話しているのかもしれません。
ですから、この記事を読んで、不快な思いをされた方が少なくないのかもしれません。
やはり載せなければ良かったですかね。
節子がいないとやはり問題を起こしがちです。困ったものです。

この記事に関する続編は改めて書きます。
どうぞ気を悪くされないで下さい。
当事者と周囲の人との意識の微妙なずれを書いておきたかっただけなのです。

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2007/12/26

■ゼロ・トレランス発想にみるマイナスの循環

教育再生会議の第3次報告の概要を新聞で読みました。
競争促進的な管理志向が少し弱まったような気がしますが、
基本トーンはあまり変わっていないようです。
教育再生で目指している「再生」すべき価値は何なのでしょうか。
それがすべての出発点でなければいけません。
再生とか改革とかいう言葉が安直に使われる風潮に危惧を感じています。
理念や価値観もなく、そういう言葉は使うべきではありません。

今日は教育再生の問題です。
学校の荒廃を正して行くための、ゼロ・トレランスの流れが加速しています。
ゼロ・トレランスは文字通り、寛容さ(トレランス)を捨てて厳罰主義を貫くということです。
私が40年前に会社に入った頃、ゼロ・デフェクト運動(ZD)運動というのが始まっていました。
品質管理技法です。
工業の論理が人間の世界、しかも教育の世界にまで広がっているわけです。
間違いなく失敗するでしょうが、それを正す動きはなかなかでてこないでしょう。
なぜなら管理側にとって失敗が見えてくるまでにはかなりの時間がかかるからです。
厚生省や農水省の犯罪と同じ構図があります。
これを文部科学省の犯罪というのにはいささかの躊躇がありますが、
こうした流れを止められなかったという点では、
彼らは小泉・安倍政権に加担したと言われても仕方がないでしょう。

しかし、今日の話題は、文部科学省の犯罪ではありません。
因果の逆流、あるいはマイナスの循環の話です。

ゼロ・トレランスの動きを支えているのが、
子どもたちを甘やかすことが校内暴力や学級崩壊をもたらすという認識です。
この因果関係は必ずしも立証されていないと思いますが、
さらに問題なのは、「甘やかす」の中身です。
それが子どもたちの自主性を尊重し、管理基準を緩やかにするということに置き換えられて、
厳罰・規律・管理主義へとつなげられていることです。

厳罰主義は規律管理を強化するということと同義です。
創造力に富み感受性の高い、個性豊かな子どもたちを、
大人たちの都合に基づいて管理し型に当てはめていく。
これは教育の対極にある訓練でしかありません。
産業社会の教育はそれでいいのだといわれればそれまでの話ですが。
しかし、教育によって主体性を確立していない子どもたちに訓練を施すとどういう結果になるか。
「ボーン・アイデンティティ」の世界の出現です。

学校の管理主義が校内暴力や学級崩壊の原因ではないかという指摘もあります。
因果のベクトルをどう捉えるかで、世界の見え方は一変します。
1980年代以降の管理教育の徹底と「内申書」重視の入試体制の強化が、
学校を荒廃させてきた面は否定できないことでしょう。
そこから急速に「学びの場」の崩壊が始まり、管理と逸脱の悪循環が始まったのです。
こうしたマイナスの循環は、さまざまなところで起こっています。
9.11事件の始まる「報復の連鎖」も、その一つです。

イラクの事実が示すように、マイナスの循環を反転させるのは発想の転換しかありません。
つまり、因果のベクトルを変えることです。
私が30年前に書いた「21世紀は真心の時代」で考えていたのは、
そうしたベクトルの逆転だったのですが、
時代はますますマイナスの循環に陥っているような気がして残念です。
せめて私自身は、そうした循環を逆転させる生活をしようと心がけています。
因果の呪縛から抜け出すと、世界の風景は変わってきます。

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■節子への挽歌115:言葉が見つかりません

節子 
先日、自宅建設の時にお世話になったKさんがカレンダーを持ってきてくれました。
節子のことを話しました。
沈黙があった後、何を話したらいいのかわかりません、と言いました。
Kさんらしい正直な反応です。
Kさんに限りませんが、手紙でもメールでも電話でも、節子のことを知っている人は一瞬たじろいでしまいます。
それがわかるので、私自身も話す時に「たじろぎ」ます。

節子も会ったことのある私の友人にも訃報のメールをしました。
あなたも知っているKさんからのメールはこうです。
社交ベタな小生に、
「お痩せになられましたね」と声を掛けてくれたことがあります。
にもかかわらず、私は無愛想に「そんなことも無いと思いますよ」と返答したように思います。
私の不器用さに手を差しのべてくれたに違いないのに、
と瞬時に気がつきながらもフォローの言葉も思い浮かばなかったあの時の自分を思い出しました。
彼岸の奥様に
「すんません。気持ちはあるんですが、無作法で。上手く社交が出来ないだけなんです。
実は、気持ちよく迎えて戴いたことが、とても嬉しいのですが、喜びの感情表現が何故か恥ずかしいのです」
と改めてお詫び申し上げます。
Kさんのことを節子といろいろと話したことを思い出します。
彼がこんなふうに考えていたとは思ってもいませんでしたね。

Mさんは覚えていますか。覚えていますよね。
Mさんからは、こんな褒め言葉です。
初対面の他人をもホッとさせる、何とも穏やかな雰囲気をお持ちの方でした。
爽やかな印象をお与えいただきましたことを、未だにはっきりと覚えています。

他にもいろんな人が温かな言葉を添えてきてくれています。
でもメールが届くのは、みんなしばらく時間がたってからです。
どう書いていいかわからないのですよ、きっと。

年が明けたら私の知人たちから年賀状がまた届くでしょう。
私がまだ知らせていない知人友人も少なくないからです。
その人たちにどう伝えたらよいか。
例年のような年始メールも出さないつもりです。
私のホームページには節子のことを書こうと思っていますが、どう書けばいいか、迷っています。

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2007/12/25

■「国の責任」

私にはよく理解できない日本語は少なくないのですが、
薬害肝炎訴訟事件や年金問題でよくいわれる「国の責任」も理解しがたい言葉です。
薬害肝炎訴訟事件では、国が謝罪するかどうかが問題になっていますが、
国が謝罪するというのは首相が謝罪するということなのでしょうか。

似たような表現はたくさんあります、
今日も病院のカテーテルの再利用が発見され、テレビでは病院が謝罪したと報道しています。
この場合は、病院の経営者もしくは医師が謝罪したというような意味でしょう。
企業不祥事で経営者が謝罪しますが、それを会社が謝罪したと表現されます。
私自身、時にこうした表現を使っているかもしれませんが、厳密に言えば、とても違和感があります。
組織や機関が謝罪できるわけないだろうと思うわけです。
しかし、自分が所属していない会社のことであれば、まあ受け入れられる範囲です。
それに会社や病院は、法人格がありますから、擬似的な表現としては何とか理解も出来ます。

国の責任や謝罪はどうでしょうか。
問題は「国」「国家」です。
主権在民の国民国家の場合、国の主体はだれなのでしょうか。
主権が託されているのが政府であるとすれば、そのトップにある首相が「国」なのでしょうか。
国が謝罪するとは首相が謝罪することであり、国の責任とは首相の責任なのでしょうか。
企業不祥事ですら社長が辞めるのであれば、こんな大きな事件であれば、首相も辞めるのでしょうか。
刑事訴追はあるのでしょうか。
これだけの事件であれば、懲役は免れないのでしょうか。
そういえば死刑になった首相もいましたね。

国が補償するという場合の財源は、いうまでもありませんが、国民の税金です。
その使途の権限を委譲している状況では、
どの程度の補償にするかはやはり首相が決められることなのでしょうか。
予算は国会で決めますが、やはり国会なのでしょうか。
とすれば、謝罪するかどうか決めるのも、国会議員なのでしょうか。
責任ももしかしたら国会議員でしょうか。

ぐだぐだ書いてきましたが、国の責任とか謝罪などという意味をみんなわかっているのでしょうか。
理解できないでいるのは私だけなのでしょうか。

もっとわかりやすい言葉で物事を考えていきたいものです。
国の責任や謝罪より前に、個人としての首相や閣僚、あるいは官僚の責任をこそ問うべきではないかと思います。
組織は責任の所在を隠すための仕組みではないはずです

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■節子への挽歌114:「そうか、もう君はいないのか」

城山三郎さんが先に逝った奥さんのことを書いた遺稿が本になるそうです。
その紹介が先日、朝日新聞に出ていました。
城山さんの奥さんもがんで亡くなったそうです。
その紹介記事の中に、とても心に響く言葉が二つありました。

(母が亡くなってからの父は)「半身を削がれたまま生きていた」。
娘さんの言葉です。
「半身を削がれたまま」。
実によくわかります。
私もまさにそういう状況です。
実際には「半身」どころではなく、ほぼすべてが削がれたといったほうが実感にあいます。
これまで育ててきた世界が、あるいは育ってきた世界が無くなってしまったという気持ちなのです。
そうした喪失感は自分でもわからないほどに、大きく深いのです。
妻がいない世界を生きていることが信じられないといってもいいでしょう。
にもかかわらず、半身を削がれたまま生きていけるのは、削がれた半身の記憶があるからです。
そして、その記憶が、「生きる力」を与えてくれるのです。
奇妙に聞こえるでしょうが、削がれた半身に支えられて生きていると言ってもいいかもしれません。
この言葉に出会った時に、まさに自分自身の生き方を指摘されたような気がしました。

もう一つは、遺稿の本の書名になる城山さん自身の言葉です。
「そうか、もう君はいないのか」。
この言葉で、城山さんの思いがいたいほど伝わってきます。

城山さんは今年3月に亡くなりました。
いまはきっと2人でなかよくやっているでしょう。
節子はまだ1人です。
彼女は「そうか、まだ修はいないのか」と言っているかもしれません。
城山さんがちょっとうらやましいです。

半身が削がれているせいか、この冬の寒さはとてもこたえます。

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2007/12/24

■節子への挽歌113:今年のわが家の庭はちょっとさびしいです

クリスマスイブです。
例年ならば一番楽しむのは節子なのに、今年は主役がいないのでさびしいです。
節子、そっちでのクリスマスはどうですか。
こちらよりも派手でしょうか。

今年のわが家の庭にはイルミネーションはありません。
節子が大好きで、いろいろと飾っていましたが、今年は玄関にあるだけで庭には一つもないのです。
喪に服しているからではありません。
むしろ節子を偲んで飾ろうかと話していたのですが、
不思議なことに去年飾っていたイルミネーションが見事にみんな故障してしまい、うまく点灯しないのです。
直せば点いたのかもしれませんが、
きっと節子がやめろと言っているのだと早合点して、みんな捨ててしまいました。
その後、やはり点けようかということになり、買いに行きましたが、もう売り切れていました。
高いのは残っていたらしいですが、そんな高いものは買わないでいいよと節子が言うだろうと勝手に解釈して、買ってこなかったようです。
わが家の娘は2人とも節約家ですから。
子ども時代に小遣いが少なかったからかもしれません。
そんなわけで、今年のわが家の庭はさびしいのです。

今日は昼間、娘たちに頼んで私のオフィスの掃除に行きました。
帰ってきてから、娘が手づくりケーキを作ってくれましたが、
いつも中心にいた節子がいないので、だれもプレゼントをもらえず、あげる気にもなれません。
こんなにさびしいクリスマスイブは、わが家では初めてです。
そういえばクリスマスソングも、今年のわが家では一度も聴いていませんね。

こういう貧しい家庭にはきっとサンタさんがプレゼントを届けてくれるでしょう。
明日の朝、目が覚めたら、隣で節子が寝ているかもしれません。
節子をプレゼントをしてくれたら、
キリスト教に改宗してもいいと思っています。

サンタさん
聞いていますか。

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■司法、行政、政治、そして人間ー薬害肝炎訴訟の顛末から学ぶこと

薬害肝炎訴訟は、ようやく「一律救済」で決着しようとしています。
いかにも遅かった気がしますが、ともかくホッとしました。
しかし、首相の指示による議員立法というのはどこかにすっきりしない気もします。
今回のことはいろいろなことを考えさせてくれました。
いろいろな問題も生み出してしまったような気がします。

私が一番気になったのは、司法、行政、政治の責任逃れです。
三権分立といいますが、それはそれぞれがバラバラであっていいということではないはずです。
目的達成のために、それぞれが自立して考えることが、より公正な結果をもたらすというための枠組みでしかありません。

その場合の「目的」とは何か。
それに関しては、いろいろな考えがあります。
現在の権力構造を維持するという視点から考えれば、時には棄民政策、つまりコラテラル・ダメッジも必要になります。
一方、国民の生活を起点に考えれば、人間あるいは生命の原理が最優先されることになるでしょう。困っている人がいれば、みんなで「痛み」を分かち合うということが理念になるでしょう。
「押し付けの痛み」を分かち合うのではなく、「痛み」を支え合いにつなげる分かち合いです。
したがって、その前提として、ロールズの「無知のヴェール」が現実性を持っていなければなりません。
構造が固定化している場合には「無知のべール」論は機能せず、「生命」の広がりは限定されます。
アメリカ開拓時代、ネイティブが「人間」とみなされなかったことを思い出せばいいでしょう。

一律救済では補償の範囲が際限なく広がることを危惧したということがいわれていますが、その考えは前者の立場から出てきます。
そうした悲劇を際限なく発生させることを危惧すべきであって、補償の範囲を限定したいなどと考えるのはまさに統治コストという発想であって、生命の原理にはふさわしくはありません。

司法、行政、政治の根底にある「人間の原理」「生命の論理」を忘れてはいけません。
いうまでもなく、法の根底にも「人間の原理」「生命の論理」がなければいけません。
政治決断も、法治主義も、所詮は形式でしかありません。
そうした当然のことが、いまおろそかになっているような気がします。

薬害肝炎訴訟の顛末は、たくさんのことを教えてくれます。
生命をかけて、一律救済を貫徹した被害者の方々に心から感謝します。
私も、その生き方を学ばなければと思っています。

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2007/12/23

■あなたは握手を求めたことがありますか

先週コーディネーターを引き受けたシンポジウムが終わった後、2人の人から握手を求められました。
敬愛するお2人からの握手だったので、喜んで応じましたが、
私には自分から握手を求める文化がないため、握手を求められていささかたじろぐことも少なくありません。
それに、なぜ握手なんだろうと思うような場合もないわけではありません。
要するに、私は形式的な握手が嫌いなのです。

一説では握手とは相手に対して攻撃する意図のないことを示すことだといわれますが、
もしそうであれば握手の前後では相手との関係が違うわけです。
たしかに親子や家族間では、握手はしませんから、握手はある感情の変化を表現しているのかもしれません。
関係を変える、つまり相手に対する評価を変えるということを潔しとしないことが、私の握手嫌いの一因かもしれません。

時に久しぶりに会った人が握手を求めてくることがあります。
これは会えてよかったという表現でしょうが、これもまた私には違和感があります。
なかには、そうしたことが極めて自然体の人もいますが、私のほうは決して自然体にはなれません。
しかし、握手を求められたら断るわけにはいきません。
握手をしてくる人は、私の経験では私よりも上の世代の男性で、
海外での生活経験がある人が多いように思います。

初めて私に会いに来て、話しているうちに思いが通じ合ったのか、帰る時に握手を求めてくる人もいます。
これは比較的若い人に多いです。
彼の感動振りが伝わってきますが、その握手した時の気の高まりが持続しているケースは多くはありません。
握手しながら、その後、ほとんど連絡がなくなる場合もあります。
握手する事で、気の高まりを解消してしまう機能も握手にはあるのではないかと、私は思ったりしています。

最近はあまり効果がないそうですが、選挙では握手した人の数が決め手となるといわれた時代もありました。
企業の経営者がボーナスを一人ひとりに握手しながら渡すことでモチベーションを高めたという有名なエピソードもあります。

たしかに、握手をすると何だか親しさが増すような気もします。
握手の効用は決して小さくはないようです。

自然体で握手できる人の多くは、実にコミュニカブルな人です。
握手によって、一瞬にして関係を構築してしまう人もいます。
日本ではお辞儀をしあうスタイルが基本でしたが、
もっと直接的なスキンシップによるコミュニケーションスタイルが必要になってきているのかもしれません。
昨今の若者たちは握手をしあっているのでしょうか。
皆さんは握手する機会が増えていますか。

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■節子への挽歌112:一人でお風呂に入るのがとても辛いです

最近、入浴するのが嫌いになりました。
浴室に一人でいるのが昔から好きではないのですが、
節子がいなくなってから、さらに入浴時間はさびしさがつのる時間になってしまいました。

節子
私たちはいつもお風呂は一緒でしたね。
だから私も退屈しませんでした。
会社時代の仕事が忙しい時は、お風呂での会話が一番の会話でした。
私の帰りが遅くても、節子は待っていてくれて、
お風呂のなかで私の話をいろいろと聞いてくれたし、
自分の話をしてくれたのを今も思い出します。

思い出すと言えば、2人で最初に一緒にお風呂に入ったことも覚えています。
結婚前に私の両親に引き合わせるために東京に来る前日、京都の旅館で泊まった時でしたね。
ちょっとスリルのある旅でした。
部屋続きのお風呂があり、そこに一緒に入ったような気がします。
あれは夢だったのでしょうか。
節子に確かめたい気もしますが、今となっては確かめようもありません。
結婚前に何回か旅行に行きましたが、一緒に入浴したのはたぶんその時だけでした。
もっとも一緒に入浴したにもかかわらず、その後は何もなかったのも不思議な話ではあります。
せいぜいが手をつないで寝たくらいでした。
一緒にいるだけで充分に幸せでした。

病気になってからも、いつも手をつないで寝ていましたが、
今は手をつなぐこともかなわず、いつもさびしく寝ています。
お風呂も嫌いですが、寝るのも嫌いになりました。
さびしさを実感するからです。

お風呂とベッドでいつも思うのは、
まだしばらく私はそちらには行けなさそうなので、節子に戻ってきてほしいということです。
何とかその方策はみつからないものか、そんなことを真剣に考えています。
馬鹿げていると自分でも思うのですが。
伴侶がいなくなってしまった男性は、そんなものなのです。

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2007/12/22

■長崎新幹線と公共交通システム

長崎新幹線問題は興味ある話題です。
ご存知の方も多いと思いますが、九州新幹線西九州(長崎)ルートは、
並行在来線の経営をJRから分離することへの沿線市町の反対で着工できないままになっていました。
整備新幹線の着工には、並行在来線の経営分離に対する沿線自治体の同意という法的規制があったためです。

そこで佐賀県などは反対する沿線自治体に地域振興のための資金支援を働きかけ、同意を求めてきましたが、在来線のJRからの経営分離は、いずれ廃線になりかねないということで同意はえられずにいました。
県からの資金支援にもかかわらず、沿線市町の首長は反対の姿勢を崩さなかったのです。
高齢社会においては、公共交通システムは地域住民には死活問題なのです。
ところが、着工を望む佐賀、長崎両県とJR九州は、JRが在来線を現状通り運行し、赤字が出た場合は両県が補填するという方策を考え出しました。
これで、沿線自治体の同意なしで着工できるようになってしまったのです。
フェアとはいえない、こうしたやり方には憤りを感じます。
小賢しい知恵は社会を駄目にしていくからです。
強気に転じた佐賀県の知事は、これまでの地域支援策の話は白紙に戻すと強気の姿勢に転じてしまいました。手のひらを返したようなテレビでの発言は気分が悪くなるほどです。
この半年の県知事と沿線自治体の市町の関係は逆転してしまったのです。
反対していた自治体の市長が、地方自治の実態はこんなものですとさびしそうに語っていたのが印象的でした。

整備新幹線が必要なのかどうか、私には判断は難しいですが、
長崎に限らず整備新幹線にまつわる問題はいつもどこかで問題の立て方が間違っているような気がしています。
幹線道路建設の話も同じです。
いずれにおいても、公共交通という問題が、生活とどうつながっているのかという根幹の部分に関する考え方が重要です。
交通手段は、私たちが生きていく上でのとても重要な手段です。
そうした生活の視点から、国家全体の公共交通システムをどうグランドデザインしていくか、それが見えてこないのです。

以前どこかで書いた記憶があるのですが(探しましたが見つかりません)、公共交通システムは単なる移動手段ではありません。
その設計の仕方次第で、社会のあり方やみんなの生き方が決まってくるほどの大きな意味を持っています。
文化にも大きな影響を与えます。
公共交通システムと私的交通システムをどう配置するか、またそれぞれの速度やコストをどう規定するかは、社会のあり方、人々の生き方を決めていくのです。

社会の基軸は、いまや経済から生活へと移りつつあります。
産業のための交通システムを早急に整備すべき時代は終わり、生活を支え豊かにしていく生活システムとして考えていくことが必要になってきているように思います。
システムを設計していく起点を住民の生活に置くべき時代になってきています。
それこそが「地方自治」の出発点だろうと思います。
長崎新幹線問題は、さまざまなことを考えさせてくれます。

今日、公共交通の活性化のための予算が30億円追加されたそうですが、
基本設計がしっかりしていないと資金の投入はむしろ生活システムとしての交通を壊しかねないかもしれません

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■節子への挽歌111:私は「理想の男性」だったのですね

節子 あなたの笑顔が見られないのがとてもさびしいです。
そちらでも笑っていますか。
さびしくても悲しくても、笑わないとだめですよ。
私は、そうしています。一人でいる時にはちょっと涙が出てしまいますが。

今日は、節子にとって私が「理想の男性」だったという話です。
保谷でお近くだったNさんから手紙が来ました。
お互いに会おうといっていたのになかなか会えずに、節子も残念がっていたNさんです。
Nさんも無理をしてでも会えばよかったと悔やんでいました。
そのNさんの手紙にこんな文章がありました。

節子さんは素敵な笑顔で主人は理想の男性とよく言っていました。
なかなか言えることではないので、すばらしいご夫婦だなと思っておりました。

節子はいろいろな人に私のことや家族のことを話していたようですね。
私が会ったことのない人から、節子さんから話を聞いていましたという人が少なからずいるので驚きました。
それに節子は、多くの人に「家族にとても感謝している」と言っていたようですね。
だめな夫なのにほめてくれてうれしいです。
あなたはいつも私に、「あなたは家族のことをほめないわね」と注意していました。
私が家族にはとても厳しかったことが、あなたには少し不満だったのでしょうね。
でも私が本当に家族を愛していたのを一番知っていたのもあなたでした。
誰よりも、自分が愛されていることを知っていてくれました。

あなたにとって、実は私は「理想の男性」ではなかったことはよく知っています。
体育会系でもないし、あなたが好きなハンサムでもないし、自分勝手で時々「切れてしまう」こともあるし、第一、仕事ばかりしているのに収入はないし、頑固だし、その上、うっとうしいほどに自分(節子)を愛しているし、自動車の運転もしないし、まぁ書き出したらきりがないほど節子の嫌いなところがあったからね。
にもかかわらず、節子がNさんに私を「理想の男性」と言い切ってくれていたことを知ってうれしいです。
もっとも娘のジュンは、お母さんは見栄っ張りだったからそう言ってたんだよ、と言っています。
まあ、それが真実かもしれません。
しかし、「理想の男性」とも思っていたことも事実ですよね。
そう確信しています。

いうまでもないですが、節子は、私には正真正銘「理想の妻」でした。
まぁ、「理想」というのはちょっと視点を変えると「最悪」ともいえるのかもしれませんが。
ソクラテスの悪妻の話が有名ですが、「理想の妻」も「最悪の妻」も、同じことかもしれないとこの頃、ようやく気が付きましたが、でもまあ、私たちは「理想の夫婦」だったのかもしれません。
実はそう手紙で書いてきてくれた人が一人ならず何人かいるのです。
とてもとてもうれしいことです。

私の友人たちは、私のことをあんまりほめずに、大ばか者とか変わり者とかいう人が少なくないのですが、節子は友だちに恵まれていますね。
私はあんまり恵まれていないようです。
私の良さをわかってくれたのは節子だけかもしれません。
2人の娘も全くわかっていませんし。
困ったものです。

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2007/12/21

■薬害肝炎訴訟にみる棄民政策

薬害肝炎訴訟の和解協議が最悪の結末に向かっているように思います。
国家と国民の本質をこれほどわかりやすく露呈した事件は、そう多くないでしょう。
かつて、国家により推奨された南米などへの移民政策が、戦後になって「棄民政策」だったことが露呈されましたが、私自身はまずそのことを思い出しました。
愛国心の強要と棄民政策が、コインンの表裏であることはいうまでもありませんが、改めて最近の国家政策を見ていくと、おそろしいほどに「棄民発想」が感じられます。

今回の和解協議の「和解」には、根本的に欠けていることがいくつかあります。
一つは理念です。
具体的なところでの考えや価値観は同じでないのは当然ですが、最終的なところで理念を共有していないのであれば、和解などは成り立ちません。
最終的な理念とは、今回のことでいえば、人間として、生命を最優先に考えていこうということです。
その出発点は人間同士の会見です。
思いの共有ですが、福田首相はそこから逃げました。
福田首相には、主体性を持った人間的な言動は、この件に関してはほとんど見えません。和解に取り組む一方の主体者にはなろうとしなかったということです。
まさに手続きの時代の首相です。
時代はきちんと時代にふさわしい人を選ぶものだと改めて感心しました。

理念が共有できない場合に出てくるのが「お金」です。
現代の「お金」は、異質な価値を一元的な価値に換算する「機械的」な仕組みですが、まさに価値代行機能によって、次善の手段として和解にはよく登場します。
政治決裁ならぬ、経済決裁、いや経済決済です。
これまた手続きの時代の決裁手段ともいえます。
お金は万能とみんな思っているのです。
ちなみに私はそうは思っていませんが、それでもそうした呪縛から自由かといえば、自由ではありません。

しかし、お金で和解に乗ってしまった被害者側の当事者は、おそらく例外なく敗北感をどこかで持つことになるでしょう。
問題が、いまなお進行する「生命の問題」でなければ、それはまだ後悔で済むかもしれませんが、過去のことではなく未来にも繋がる問題であれば、お金の問題は全く別の議論となるでしょう。
そのことにすら政府は気づきませんでした。

福田首相や町村官房長は、自らの周辺に病身の人や障害のある人をお持ちではないのでしょう。愛する人もいないのでしょう。
いや、仮にいるとしても関心などお持ちではないでしょう。
つまり彼らは人間の原理に気づいていないのです。
そうでなければ、あんな表情であんな発言ができるはずがありません。
枡添大臣は論理矛盾の発言を繰り返してきているように思いますが、
結局は自分を賭けていなかったと思います。
福祉とは何か、と言う基本的なことがわかっていない。
彼は本当に介護に関わったことがあるのか、そんな気さえします。

患者を線引きする、金で解決しようとする、直接のふれあいもしない、つまり資料上の事象としてしか受け止めない、そうしたことの根底にあるのは、国民を愛する気持ちではなく、棄民する思想です。
棄民の対象がいつ自分のところに回ってくるか、私たちももっと想像力を発揮しなければいけません。
ぜひ「マルチチュード」を読んでください。

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■節子への挽歌110:節子は電車の掃除の仕事までしました

節子 元気でしょうね。
昨日、油絵のことを書きながら思い出したことがあります。

あなたはアルバイトも時々やっていましたが、その一つに電車車両の掃除の仕事がありましたね。
先日、テレビを見ていたら、「電車の掃除をすることが夢」という子どもの夢を実現してやるという番組がありました。
お母さんが見ていたら喜ぶだろうなと娘たちが言いました。
本当に節子に見せたかったです。

節子にとっては、趣味も習い事もアルバイトも、きっとみんな同じだったのでしょうね。
友人に誘われるとだいたいやりだしましたね。長続きはしませんでしたが。
その仕事は、近くの電車車庫に行って、みんなで車内掃除をするという仕事だったと思います。
いつもその様子を楽しそうに話していたのを思い出します。
そこで出会った人から桃屋の佃煮をもらってきたことも、なぜかはっきり覚えています。
今から考えると、私の収入が少なかったので働いていたのかもしれませんが、私はそんなことは一切考えたこともありませんでした。
桃屋の佃煮が家計を助けていたのかもしれませんね。

でも、楽しいから働く、それが節子の生き方でした。
働くのも遊ぶのもあなたには同じだったのだと思います。
それが私たち夫婦の共通の生き方でしたから。
しかも、そういう場で、あなたは必ず友だちをつくってきました。
あなたの新聞への投稿記事を読んで10年ぶりくらいに電話をくれた人もいましたが、その人は英会話の教室で何回か会っただけだそうですね。
その人は、なぜかあなたのことを覚えていて、新聞を見て電話をかけてくれたのですね。
節子は本当に不思議な人でした。

そのくせ、私の友人たちが集まる場では、そうした不思議な面はあまり見せませんでしたから、私自身もその節子パワーに気づいていなかったのかもしれません。
あなたの「気」のすごさを知ったのは、節子が病気になってからです。
今にして思うと、私の元気の源は節子から送られてくる「気」だったのですね。
その「気」は、今も送ってくれているのでしょうね。
でなければ私がこんなに元気になれるはずはないよね。

そちらでもたくさんの友だちができましたか。
相変わらず長続きしない挑戦をしていますか。
今度会ったらどんな話が聞けるか楽しみにしています。

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2007/12/20

■自分でできることは何なのか

今日、あるシンポジウムに参加しました。
テーマは「早期に転職したがる新社会人の急増」。NPO人材アカデミーの主催です。
官界、政界、財界、教育界と実に多彩なメンバーによるパネルディスカッションです。

「七五三現象」という言葉はご存知でしょうか。
卒業入社後3年以内に離職するほとんどとの割合は、中卒で約7割、高卒で約5割、大卒で約3割なのだそうです。
労働力の流動化という面もありますが、これは働きたい人と働く場とのミスマッチということであり、ここまで離職度が高いと経済産業的にも企業経営的にも問題があり、社会的損失と言っていいでしょう。
もちろん働く本人にとっても決して望ましいことではありません。
これは結局は「労働市場における取引コスト」の問題ですので、とても興味ある問題です。
「取引コストとコミュニケーション」は私の以前からの関心事です。
そんなこともあって、そのパネルディスカッションのコーディネーターを引き受けました。

その内容はCWSコモンズのほうで少し紹介する予定ですが、皆さんの議論をお聞きしながら、印象的だったのは、ほとんどの人が問題を対象化して考えていることでした。
つまり自分は当事者にはなっていないということです。
発言者のほとんどは、いずれも社会の要職にいる方で著名な方も少なくないのですが、聴いていてどうも「観察的」「評論的」なのです。
コーディネーターとしての私の責任もあるのですが、みなさん自分の問題としてなかなか語ってくれません。
時代の文化を痛感しました。
問題は、私たちのこの生き方なのかもしれません。
唯一の例外は、一番若い経済産業省の人でした。
彼は自分の問題として自分でできることを明確に語ってくれました。
久しぶりに、とても気持ちのいい霞が関の官僚に出会えました。

今回はかなり進行役に徹したつもりですが、最後に一言だけ感想を述べさせてもらいました。
この状況をよい方向に持っていくために、それぞれでできることは少なくありません。
自分でできることは何なのかをぜひお考えいただきたいと思います。

社会にはたくさんの問題があります。
問題と気づいたら、それを論評するのではなく、その問題に関して自分ができることは何かないかを考える。
そういうことに自分の時間を少しだけ割いて、できることが見つかったら、小さなことでもいいから実践してみる。
みんながそんな生き方をするだけで、社会のほとんどの問題が解決していくのではないかと思います。
もちろん時間はかかるでしょう。
しかし30年もたてば、きっと効果が出てきます。
そう信じて、小さな一歩をそれぞれに踏み出すべき時期に来ている、そんな気がします。

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■節子への挽歌109:節子の油絵はモナリザより価値があります

節子 
今年の冬は、あなたがいないのでとても寒いです。

昨日、玄関に飾っていた油絵を君が好きだったフィレンツェの絵に代えました。
私はピエロの絵が好きですが、ジュンがあまり好きではないからです。
和室もまた節子の書に代えました。

節子が油絵を習っていたのはどのくらいだったでしょうか。
しかしあなたは本当にいろいろなことに挑戦しましたね。
私と同じで、長続きはしなかったけれど、いろいろなことを我が家に持ち込んできてくれました。
趣味だけではなく、習い事もあったし、仕事もありましたね。
ともかく行動派でした。

節子の絵の先生が描いた絵や、節子が気に入って買ってきた絵もありますが、
そういう絵はわが家ではあまり飾られることはありません。
節子自身が結局は飽きてしまい、自分の絵に代えてしまうからです。
せっかく買った絵はどこかにしまわれてあまり日の目をみていません。
もったいない話です。

最後に節子が玄関に飾っていたのはコスモスの絵でした。
あまりうまいとはいえないのですが、飽きることはありません。
油絵を最近やりだした私の友人のAさんがそれを見て、なかなか良いよ、といってくれましたが、節子に聞かせたかったです。
そういえば、Aさんに残ったキャンパスをあげるようにいわれていましたね。
忘れてました。

家族の書いた絵は、飽きることがありません。
我が家にはいろいろなものが飾られていますが、いわゆる「お宝もの」は皆無です。
でもみんな、それぞれに誰かの思い出があるものばかりです。
家族がいればこその「たからもの」なのです。
節子と私がいなくなったら、娘たちにはほとんどが「がらくたもの」にしかならないでしょうね。
「物の価値」とはそういうものではないかと思っています。
ですから、私にはピカソやモネの絵の価値が全くわかりません。
困ったものです。
節子のピエロの絵とモナリザを交換してやるといっても、きっと断るでしょう。
但し、娘たちは喜んで交換するでしょうね。
これもまた困ったものです。

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2007/12/19

■節子への挽歌108:「自らを振り返りつつ、多くを学ばせて頂いております」

節子 風邪をひいていないでしょうね。
今日は私の友人のOさんからの手紙です。

このブログも、意外な方が読んでくれていることに時々驚かされますが、Oさんもその一人です。
手紙をもらうまでは、まさかブログを読んでいてくださるとは思ってもいませんでした。
仕事一図の誠実な方でしたが、定年後、奥さんと一緒に旅行するために、わざわざ自動車の運転免許を取ったという方です。
その一事を持ってしても、その人のお人柄がよくわかります。
そのOさんから「(ブログを)読んで胸が詰まり、気に掛けていながら、どうしてもこの一葉をしたためることが出来ずにいました」という手紙が来ました。
そして手紙の最後に、「私自身、自らを振り返りつつ、多くを学ばせて頂いております。ありがとうございます」と書いてありました。
私たちの生き方は、ちょっと変わっていて、結構ぶざまだったような気がしますが、それを書き残すことも、もしかしたら「ささやかな価値」があるのかもしれないと我田引水してしまいました。

感謝しなければいけないのは、わざわざこのブログを読んでくださる方がいるということです。
節子と私のことを思い出してくれる人がいる限り、私たち夫婦は生き続けていると言っていいでしょう。
節子と直接話せないのが残念だけれど、私たち夫婦の世界がまだまだ広がっているような気がして、とてもうれしいです。

それにしても、もっともっといろいろな人を、節子に会わせたかったです。
なんでこんなに早くあなたは旅立ってしまったのでしょうか。
とても無念です。

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2007/12/18

■迎撃体制の整備は自衛に繋がるのか

朝日新聞の記事です。
弾道ミサイル防衛(BMD)の海上配備型迎撃ミサイル(SM3)を搭載した海上自衛隊のイージス艦「こんごう」は17日正午すぎ(日本時間18日早朝)、米ハワイ沖で初の実射訓練を実施し、標的のミサイルを大気圏外で迎撃するのに成功した。

北朝鮮からの核攻撃に対する迎撃体制が前進したと言われています。
そうでしょうか。
詳しく書き出すと長くなるので、今回は問題提起だけです。

私は「迎撃」という概念に違和感を持っています。
つまりそれは、相手を信頼していないことだからです。
孫子の兵法を持ち出すまでもなく、「相手を負かせること」は「自衛」にはなりません。
迎撃戦略は発想の起点において戦いを目指しています。
かつて盛んに言われたエスカレーション発想では、戦いはなくならず、結局は自衛できない、というのが私の発想です。
代替案は、オスグッドの「一方的削減による軍縮」に見るような、デスカレーション発想です。
さらに考えていくと、「自衛」という概念の危うさに気づきます。
自衛とは所詮は攻撃の正当化理論でしかありません。

佐世保の事件、家族や親戚間の事件から始まって、安全保障や国防の問題まで、もしかしたら問題設定の根幹が間違っているのではないかという気がしてなりません。
そう考え出してから30年以上たちますが、まだ答を見出せずにいます。

今回は問題提起だけですが、このテーマを少しずつ考えていきたいと思い出しました。
「自衛」という概念そのものに、実はさまざまな問題が含意されていることに、漸く気づきました。

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■節子への挽歌107;コーラスの仲間が献花に来てくれました

節子 こちらはますます寒くなりました。
そちらは暖かなのでしょうね。

昨日の報告です。
コーラス仲間のみなさんが献花に来てくれました。
節子が好きそうな寄せ植えをもってきてくれました。
天王台や青山台、久寺家など、いろんなところからのみなさんです。
昨日が最後の練習日だったのだそうです。
今年の11月のコンサートには私は行きませんでしたが、
もしかしたら節子は聴きに行っていたかもしれませんね。
なんだかそんな気もします。
今日は時間も遅かったので、おもてなしは出来ませんでしたが、また来てくれるそうです。

もう4か月目に入ったのに、本当に節子の周りには花が絶えません。
節子がみんなから愛されていたことがよくわかります。
節子を独占していたような気がしていましたが、
節子は私のものではなく、たくさんの人たちの大事な人だったのですね。

そういえば昨日、横浜のNさんからも手紙が来ました。
節子が好きだった梅干を今年も送ろうかどうか迷ったらしいのですが、結局、送ることにしたという手紙でした。
節子がいなくなっても変えられない気持ちがとてもうれしいです。
まあ、がんばって梅干を食べないといけませんが。

Nさんには、実は申し訳ないことをしてしまいました。
告別式の日に、Nさんが私に、
「節子さんがいなくなったので寂しくなりました」
と言ってくれたのですが、それを受けて、私が、
「Nさん、私はその10倍も100倍も寂しいんです」
と言ってしまったのです。
後から考えると、寂しさは比較できるものではないと反省しました。
しかし一度言葉にして出してしまうともう取り消せません。
一度、お詫びの手紙を書いたのですが、それもまた大仰だと思い、出すのを止めていましたが、
どこかで書いておきたいと思っていました。
ようやく書けました。

あなたの友人たちに失礼があってはいけないと思い、努力していますが、
どうも私はそうした配慮が苦手で、節子がいたら怒られるだろうなと思うことも少なくありません。
あなたがいないと本当に大変なのです。
自立できていなかった頼りない夫を置いていった節子の責任ですよ。
いまからでも遅くないので、いやあれは冗談だったと言って、戻ってきてくれませんか。
地獄の沙汰も金次第と言われますが、もしお金でどうにかなるのであれば、
新種の詐欺を考え出して調達するようにがんばります。
宝くじも買いましょう。
何とかして節子を復活させることはできないものでしょうか。
タイムマシンを持っている人がいたら貸してほしいです。

それはともかく、献花台をつくって良かったです。
いろんな人が来てくれるからです。
節子もきっと喜んでくれているでしょうね。

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2007/12/17

■教員免許更新制に見る常識的判断の落とし穴

世の中の問題は多くの場合、実に多義的です。
それは社会が複雑であり、さまざまな状況があるからです。
自分の狭い世界での常識的判断が、自らの意図に反した結果につながることも少なくありません。
たとえば、学校の給食に関して、週1度くらいは親が作った弁当の日にしたらどうかという話はどうでしょうか。
多くの方は賛成するでしょう。しかし実にさまざまな問題がそこには含まれているのです。
これに関しては以前書きました

こうした話はたくさんあります。
だからこそ、いろいろな立場で議論を交し合う場が大切なのです。
私のこのブログも極めて個人的な意見でしかありません。
実に唯我独尊的です。
光市母子殺害事件に関して弁護士への厳しい非難をしていますが、これも私の個人的な立脚点の枠内での意見でしかありません。
しかし、だからこそ私にとっては大事な主張であり、それを正すべき情報があれば正すことには何の抵抗もありません。
そうした主観的な考えのぶつかり合いに、私は価値を見出しています。

自分の考えや判断を主張する以上、常にそれを相対化させておくことが大切です。
それができれば、自分の主張を強く出せます。
所詮は多くの主張の一つでしかないのですから。
多くの人がそうした姿勢を持ち出せば、社会は変わるはずです。

多角的な見方が大切なことを教えてくれる事例をもう一つ書きます。
教育基本法が変化し、教員免許の更新制が導入されました。
これをどう評価するべきでしょうか。
不適格教師を排除するために望ましいことではないかと多くの人は思うでしょう。
私もそう思いましたが、ただ「不適格」という言葉にひっかかりました。
ここに落とし穴があります。
問題は、この制度の導入の意図と管理運営する主体です。
国歌国旗に関しては、前に書きました。
そうした事件に「不適格教師」の捉え方をイメージできます。
体制維持を望む人にとっての「不適格教師」と子どもたちの教育にとっての「不適格教師」は全く違います。いま学校で「不適格教師」と捉えられている人たちの実像は私たちにはなかなか見えません。
防衛省の守屋事件を思い出してください。
守屋さんの行動をおかしいと指摘した人は、おそらく「不適格職員」として排除されたでしょう。
偽装表示に異を唱えた人は企業やビジネスから排除されている事例は山ほどあります。
学校もその例外であるはずがないと思わなければいけません。
そう思わないのは、思いたくない心情の成せる技です。

常識的な反応と判断は大事です。
しかし、そこには大きな落とし穴があることも認識しておくことが必要です。

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■節子への挽歌106:不思議な雨

節子、そちらにも冬はあるのですか。
こちらは寒くなりました。
寒い冬でも半そででがんばっている近くのKさんからジュンが聞いてきた話です。

節子が自宅から斎場へと向かった日のことです。

「急に雨が降ってきたので外に干していた洗濯物を取り入れようと急いで外に出たら、斎場に向かう車が見えて、それで初めてお母さんが亡くなったことを知ったのよ。ところが車が通り過ぎてしまったら、嘘のように雨がやんでしまった」
というのがKさんの話です。
それでKさんはお通夜に来てくださったのです。
「あの雨がお母さんのことを教えてくれた」とジュンに話してくれたそうです。
この雨のことは当日もいろんな人が話題にしました。
私にとっても本当に不思議な体験でした。

これに類した話はいくつかありますが、多くの人が共通して体験したという点では、この雨が一番です。
この雨は節子の涙だったのでしょうか。
もしそうであれば、滴(しずく)を残しておくべきでした。
とても残念です。

節子がいなくなってから、こうした不思議な現象はあまり起こりません。
いや考えようによっては、ないわけではありませんが、客観的に複数の人が共通体験した事象は起きていません。
当時はまだあなたは此岸にいたのに、今はもう彼岸に行ってしまったからでしょうか。
もう一度、あの雨を体験したいです。

節子、もう一度でいいから誰もが体験できることを起こしてくれませんか。
たとえば、明日の朝、起きたら、献花台の上に庭の黄色い木の実を置いておくのはどうでしょうか。
節子を感じられる証がほしくて仕方がありません。

とても会いたいです。

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2007/12/16

■節子への挽歌105:定年になってからではなくて、今から始めるのがいいです

節子 こちらは今日は晴れそうです。
そちらは晴れていますか。
いや、そちらにはそもそも晴とか雨とかあるのでしょうか。

1週間ほど前になりますが、あなたの友人のWさんから手紙が来ました。
その手紙を読んで涙がとまりませんでした。
仏前で読み上げようとしましたが、読めませんでした。
滋賀のAさんに訊いたら、Wさんは中学時代の同窓生だそうですね。
手紙を読んでいると、誠実な人柄が伝わってきます。

他にも、私は会ったことがない、あなたの友だちから手紙をもらっていますが、
いずれにもなかなか返事が書けずにいます。
節子ならきっとすぐにでも書くのでしょうが。

Wさんも、この3年、いろいろなことがあったようです。
私は知りませんでしたが、Wさんは看護職なのですね。
そのWさんのお義母さんが節子とほぼ同じ時間に旅立ったのだそうです。
Wさんはお仕事をされていて、3年前に定年になったそうです。
Wさんの手紙です。 

「器用に生きられない私は、ひとつのことにしか集中出来ず、定年までは仕事のみ。
その間を縫って、楽しみごとをする余裕を持ちませんでした。仕事が楽しみでさえありました。
節ちゃんとは、いつか、ゆっくり、語り合いたいと思っていました。
そのことは、私のこれからの人生の楽しみの大きなひとつでした。
(しかし)3年前、定年になるや否や、実家の母の看取り、
続いて、夫とその母の介護に明け暮れてきました」
この続きは生々しすぎて、とても書けませんが、考えてみると、私もきっとWさんと同じだったのかもしれませんね。
仕事が大好きでした。
その仕事に、あなたをつき合わせすぎてしまったかもしれません。
そんなこともあって、ちょっと一段落しようと2人で決めて、
10年以上続けてきたオープンサロンをやめました。
その時、石本さんから花束をもらった写真がホームページに載っていますね。
あの時は、節子はとても元気で輝いていました。

そして、節子とのゆっくりした時間を楽しもうと思っていた矢先の発病。
これからの生き方を一緒に考えようと思っていたのに、事態は思わぬ方向に動き出してしまったのです。
人生は、そううまく行くものではないとつくづく思いました。
それまでは私の人生は、まさに絵に書いたように自分の思う通りだったのですが、
それはすべて節子の支えがあればこそ、でした。

もし中高年の方がいたら、余計な一言を申し上げたいと思います。
伴侶と一緒にやりたいことがあれば、先に延ばさずに、いますぐとりかかるのがいいです。
節子、そうだよね。

Wさんは節子のことも書いてきています。 

「節ちゃんの生き生きした表情、クリクリっとした目、声、そして、前向きな生き方が伝わってくる話しぶり。節ちゃんにもう会えない!と思うと、本当にさびしいです」
私と出合った頃の節子も、本当に「クリクリっとした目」でした。
目が無いほどに細い私が、節子を好きになったのは、もしかしたらあの目のせいだったかもしれません。
輝くような目でした。
あの目に会えるのはいつでしょうか。

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2007/12/15

■佐世保銃乱射事件を契機にすべての銃器の破棄を考えたらどうでしょうか

佐世保のスポーツクラブでの銃乱射事件は2人の死亡者を出してしまいました。
最近、こうした銃を使った事件がまた増えているようです。
ニュース報道を見ていると銃社会といわれるアメリカに近づいているのではないかと思えるほどです。
いつも思うのですが、なぜこの時代に許可制とはいえ、銃の所有が認められているのでしょうか。
そのこと自体に私は大きな疑問を持っています。
もちろん警察官の銃所有も含めてです。

私の友人に猟友会の人がいます。
その人はとても信頼できる良い人なのですが、彼が猟銃を撃っている姿は想像したくもありません。
そのことを知ってから、彼へのイメージが一変してしまい、距離が出来てしまいました。
猟銃も認めるべきではないと思っています。
野生の動物が増殖しすぎて、被害が出ている時にどうするか、という問題がありますが、銃を使わなくとも解決策はあると思います。
言い換えれば、安直に殺傷する銃手段を認めることが、結局は銃乱射事件を起こし、原爆につながっていくというというのが私の発想です。
社会を形成していく上での基本原理につながっている話です。
ブログでは極めて短絡にしか書けませんが、紙面と時間があれば、論理的につなげられる話です。

銃の許可制度の見直しも進んでいるようですが、問題は簡単で、豊臣秀吉がやったように刀狩をやればいい話です。
つまり銃器類は一切破棄すればいいのです。
その覚悟がなくて、平和などは主張すべきではありません。
人を殺傷したくないのであれば、極めて残念なことではありますが、自らが殺傷されることのリスクは背負うべきでしょう。
その覚悟のもつパワーは、ガンジーが教えてくれています。

それにしても、散弾銃の私的所有が認められていることを知って驚きました。
所有を認めておいて、事件が起きないはずがありません。
事件が適度に起きることが権力維持には効果的ですから、あえてそうしているのかもしれませんが、時代状況や人々の意識は50年まえとは全く変ってきています。
そうした変化を踏まえて、今こそ、社会からまず銃器を廃棄することを考えるべきだと思います。
そうすれば、新しい社会構成原理の発見に気づくはずです。
新しい平和安全体制が見えてくるでしょう。
これは今バリで議論されている地球環境問題にも深く繋がっていきます。

また長くなりそうなので、やめます。はい。
ところで、あなたがもし銃を手に入れたら、撃ちたくなると思いませんか。
私はきっと撃ちたくなります。
その標的の具体的な名前をあげられそうです。
ですから銃を持つことはないでしょう。

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■節子への挽歌104:「闘病で学んだことを伝えたい」

節子 退屈にしていませんか。
あなたがいないと時間を持て余してしまいます。
やらなければいけないことは山ほどありますが、やりたいことがないのです。
やらなければいけないことでも、やりたくなければやらないのが、私の生き方でしたが、その傾向はますます強まっています。
節子がいない世界で、がんばる意味など何もないからです。
餓死しても節子のところに行けるのですから、今や何をしても私は幸せになれるわけです。

昨日、テレビで「スティーブ・マックィーンのすべて」というドキュメンタリーを観ました。
最初は、まさに若い頃を思い出して気楽に観ていたのですが、最後の10分くらいは、節子のことと重なってしまい、画面に引き込まれそうになりました。
マックィーンの言動が、節子の言動に重なってひびいてきたのです。
マックィーンは50歳で病死したのですが、最後は生きつづけようとがんばったようです。
「闘病で学んだことを伝えたい」とも思っていたといいます。
ほかにも思い当たることがいろいろとありましたが、ちょっと辛くて書く気がしません。
でもマックィーンと節子の共通点が見つかるとは思ってもいませんでした。

このドキュメンタリーを観る前に、Tさんから電話がありました。
Tさんはこのブログを読んでいてくれますが、本にしたらどうかと言ってきたのです。
このブログが本にならないことは書いている私が一番よく知っていますが、マックィーンの番組を見ていて、節子が生きている世界を創れるかもしれないと思いつきました。
その番組はすべてがマックィーンの家族や友人知人の発言で構成されています。
それ以外のナレーションは皆無です。
時にマックィーン自身の発言も出てきますが、いろいろな人の発言がひとつの人格を生み出しているのです。
おそらくそれは実在したマックィーンとは別の、もう一つのマックィーンの人格といっていいでしょう。
その人格はおそらく「不死」と考えていいでしょう。実体がないのですから。
彼は映画スターですから、映画の画面が挿入されており、映画の役柄での言動も、その人格づくりの大きな要素になっていますが、その点を除けば、誰にでもできることかもしれません。
そう考えていくと、このブログは、もしかしたら「佐藤節子の復活の場」にできるかもしれないと思いつきました。

またわけのわからないことを言い出した、と思われそうですね。
たしかに節子には時々わけのわからないことを言って苦労をかけてしまいました。
私はわけのわからないことがともかく好きなのです。
でも節子は、わけがわからなくても、結局は「やってみたら」と言ってくれました。
それが私の原動力になっていたのです。

私自身は「闘病で学んだこと」を節子に代わって書いていくことはできませんが、「節子と一緒に学んできたこと」を伝えることはできるかもしれません。
「いなくなった節子から学んだこと」も書いていけそうです。
また節子の友人知人からもらった手紙などに書かれている「思い出」をつないでいくこともできます。
そんなことを考えながら、このブログにも取り組もうかなと思いつきました。
このブログこそが、新しい私たちの生活の場になるわけです。

どうやればいいのか、またどうなるのか、まだ全くわかりませんが、節子もそちらからいろいろと情報を送り込んできてください。
これは私たち2人の世界を再構築していく壮大なプロジェクトになるかもしれません。
まあ、成功する確率は1000にひとつ、あるかないかですが。
失敗の確率が高いことほど、やりたがるのも私の性癖の一つですから。

でも何かわくわくしますね。
節子、わくわくしませんか。
久しぶりのコラボレーションです。

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■赤福はまた「もう一つの不祥事」をやってしまいそうです

表示偽装などで問題になっていた赤福が、改善報告書を保健所に提出したそうですが、そこには「売れ残り品などはすべて廃棄」という項目が入っていました。
やはりそうか、と思いました。
赤福は対応を間違っているように思います。
問題の本質がわかっていません。
私には、こうした対応もまた「もうひとつの不祥事」という感じがします。

食品業界の不祥事が続出していますが、そもそも何を持って「不祥事」と捉えるか、が問題です。
生産日に売れ残った商品を廃棄するというのは、社会の常識から考えれば、食材の無駄使いとして非難されるべき行為です。
これに関しては一度書いたことがあります

企業不祥事の最大の問題は、問題の本質を捉えられない企業の文化にあるのだと私は思っています。
言い方を替えれば、社会の常識と会社の常識がずれており、考え方が根本から間違っているわけです。
そこを正さない限り、繰り返し不祥事は起こります。
せっかくの冷凍技術を持ちながら、それを活かさずに食材を無駄にする方向に向いてしまったのは、明らかに赤福の文化が社会の常識とずれていくことの証左です。
それだけでなく社会の声にしっかりと耳を向けていないことの現われでもあります。
そうしたことを正さない限り、赤福は繰り返し、問題を起こすでしょう。
船場吉兆と同じ状況を感ずるのは私だけでしょうか。

せっかくすばらしい技術をもちながら、こうした対応をしてしまう赤福の現状が残念でなりません。

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2007/12/14

■企業不祥事続出の背後にあるもの

日経ビジネスオンライン2007年12月10日に「このままでは成果主義で会社がつぶれる」という記事が掲載されています。
その中にこんな文章がありました。

高橋俊介教授は、かつて日本企業が競うように成果主義を導入した際に、人事戦略コンサルタントとして数多くの企業から相談を受けた。「本来の成果主義は、仕事の成果に応じて報酬に差をつけることで、仕事に対するやる気を高めてもらうもの。だが、相談を受けた企業の中にそういった狙いで導入しようと考えていたところは1社もなかった」と言う。

とても複雑な気持ちを持ちました。
あれだけ話題になった日本の成果主義経営とは一体何だったのか、それを進めてきた企業コンサルタントの功罪は何なのか。
オープンブック・マネジメントをもっと広げられなかったことを反省し、残念に思います。

そのアンケートの結果では、日本型チームワークの文化が壊れてしまってきていることが指摘されています。
日本型チームワークが良いかどうかは、一概には言えませんが、そこで指摘されているのは、「メンバーの信頼関係」の崩壊だろうと思います。
ちなみに、昨今の日本での成果主義はチームワークを壊しているようですが、オープンブック・マネジメントはチームワークを育てる成果主義です。
私は、オープンブック・マネジメントの発想で企業経営を再構築すれば、すべての企業は必ず元気になると考えていますが、出版元の編集者にそれを理解してもらえなかったのが悔いとして残っています。
しかし、この話は機会を改めましょう。

目的と手段。それを間違うと効果が出ないどころか、弊害が大きくなるのが普通です。
薬を間違って服用すれば、時に死にもつながります。
政策手段を間違えば、地域活性化するはずが地域を破壊します。
手続きの時代」においては、しかし、目的との関係性よりも手段それ自体が議論の対象になりがちです。それも極めて「各論」で、です。
そして薬害が起こり、年金の無駄遣いが起こり、企業の不祥事が起こります。
そこで欠落しているのは「つながり」と「全体像」です。
企業はいまや全体像から発想されるのではなく、目先の各論から行動が起こされます。
つまりコーポレートデザインの発想がないのです。

企業がなぜ不祥事から抜け出られないのか。
「ホロニックな全体像」と「信頼によるつながり」という、組織の基本がおろそかになっているからです。
そこを正していけば、組織はまた輝き出すはずです。
それこそが企業経営のコンサルタントのミッションではないかと思います。

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■節子への挽歌103:まさか節子が献花にきたのではないでしょうね

節子 
今日は晴れそうです。
久しぶりに手紙を書きだしたら、書きたいことが山のように出てきました。
でも今日はそういう話ではなく、昨日起こった、とても不思議な話を書きます。

昨日は私も娘も自宅にいました。
午前中は来客でしたが、昼食を終えていつものようにリビングでくつろいでいました。
そこからは庭の献花台がよく見えます。
何事もなく、各自、部屋に戻ったのですが、用事ですぐにリビングに降りていったジュンが、大きな声で、だれかが献花していってくれていると叫ぶのです。
あわてて降りていくと、とてもおしゃれな花束が献花台の近くに供えてありました。
気づいたジュンはすぐに外に出て誰かいないか探したそうですが、見える範囲には誰もいませんでした。
リビングに誰もいなくなったのはわずか5分程度です。
それまでジュンがそこにいたそうですが、誰かが庭に入ってきた気配はなかったそうです。
それに庭が見えるところに、ちび太がいます。
ちび太は誰かの気配を感ずるとうるさいほど鳴く犬ですが、彼も全く気づかずに鳴きもしませんでした。
わが家の庭は、昼間は誰でも入ってこられるように鍵はしていません。
ですからそっと入ってきて、献花していくことは可能ですが、番犬役のちび太くんや注意深いジュンに気づかれずに、献花していくことはとても難しいことです。
普通なら庭の扉が開く音でちび太が鳴くはずです。
節子、これはどういうことでしょうか。

実は、今日、掲載予定で書いたあなた宛の手紙に、一昨日、こう書いたのです。

節子、もう一度でいいから誰もが体験できることを起こしてくれませんか。
たとえば、明日の朝、起きたら、献花台の上に庭の黄色い木の実を置いておくのはどうでしょうか。
節子を感じられる証がほしくて仕方がありません。
まさかそれを知っての節子の悪戯ではないでしょうね。
そういえば、何だか彼岸でこしらえた花束のようにも見えます。

ともかく不思議な、そしてうれしい事件でした。
もしかしたら、このブログや私のホームページを読んで下さっている方の献花かもしれません。
それで、ブログとホームページに書くことにしました。
もし献花してくださった方が、この記事を読まれたらメールをくれませんか。
そうしないと、節子に確かめるために、私が彼岸に行きたくなりかねませんので。
お願いします。

追伸(2007年12月14日追記)
献花の主がわかりました。
娘の友人でした。
おさわがせしました。

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2007/12/13

■古舘さんの怒りにとても共感しています

最近の報道ステーションの古舘さんは怒っていますね。
それに表現も過激になりつつあります。
このブログの表現も過激なことがありますが、ほとんどそれと同じような言い回しのことがあります。
古舘さんももしかしたら、このブログを読んでいるのではないかと思うほど似た表現のこともあります。
読んでいるはずはありませんが。

このブログの読者はたかだか1日100~200人です。
きちんと読む人は、実際には数十人でしょう。
しかし古舘さんのメッセージを受ける人は数百万人です。
その影響は大きいです。
ですからテレビキャスター、しかもメジャーな番組のキャスターはどうしても「中庸」を目指します。
だから退屈になり、中途半端になるわけですが、最近の古舘さんには人間を感じます。
あの怒りは国民の目線にあっているように思います。

もちろん感情的なキャスターを嫌う人もいるでしょうが、そんな「死んだ」国民は捨てておけばいいでしょう。
生きている人間は、怒り、喜び、間違い、失敗し、後悔するものです。
またいつか不明を恥じることになるかもしれませんが、最近の古舘さんの怒りにはうれしいほど共感できます。
厚生労働省は犯罪者の巣窟というような発言までしていたような気がしますが、私も前からそう思っています。
政治家の無責任さへの怒りも共感します。
古舘さんのいまの姿勢を高く評価し、応援したいと思っています。

にもかかわらず残念なことに、どう応援していいか分かりません。
古舘さん
そろそろ画面の外でも、何か動き出す仕組みを考えてくれませんか。

ちなみに私のまわりには古舘嫌いもいます。
そうした人たちも巻き込んだ、新しい公共空間としてのフォーラムや運動の仕組みができないものでしょうか。
怒っているだけでは新しい風は起きません。

ちなみに余計なことですが、古舘さんにはずっと活動を継続していただきたいので、言葉には留意してほしいと思います。
つまらない言葉尻を捉えて血祭りに上げるのは、御用ジャーナリズムの得意技ですから。

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■節子への挽歌102:節子、お久しぶりです

節子、元気にしていますか。
こちらは寒い雨の朝です。

節子と会えなくなってから、もう3か月半もたちます。
こんなに長く会わなかったのは2回目ですね。
1回目は、生まれてから出会うまでの、私にとっては22年間。
しかし、現世で出会ってからは一番長くても3週間でした。
3か月もあなたに会わずにいられるなんて、とても不思議です。

私の今の生活は、毎朝、あなたに「おはよう」と声をかけることから始まります。
何しろ節子はいまやわが家には5人もいるので、大変です。
みんなに「おはよう」と声をかけ、最後に仏壇の節子に向かって般若心経を唱えています。
あなたはきちんと聴いていてくれるでしょうか。
返事がないので、いつも不満です。
挨拶されたら挨拶するものです。
それで、時々、不満をぶつけていますが、いくら不満をぶつけても、以前のように夫婦喧嘩にならないのも残念です。

自宅にいるときは、今まではほとんど入ったことのなかった和室にいます。
その部屋が、あなたが最後までいた部屋だからです。
その部屋にいると、なぜか心が落ち着きます。
とても不思議です。
その部屋のコタツに入っているとあなたに見られているような気がするのです。

おやすみの挨拶も5人の節子にしていますが、最後はベッドの横にいるあなたの写真をしばらく見て、節子のあたたかさを感じるようにしています。
時に涙が出ることもありますが、できるだけ笑顔を心がけています。
病気になってから、あなたが寝る前に自分の顔を鏡で見ては微笑んでいたことを思い出します。

本当にまた会えるのでしょうか。
時々不安になりますが、必ずまた会えると信じています。
今日は、節子への久しぶりの手紙を書いたような気がします。
そういえば、結婚前もこうやって手紙を書いていたことがあるね。
その時は、いつも返事が届いていたけれど、今度も返事はもらえるのでしょうか。
いつまでも待っています。

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2007/12/12

■「舛添さん、おまえもか」

またまた不明を恥じなければいけません。
年金や薬害肝炎事件で、舛添さんが健闘していると思っていましたが、
全くの演技もしくは思いつきだけの言動だったことが明らかになりました。
薬害肝炎事件への対応も少しずつおかしなことが見え出してきましたが、
昨日の消えた年金の名寄せ作業に関する言い訳はあまりに非常識でした。
完全な居直りと言い訳に徹した記者会見でした。
それにしても何という言い草でしょうか。
「ここまでひどいとは想定していなかった」
これが責任ある立場の人がいう言葉でしょうか。
舛添さんにこそ向けられるべき言葉です。
まあ、それ以外の言葉も信じがたいものばかりですが。
「ブルータス おまえもか」という言葉を思い出してしまいました。

大臣になってからの舛添さんの言動は鮮やかに見えました。
舛添さんに対して不信感をもっていたにも関わらずに、私は見直したという記事を数回書いてしまいました。
またまた不明さを恥じなければいけません。
騙されてしまったわけです。
やはり舛添さんは舛添さんでしかなかったわけです。

しかし、なぜ騙されてしまったのか。
論理的に考えれば、最後の一人、最後の1円まで解決するというようなことは不可能に決まっています。
それでもみんな期待しました。
私も9割方は明確になるのだろうと思っていました。
いやそれ以上に、厚生労働書の犯罪体質が正されると思っていたのです。
庶民の常識を持った政治の素人がそこに乗り込み、庶民の感覚で状況を打破してくれるように見えました。
しかし、昨日の記者会見での舛添さんの立場は、明らかに「お上」の立場でした。
怒りを見せながらも、官に迎合し保身的でした。
舛添さんは「ないものはない」とも言いましたが、「ないもの」がこれまでどれだけ出てきたことでしょう。
それにないものを再現していくことが約束だったはずです。
資料があるのであれば、それは作業であって、誰にでもできるのです。
ないからこそみんな舛添さんの公約に期待したのです。
あれほど大きな公約を、事実確認もせず、できる見通しもないまま行ったのでしょうか。
「それほどひどいとは想定していなかった」というのが、私の気持ちです。

冷静に考えれば、しかし、名寄せ作業での解決は無理だとわかったのかもしれません。
しかし、みんな冷静には考えずに、期待してしまう。
まさに円天事件と同じ詐欺の構図があります。
つまり問題は騙される私たちにあるのです

最近は自分の馬鹿さ加減がいやになります。


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■節子への挽歌101:挽歌が書けるまで続けます

「節子への挽歌」も、ついに100回になりました。
一体いつまで続けるのかと思われている方もいると思います。
実は「節子への挽歌」が書けるまで続けたいと思っています。
これまでも何回か、挽歌を書こうと試みたのですが、どうもうまく書けません。
挽歌というものの難しさを知りました。

このブログを「節子への挽歌」と呼んでいますが、挽歌などといえるような代物ではありません。あえて言えば「鎮魂歌」です。
こうした雑文を書いていると、心が鎮まることは間違いありません。
節子のための鎮魂ではなく、私自身のための鎮魂かもしれませんが、私たちは一体だと私は思っていますから、私には矛盾ではないのです。
このブログを書き続けてきたおかげで、私自身は毎日、節子との時間をかなり共有できています。
しかし、こんな文章を節子が喜んでいるかどうかはわかりませんし、娘たちも長すぎて読んでもくれません。
ましてや家族でもないみなさまにとっては、ほとんど興味のない話でしょう。

しかし、いつか私が納得できる「節子への挽歌」が書けるまで、あるいは「節子への挽歌」を書かなくても私が納得できるようになるまで、このブログは続けようと考えています。
別のブログに移行することも考えたのですが、ビオスとゾーエについて書いたように、むしろ混在させことに意味を感じ出しています。
それでこのスタイルをもう少し続けようと思っています。
それに私にとっては、時評も挽歌も実は同じなのです。
時評を書いている時も節子への語りかけとして書いていますし、挽歌を書いている時には時代の風景の中で節子と語り合っているのです。

妻を失った人間の言葉を聞いても退屈なだけでしょうが、社会的弱者の心情という点で言えば、少しだけ普遍性を持つのではないかと思います。
それで、私としては周辺の人にはかなり失礼なことまで含めて真情を吐露しているのです。
その意味では挽歌もまた時評の要素を十分に持っていると思っています。
もちろんそうでない単なる駄目男の愚痴や嘆きも少なくないのですが。

そんなわけで、挽歌はまだ続けます。
なにしろ40年、一緒に暮らしてきた同志ですから、材料はなくなりません。
それに私が心から愛した女性なのです。
材料がなくなる時は、きっと私の人生もまた消える時です。

ただ次回からは節子への語りのスタイルにしようと思います。
これまではそのスタイルがとれませんでした。
その理由もまたいつか書きますが。

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2007/12/11

■ワーキングプア、あるいは働くことの意味

いくら働いてもなお貧しい暮らしから脱出できないワーキングプアが問題になっていますが、この言葉そのものに、ある落とし穴があるような気がします。
プアでない者のたわごとと言われそうですが、念のために言えば、私はこの数年、仕事があまりできなかったため、国民年金が一番の収入源です。

ワーキングプアのどこが落とし穴かといえば、プアということが経済的な収入に直結していることです。
たしかに都会で暮らしていくためには金銭がなければやっていけませんが、人はお金がなければ生きていけないわけではありません。
金銭収入があまりなくても暮らしていける地域は、日本にもまだあるはずです。
そこでは「生活の仕方」や「働き方」が違うのです。

労働力、しかも安価な労働力の供給源を維持していくためには、経済的格差を拡大させていくことが効果的です。
そうした政策が生み出しているのが「ワーキングプア」という概念ではないかと思います。
やや極端かもしれませんが、いつの時代も、経済成長を支えているのはワーキングプアなのです。

安田喜憲さんの「一神教の闇」(ちくま新書)にこんな紹介があります(一部文章を要約)。

バリ島では農民たちが木の彫刻を作って売っている。こんなに作って売れるのかと訊いたら、それこそ市場原理に毒された考えだといわれた。農民たちにとっては、この美しい彫刻を作ること自体が喜びなのである。
私たちが忘れていたことを思い出させてくれます。
働くということは本来楽しいことだったのです。
働く喜びの結果、その彫刻が売れたとしたら、もう一つの喜びが得られます。
それがそもそもの「働くこと」の意味だったように思います。
しかし現在は、金銭を得るための行為が働くことになっています。
そこに大きな落とし穴を感じます。

労働は義務、これは近代資本主義の根幹にある発想です。
義務が楽しいはずはありません。
神が課した義務という形をとりながら、実はその神の仮面をかぶっているのは権力者だったわけですが、逆にそのために金銭が権力を持ち出してしまったのだろうと思います。そして、権力者たちもまた金銭に振り回される存在になってしまったのかもしれません。

ディーセントワークという言葉が少しずつ使われだしています。
定訳はありませんが、「価値ある仕事」とか「適正な仕事」「納得できる仕事」などと訳されています。
私は「喜びが得られる仕事」がいいかなと最近思っていますが、要は「仕事の質」が問われだしてきたと言うことです。

しかし、これまでの発想の枠組みで考えていては限界がありそうです。
一歩進んで、働くことの意味を問い直す契機に出来ないものか。
そうすれば、ワーキングプア論議も一歩進めることが出来るような気もします。
今の働き方をいくら続けていても、経済的プアからは脱却できないのではないか。
そういう発想の転換が必要かもしれません。

しかし、現実にワーキングプアに陥ってしまうと、そんなことを考える余裕さえなくなってしまうのでしょう。
そこに問題があります。
大きな問題の解決には、次元を変えた取り組みが必要です。
それをやれるのは当事者ではなく、当事者みんなのつながりなのかもしれません。

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■節子への挽歌100:百か日

今日は節子が旅立ってから100日目です。
正式には、百か日法要を行うのですが、今回はお寺ではなく、自宅で節子を偲びました。
百か日は「卒哭忌」ともいうそうです。
「哭」は泣き叫ぶこと、「卒」は終わるという意味ですので、泣き明かしていた悲しみを卒業するという節目です。
しかし、そうプログラム通りに行くものではありません。
母親を亡くした娘たちの辛さや悲しみなどほとんど意に介することなく、この100日間、自分の悲しさと寂しさを正直に出し続けてきました。
そのおかげで、その悲しさと寂しさを日常化することができました。
娘たちに心から感謝しています。
節子がいなくなってから、実はどう暮らしていこうかという相談も娘たちには全くしませんでした。
ただ一言、「家庭のことはすべて任せて、私は隠居する」と宣言しただけです。
娘たちは、今は何を言ってもだめだと思ったのか、素直に受け入れてくれました。
そろそろ、しかし私もこれからのことを考えなければいけませんし、節子が残していったものを整理しなければいけません。
どこかから借金証書や隠し財産が出てくる可能性は、わが家の場合は皆無ですが、すべてをそのままにしておくこともできません。
勇を鼓して、私も前に進まなければいけません。

しかし早いもので、もう100日です。
この調子だと私が節子のところに行ける日も、あっという間に来るかもしれません。
ですから、私自身の身の回りの整理もしておくことも考えなければいけません。
早くまた節子に会いたいと、心の底から思います。

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2007/12/10

■日本ライスのブランド米偽装事件と農水省の犯罪

毎年、新潟の友人が魚沼産のコシヒカリを送ってくれます。
実に美味しいのです。
近くのお店で購入するコシヒカリとは全くの別物です。
それにしても、最近のお米の価格が安く、米作農家は本当にやっていけるのかも気になっていました。

昨日、TBS系列の「報道特集」で「追跡!偽ブランド米」を見ました。
先月18日深夜にMBS毎日で放映された「映像’07」が話題となり、
全国ネットでの放送が決定したのだそうです。
「新潟産コシヒカリ100%」を謳いながら、実は中国米などをブレンドしていた
「日本ライス」の偽装を明らかにしたものです。
その不正はすでに農水省にも情報が入っていたようですが、
農水省はそれを見逃していたことも番組の中で取り上げられています。

そのやり取りを見ていると、まさに「守屋事件」や「薬害肝炎事件」と同じ構図が見えてきます。
取材に応じた農水省の職員の「責任への鈍感さ」も同様です。
まさに農水省の犯罪です。
「権力」を付与された「組織」は、犯罪を生み出す仕組みを併せ持っています。
ですから、ほとんど例外なく、中央省庁には犯罪が内在しています。
そうならないために、さまざまな仕組みがつくられるわけですが、日
本の官庁にはそうした仕組みがあまりないのでしょうか。
基本的には政府観やガバナンスの問題です。

この番組で象徴的に描かれていたのは、組織の不正に対する個人の誠実さです。
組織の中の個人ではなく、組織に属さない個人の誠実さです。
生産農家の米つくりへの誠実さ、米穀販売店の商店主の誠実さが、
組織の悪行に抗するように描かれています。そこから大きな救いを感じます。
そこから感ずるのは、米作農家が自立できないのは農業政策のためだという私の勝手な思い込みへの確信でした。

ところで、偽装を組織的に行っていた日本ライスの社長はすでに逮捕されていますが、
日本ライスはまだ営業を継続しています。
恐ろしい話です。
個人は罰せられても、組織は罰せられない。
この発想にこそ問題の本質があるように思います。
犯罪の温床こそ、厳しく問われるべきです。
組織犯罪は決して個人の問題ではないのです。

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■節子への挽歌99:赤い糸

私と節子の出会いについては以前書きましたが、実はそれも予め決められていたことだったような気がします。
私たちは間違いなく「赤い糸」で結ばれていました。
その証拠にはなりませんが、1枚の写真があります。
実は私たちが結婚してかなり経過してから見つけた写真です。

節子と私は同じ職場にいました。
いわゆる職場結婚なのですが、50人くらいの職場で、係が違っていたため、以前書いた電車での出会いの前は、ほとんど話したこともありませんでした。
当時はまだ職場旅行というのがあって、50人全員で京都に旅行しました。
その時の写真です。。

Red

ちょっとぼけていますが、この写真を見つけたときには2人で驚きました。
なんと私たち2人が真ん中にいるのです。
前に並んでしゃがんでいるのが私と節子です。
いささか恥ずかしい写真ですが。
私はまだ入社して半年です。
周りにいる人たちは懐かしい顔ぶれなのですが、実は全員、私の係ではなく、節子の職場に近い人たちです。
どうしてここに私がいるのか不思議な組み合わせなのです。

この写真を見つけた時、節子は、やっぱり赤い糸で結ばれていたのね、ととても喜びました。
私もなぜかすごくうれしい気持ちになりました。
私はとても緊張している感じですが、節子はさりげなく私の脚に手を置いています。
みんなが私たちカップルを祝っているような感じです。
しかし、この写真から1年ほどは私と節子との交流はなかったのです。
電車で出会ったのは、この写真のちょうど1年後なのです。

ちなみに、この写真には節子の親友も一人写っています。
節子のお見舞いにも、そしてお別れにも来てくれました。
勝っちゃん、この写真は知らなかったでしょう。

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2007/12/09

■節子への挽歌98:節子と世界とどちらを選ぶか

もしメフィストテレスがやってきて、お前の魂をくれたら節子を戻してやると言われたら、私は喜んで魂をやるでしう。
おまえの生命との交換はどうだといわれても、躊躇なく承諾します。
そういう取引では、せっかく節子が戻ってきても、私とは会えないかもしれませんが、それでも承諾します。
メフィストテレスが信頼できればですが。
もし信頼できるメフィストテレスをご存知の方がいたら、ぜひ紹介してください。
節子が取り戻せるのであれば、心を悪魔に売り渡すことなどたやすいことです。
妻と良心とどちらが大切か。もちろん私には妻です。
地球と節子とどちらを選ぶかと言われても、躊躇なく節子を選びます。
利己的ですみません。

私にとって一番大切なものは節子です。
しかし人によっては伴侶ではないかもしれません。
自分が一番大切なものを得るために、人はけっこう悪魔に魂を売っています。
最近もそうした人たちがテレビや新聞をにぎわしています。
そうした報道を見ていると、みんな本当に大切なものに気づいていないなとつくづく思います。
一番大切なのは、生活を共にしているパートナーです。

妻がいなくなって、その大切さに改めて気づきました。
よく言われるように「人」という文字は、寄り添っている形です。
人は一人では生きていかないということでしょうか。

ところで、私には独身の友人知人が少なからずいます。
そうした人たちの生き方に、改めて驚異を感じます。
私も学ばなければいけません。
良心を悪魔に売り飛ばさないためにも。

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■産業の場としての学校と教育の場としての学校

リクルート出身の藤原校長が次々と新しい試みに取り組み、
話題になっている東京都杉並区の区立和田中学校が、
来年1月から、大手進学塾の受験指導の場として、夜の校舎を提供するそうです。
主催するのは、保護者や元PTA、教員志望の学生たちが参加する、
和田中応援団のボランティアグループの「地域本部」です。
今朝の朝日新聞は、その記事を1面のトップに書いています。
塾と学校の連携は各地で広まっていますし、
硬直化した学校制度に新しい風を吹き込むという意味でも、こうした動きを評価したいと思いますが、
どこかに違和感が残ります。

仕掛け人である藤原さんの言葉が、新聞で紹介されています。
「どんなにがんばっても、学校の授業ですべては教えられない」
やはり気になる発言です。
「すべて」とは何なのでしょうか。
こうした発言の背景にあるのは、「量的な役割分担」の発想です。
昨日の説明会で、藤原さんはこうも話したそうです。
「学校の授業についていけない生徒にはむしろ負担になる。無理に参加しないで」
ますます気になります。

要は受験勉強のための塾に行きやすい状況をつくるということ、
と割り切って考えればすべては納得できますが、
そうだとすれば、「学校の授業についていけない生徒」はますます格差をつけられていきかねません。
私には問題の設定が根本的に間違っているような気がします。

放課後の学校を使うのであれば、受験のためにではなく、
むしろ「学校の授業についていけない生徒」のためのプログラムを考えるべきではないかと思いますし、
それこそが「地域本部」に取り組んでもらいたい課題のようにも思います。
そして、一番大切なことは、時代の大きな変化を踏まえて、
改めて「学校」とは何か、「教育」とは何か、を考え直すことではないかと思います。
教育産業の場としての学校と教育の場としての学校とは、似て非なるものです。

「改革」の出発点はビジョンです。
学校とは何なのか。
何のために何を改革するのか。
それを明確にしない「改革」が多すぎます。

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■節子への挽歌97:節子は歌が好きでした

節子は歌が好きでした。
でもちょっと音痴のところがあったような気がします。本人は認めませんでしたが。
それに高い音がきれいに出ませんでした。
でも歌がとても好きでした。
それで、我孫子の女性コーラスグループの「道」に参加させてもらっていました。
その発表会にはいつも私も聴きに行きました。
しかし、この1年、彼女は病気のために参加できませんでした。
そのグループの発表会が4月にありました。
節子と一緒に聴きに行きました。
久しぶりにみんなに出会えて、よほどうれしかったのでしょう、辛かったはずなのに、私が心配するほど元気そうにみんなと話し合っていました。
そこでいろいろな人にも出会えました。
それがおそらく最後の外出でした。
たくさんの友人たちに囲まれて、コンサートを最後まで聴けてよかったと思いますが、思い出すだけで涙が出てきます。

彼女も歌った発表会を録音したテープやCDがたくさん残されています。
どうしても聴く気になれません。
しかし捨てる気にもなれません。
捨てることも出来ず、見ることも出来ないもの。
そういうものがたくさん残されています。
私もいまのうちに身の回りのものを捨てていこうと思っていますが、なかなかそれも難しいものです。

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2007/12/08

■節子への挽歌96:節子は「私の女」でした

「いい女だった」と言う話を書きましたが、もう少し書きます。
節子が「いい女」に育ったのは、実は私の働きかけが少なからずあったと自負しています。
誤解されないように付け加えますが、私を育てたのは間違いなく節子です。
節子と結婚していなかったら、私はかなり違った人間になっていたと思います。
同じように、節子もまた、違った人間になったはずです。
もちろん「素質」は、それぞれの固有のものでしょうが、私たちはお互いを育てあう関係でした。

これはなにも私たち夫婦に限ったことではないでしょう。
夫婦とはそういうものだと思います。
育ち方が良かったか悪かったかは何とも言えませんが、私たちはお互いに感謝しあっていました。
節子も私も、相手から実にたくさんのことを教えてもらったのです。
お互いに、とても出来の悪い生徒でしたが、まあ相互に合格点を出し合えるものでした。

「マイ フェア レディ」のイライザを例に出すまでもなく、人は愛する人によって変わります。
そして愛する人を変えていきます。
私たちが自らを変えられたのは、相手を愛していたからです。

もちろん長い人生ですから、いつもいつも夢中だったわけではありません。
時に愛が冷めた時期もありますが、それでもどんな時でも、お互いにかけがえのない存在だったことは間違いありません。
節子は私との離婚を考えたこともあるとよく話していましたが、気楽にそう言えるほど、私たちは仲が良かったのです。
いつもながら、好都合な解釈ですが。

ところで、節子の「出来上がり」はどうだったでしょうか。
私には「最高の女」でした。
たくさんの欠点も含めて、「最高の女」でした。
「完璧な女性」とか「素敵な女性」とかとは程遠い存在でしたので、
他の人からの評価は、とてもとてもだめでしょうね。
でも、繰り返しますが、私にとっては「最高」だったのです。
私にはそれで充分でした。
節子は私の女だったのですから。

「私の女」。問題発言ですね.
でも間違いなく節子は「私の女」でした。
私のための、まさにカスタムメイドの女性でした。
節子もきっと否定はしないでしょう。

私にとって、あんなにいい女房はいませんでした。
まあ、ほかには女房はいないので、当然なのですが。
節子はいつもそういって笑っていました。はい。

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■廃棄と別れ

友人からもらった「本来無一物」の掛け軸を見ていたら、急に資料や書籍の整理をしたくなりました。
今までも何回も挑戦して実現しなかった難題です。
亡くなった妻は、どんな資料も保存していく私の性癖には少し呆れていました。
書籍もそうです。私がお金を使う唯一の対象が本でした。
最近は違いますが、以前は読むためにではなく、いつか読めるようにしておくために新聞などで見ては書店に注文していました。ですから読んでいない本がたくさんあります。
資料もそうです。私が関わったプロジェクトの資料はほぼすべて残しています。
愛着があるということもありますが、いつかまた参考になるかもしれないと思っているのです。
ところが、妻が亡くなった後、彼女が残したたくさんの写真や手紙を前に、
もし私が死んだらこの書籍や資料はどうなるのかと思ったのです。

資料や書籍は、所有者との関係においてのみ意味を持っています。
妻に来た手紙は、私にとってはあまり意味はありません。
「物」というのも「事」と同じく、個人に付属しています。
私の持っている書籍や資料は、私がもっているからこそ意味を持っている。
そうであれば、「思いを持って」それを廃棄できるのもまた、私だけです。
廃棄するのに、「思い」など関係ないのではないかと言われそうですが、そんなことはありません。
妻を亡くして、そういうことがよくわかってきました。
もちろん私は妻を「廃棄」したのではなく、「別れ」を体験したのです。
書籍や資料もまた私の一部だったわけですから、「廃棄」ではなく「別れ」と考えるべきです。
私の一部であればこそ、いつもは「廃棄」できなかったのですが、
私の一部であればこそ、「良い別れ」が必要だと思ったわけです。
そう思ったおかげで、今回はかなりたくさんの資料との別れができそうです。

私もいま66歳ですが、そろそろ「人」や「物」との別れを意識的に進めていく時期かもしれません。
それでこそ、世界が広がり深まるのではないかと思うようになりました。

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■節子への挽歌95:「いい人」でもあり「いい女」でもありました

節子は「いい人」でしたが、私にはそれ以上に「いい女」でした。
節子に「修は女を知らない」と言われていたように、どんな人が「いい女」なのか、私には見分ける力はありませんが、節子を思い出すたびに、「いい女だった」と言いたくなる気分なのです。
それに、「いい人」と言ってしまうと、なんだか軽くて、それこそ可もなく不可もなし、という感じですので、やはりここは、「いい女だった」と言いたくなるわけです。

立場が逆だったらどうでしょうか。
節子は私のことを「いい男だった」とは絶対に言わないでしょう。
そこが私と節子の違いかもしれません。
私は節子にとっては、きっと「いい人だった」で終わってしまうような気がします。

でも、「いい人だった」といわれるのは、あんまり名誉ではないですね。
そんな気がします。
ですから、私が節子のことを「いい女だった」と思っていることを、節子はきっと喜んでいるでしょう。
生前に、この言葉を聞かせておきたかったと思います。
「いい女房だ」とは何回も言いましたが。

「いい人」「いい女房」「いい女」
「いい人」「いい旦那」「いい男」
みなさんたちはいかがですか。

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2007/12/07

■当事者の危機感がない限り、組織の改革はできません

先日、ツカサグループの川又三智彦さんとパネルディスカッションでご一緒した時に、川又さんが会場に向けて繰り返し言っていたことがあります。
「みなさんの何割かは10年後にはホームレスになっていますよ」
川又さんは日本の先行きに大きな危機感を持っているのです。
ホームレスはともかく、今のままだと経済的格差がさらに拡大し、社会が機能不全に陥る恐れは否定できないと思います。
一番の問題は、働かないほど収入が大きくなりがちな現在の構造です。

しかし、なぜかみんな危機感がありません。
先日、ある委員会で、松下の方が数年前に大幅な赤字になった時には、松下も倒産するのではないかと心配になり、履歴書を買いに行った、と話されていました。
その危機感が松下のその後のV字回復を実現したのだと言うのです。

考えて見ると、今の日本の財政状況は松下以上の赤字かもしれません。
にもかかわらず税金の無駄使いはなくなりません。
独立法人の見直しが話題になっていますが、議論の割には何も変わりません。
総論ではみんな賛成しますが、自分の利害が見えてくると途端に動きが悪くなります。
独立法人の職員がまじめに働き出したら、別に民営化する必要もありません。
今の仕事はほとんどが無意味なものなのでしょうが、その仕事の内容を当事者たちが本気で見直せば必ず社会的な価値を創出することができるはずです。
しかし、いまはそうした動きは全くありません。
そこで起こっているのは、組織の存続に関する攻防戦でしかありません。
しかも、話し合っている大臣の顔には真剣見は感じられません。
全く無意味な「行政改革活動」だと思います。

少なくとも、現在の職員の給料を真剣に動き出すまで至急停止にするくらいのことをやるべきです。
民間企業であればそうするでしょう。
今もなお毎日税金の無駄遣いが行われているわけですが、せめてその発生をとめることができないものなのでしょうか。
当事者に危機感が生まれない限り、組織の改革などできるはずがありません。
その基本的な認識が欠落している「改革ごっこ」はそろそろやめてほしいものです。

それにしても、天下りできた人は働きませんね。
これは最近会った独立法人的な組織に所属する若い人や新人の何人かの人に聞いた言葉です。
働かなくて高給を得ている人がまだまだたくさんいるようです。

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■節子への挽歌94:私のすべてが節子への贈り物

贈り物の話です。
私は節子に指輪のプレゼントをしたことがないと以前書きましたが、
正確に言えば、一度だけあるのです。

私たちは結婚して一緒に暮らすことを決めた直後、結婚式は挙げずに、
出雲大社の神前で2人だけで誓いを交わそうと決めました。
当時のスタイルとしては、まあ先端的でした。
それが何だといわれそうですが。
型にはまった結婚式は私の性分にはあいませんでした。
結局は後で結婚披露宴をする羽目になったのですが、今日のテーマはそのことではありません。
贈り物がテーマです。

出雲大社には京都から夜行で向かいました。
その列車の出る前に、京都駅前の大丸でダイヤの指輪を買いました。
お金がなかったのでとても小さな指輪しか買えませんでした。
それが私の節子への唯一の贈り物です。
娘たちは、私が妻に贈り物をしないといつも非難していました。
節子は、修はそういうのがだめなのよといつも笑っていました。

しかし、私が節子に贈り物をしなかったわけではないのです。
いや、むしろ誰よりもたくさんの贈り物をしたという自負があるのです。

実は私のすべてが節子への贈り物だったのです。
気障な言い方だと思われるでしょうが、節子はそれをわかっていました。
まあ、節子にはありがた迷惑な贈り物だったかもしれません。
捨てるに捨てられませんから。
ですが、私のすべては節子のものになったのです。
人を愛するとは、そういうことだと私は思っていました。
節子と結婚して、私の生活は一変しました。

もっとも節子は、私よりもやはり指輪や帽子のほうがいいといっていました。
そのたびに私は、好きな指輪を買っていいよ、と言いました。
たまには花束を贈ってほしい、とも言っていました。
私は好きな花束をあげるから買ってきてよ、と節子に頼みました。

そんなわけで、節子は普通の意味でのプレゼントを私からはもらっていないのです。
しかし、私は何でももらえる状況をプレゼントしたわけです。
まあ、「何でも」というのがミソですが、ほしいことがあれば努力するつもりでした。
もちろん「物」はそう考えていませんでした。
物は物でしかないからです。

さて、みなさんはどちらがいいでしょうか。
時々、何か素敵なものをプレゼントしてくれる伴侶がいいか。
かなえられることは何でもかなえてやるよという言葉をくれる伴侶がいいか。
私は後者が絶対にいいと思いますが、節子は前者だったのでしょうか。
今にして思えば、私の考えはちょっとおかしいですかね。

実はプロポーズの仕方も結婚式も、今から思うとやはりちょっとおかしかったかもしれません。
節子がよくついてきてくれたなと思います。
もしかしたらストレスをためていたのかもしれません。
でもそうしたなかで、節子のライフスタイルが育っていった面もあるように思います。
出会った頃の節子は、まじめすぎるほどまじめな人だったですから。

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2007/12/06

■コストや価格で考える時代はもう20年前に終わりました

久しぶりにタクシー料金が値上がりしました。
私はタクシーにはあまり乗りませんが、乗るとよく運転手と話をします。
とくに地方に行った時には比較的長い時間乗りますので、いろいろとお話を聞くのですが、汗して働いている運転手への料金の配分の低さが気になっていました。
ですから、運転手の収入を上げるための値上げは賛成です。
しかし、本当にそうなるのかどうかです。
テレビでは、料金値上げで客が減少するのではないかと話す運転手が少なくありませんでした。
中には1年は「忍」です、というような話をする人もいました。

利用者の金銭的負担の増加が汗している現場の人にきちんとつながるという構造は、実は見えていないことが少なくありません。
最近の医療費負担の増加も病院の利益や医師の処遇の改善にはあまりつながっていないのではないかと言われましたが、今回のタクシー料金はどうでしょうか。

運転手への配分比率を上昇させることが組み合わされているのかどうか知りませんが、単に料金値上げだけではなく、仕組みを考えなおすべきだろうと思います。
そうでなければ、結局は運転手の処遇改善の名目で、会社が儲け、利用者が損をするという結果になります。それは結局は運転手の損につながりかねないのです。
そういう「改悪」は少なくありません。
なぜそうなるかといえば、経済の仕組みが複雑になりすぎて、透明性や論理性を欠いてきているからです。
ですからさまざまな「悪意」や「不正」が入りやすいのです。

テレビで利用者の一人が、駅前で待っているタクシーがこんなに多いのに、何で値上げするのかと話していました。
もっともな疑問です。
規制緩和でタクシー業への新規参入は増えましたが、それがサービスや料金を下げるのではなく、むしろ運転手の稼働時間を下げることでコストアップとなり、料金を上げるというおかしな結果になっているのです。
稼働率を低下させている運転手の精神衛生にも悪影響を与えるでしょうし、第一、社会的損失だろうと私は思います。
たとえば、福島駅前にはいつもタクシーがたくさんいますが、いつも2時間くらい待つといっていました。
なんという無駄か、と私は思います。
その無駄は必ず料金に反映されます。
そうした状況を変えていくことこそが、本当の意味での経済政策であり、産業支援のはずです。
事実、仕組みや料金を工夫することで運転手の収入を大きく改善しているタクシー会社もあるようです。

儲からないから値段を上げる。
儲からないからコストを下げる。
この発想はいずれも見直さなければならないように思います。
行政と税制の関係においても当てはまることです。

コストや価格、言い換えれば「お金」で考える時代はもう20年前に終わりました。
大切なのは仕組みや価値です。

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■節子への挽歌93:家庭の中での私の位置づけにやっと気づきました

節子がいなくなったことで、家族の中における私の位置づけが一変したような気がします。もちろんこれは私の主観的な感じですが。
わが家は4人家族でした。
家族の中心は私たち夫婦、そして未婚の娘たちが同居していました。
娘たちには早く結婚して自宅を出ていってほしいと言い続けていた私たちは、節子の発病で意識が変わりました。実に勝手なものです。節子はとても複雑な気持ちだったと思いますが、娘たちが家にいることに感謝していました。
まあ、このあたりのことは書き過ぎると娘たちからクレームがつくのでやめておきます。
問題は私のことです。

節子がいた頃は、夫婦が家の中心、「主」で、娘たちは「従」、もしくは同居人だったのです。
娘たちにとってこの家は、いわば出て行くまでの臨時の住処だったのです。
極端な表現をすれば、私たち夫婦が「置いてやっていた」と言ってもいいでしょう。
ところが、節子がいなくなったら、こうした関係は逆転してしまいました。
私は主なる位置を追われてしまい、娘たちに養ってもらう存在になってしまったのです。
つまり、出ていく(彼岸に旅立つ)まで置いてもらっている存在は私になってしまったわけです。
娘たちにとっては私が「同居人」です。

もちろんこの家は私名義です。
しかし、私的所有権発想にあまり共感できていない私としてはそんなことは全く意味のないことで、事実関係として「誰が主で誰が従か」が問題です。
現状は明らかに私が「従」なのです。
だからどうしたと言うことでもないですし、従だから虐待されたり軽視されたりしているわけでもありません。
大事にされていますが、事実関係としての位置づけは一変してしまったのです。

しかし、もしかしたら「一変」したのではなく、これが以前からの事実だったのかもしれません。
節子は私の顔をたててくれて、いつも私を主たる座に置いてくれましたが、当時から私は主たる節子の付属物でしかなかったのかもしれません。
いや、そうだったのだと最近ようやく気づきました。
私がいかに節子に依存して生きていたかを、改めて痛感しています。
どうやら娘たちは、そうしたことを前から知っていたようです。
知らなかったのは私だけだったのです。

みなさん方はどうですか。

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2007/12/05

■学校って何のために必要なのでしょうか

OECDが15歳を対象にした昨年の国際的な学習到達度調査結果を発表しました。
日本はまだ下がっているようです。
調査方法によって結果はかなり大きく変わりますから、結果だけで議論すべきではありませんし、株価ではあるまいし、上がった下がったなどと一喜一憂すべき問題ではないだろうと思います。
しかし、日本の教育行政はこうした結果にかなり敏感です。
そして結局は教師や生徒が振り回されることになりかねません。

小泉・安倍政権時代に、日本の学校教育は大きく壊されたような気がします。
そのことは、たとえば岩波新書の『誰のための「教育再生」か』にていねいに書かれています。
私の愛読書「軍事問題資料」でもよく取り上げられています
そうした指摘にほとんど私も同感なのですが、
理念的なことはともかく、きわめて実務的な面でも気になることが少なくありません。
つまり「教師への管理」と「生徒への管理」が強化されたと言うことです。
「手続き」が増加し、「学力競争」が激化したということです。
子どもたちの「いじめ」のテキストが、まさに学校そのものにあるのかもしれません。
子どもの頃、いじめられてきた文部科学省の官僚たちがその仕返しをしているのかとさえ思ってしまいます。

OECDの調査を見るまでもなく、あるいは全国一斉学力テストの結果を待つまでもなく、学校教育が崩れてきていることは明白です。
学校の集まりに出てみればよくわかります。
なぜ崩れてきているのか。
それは社会が大きく変わってきているからではないかと思います。
改めて学校の役割とは何なのかを考え直す時期に来ています。
義務教育などという発想自体も見直すべきでしょう。
そもそも「学校」って何のために必要なのかも考えるべき問題です。
小中学校が無くなったら何が困るのか。誰が困るのか。
義務教育という発想は何のために、誰のために必要だったのか。

子どもを育てるのは社会です。
私たち大人の生き方が、次に続く子どもたちの生き方を決めていきます。
学力や達成度よりも、大切なものがあるはずです。
たとえば「あいさつ」をすることも、学力よりも大切なことだと私は思っています。
いま必要なのは、子どもたちの学校ではなく、大人たちの学校です。
60歳からの3年間を学校に通う義務教育制度をつくったらどうでしょうか。
私もそこに通ったら、もう少し常識が身につき性格がよくなるかもしれません。

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■節子への挽歌92:葬儀は人生で最も重要な儀式

3か月前の9月5日、節子の告別式でした。
節子は形式的なことにこだわるのが好きではなく、あまり仰々しい葬儀は好んでいませんでした。
しかし、節子の死があまりに突然だったので、私たち家族には考える間がありませんでした。
それで結局、世間的なスタイルに流されてしまったのですが、果たしてそれでよかったのかどうか、私の気持ちの中にはもやもやした気分がありました。
そんな時、安田喜憲さんの「一神教の闇」という本を読んでいたら、こんな主旨の文章に出会いました。

人がこの世での命を終えるときこそ、その人の人生の中でもっとも重要な瞬間なのではないか。その人生の重要な瞬間を全く簡素化してしまうようになってきている現代日本の世相は、どこか危ないものを含んでいる。(92頁)

そうだ、と思いました。
もやもやした気持ちをなくすことができました。
むしろ私の友人知人に知らせなかったことを少し後悔するほどです。

葬儀には予想を上回る人たちが来てくださいました。
葬儀社の人たちには100人以内にしますとお話し、訃報も節子の限られた友人たちにしか回しませんでした。
しかし、こうした情報は流れるものらしく、葬儀の日に斎場に行ってみると予想していなかった生花がたくさん届いていたのです。
その本数を知って、葬儀社の方は私が伝えていた予想人数を上回る人が来ると体制を組み替えていました。
実際に通夜には200人を超える人が来てくれました。
知るはずもない人まで来てくれました。
告別式に来てくださった方と合わせると300人近い人が来てくれたことになります。
しかも節子を知ってくださっている方がほとんどでしたので、節子も喜んでくれたと思います。
葬儀が終わった後も、遅れて訃報を知った方々がわが家まで来てくださいました。
こうして、節子の人生の最も重要な瞬間は多くの人たちに居合わせてもらえたのです。

私も、死後の葬儀はしたくないと思っていた一人です。
そろそろだなと「死期」を感じたら、節子に頼んで「お別れサロン」をやって、それで人生の幕を引き、その後は実質的に節子と2人だけの隠居にして数日で自らの意志で終わろうと考えていたのです。
人は自分の意志で死を迎えられると私は思っている人間です。
自殺という意味ではありません。念のため。
しかし、節子が先に行ってしまいましたので、その終わり方はもうできません。
どうしようかと思っていたのですが、安田さんの文章を読んで、葬儀をしてもらうことにしました。
できれば、生きているうちから少しずつ葬儀を始められればと思っています。
ただし、娘たちの負担にならないように、仕組みと資金はきちんと用意しておくつもりです。
一番大変なのは香典返しですので、それもしないですむようにしておこうと思います。

余計なことを書いてしまいましたが、結婚式よりも葬儀にこそ目を向けるべきですね。
これはもしかしたら、社会の行く末につながる話かもしれません。

節子はたくさんの人たちに送られて本当によかったです。
決して「幸せ」ではなかったですが(家族と別れることは幸せではありません)、寂しくはなかったでしょうから。
みなさんに本当に感謝しています。
ありがとうございました。

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2007/12/04

■悪魔と天使が共存する経済システム

原油価格の上昇で、さまざまな生活用品が値上がりしているようです。
最近の経済は石油の上に構築されている「油上の楼閣」のようなものですから、仕方がないのでしょうが、それにしても不安定というか、わかりにくい経済になっています。
しかし、それは実は「操作可能な経済」でもあることを見落としてはいけません。
問題は操作できるのは限られた人だけだと言うことです。

ところで、経済学の根底にある労働価値説によれば商品の価値は人間の労働によって生み出されます。
しかし経済的には商品の価値が顕在化するのはそれが売れた時です。
つまり「売れた価格」が、商品の価値を表します。
社会の実状に合わせて、的確に設計された商品は高く売れますから、それを実現した労働の経済的価値は高まります。
逆にいくら汗をかいても、社会に受け入れられない商品をつくっていては売れませんから、そのための労働は報われずに、経済的報酬をもらえなくなるおそれがあります。
同じ人の労働でも、ある時には価値を生み出し、ある時には価値を生み出さないということが起こります。

人間の労働を的確に活かし、社会的価値を生み出すことで、労働価値を創出することが企業経営の課題です。
しかし、昨今のようなグローバルに絡み合った経済システムのなかでは、外部要因によって労働の価値が左右されることも少なくありません。
そればかりか、汗をかかなくても高い価格を実現することも可能になってしまっているのです。
それが見えなくなっているのも現在の経済システムの特徴です。
いま話題の守屋事件のように、時に顕在化しますが、それは氷山の一角です。
システム自体に「悪魔」が内在しているのです。

原油価格の上昇で、さまざまな商品やサービスの価格が上昇しています。
これはそのまま、そうした商品やサービスの送り手である働く人たちの労働価値の上昇につながるわけではありません。
むしろ原油価格の上昇によるコストアップが働く人たちの労働への配分を減少させる恐れもないわけではありません。
自分たちが送り出しているもの以外の商品やサービスの価格上昇は、生活費の上昇につながり、労働を支えるコストを上昇させます。
そう考えていくと、おそらく原油価格上昇ということに限ってみても、原油に直接依存している商品やサービスだけではなく、結局はすべての商品やサービスの価格上昇の契機と理由になるはずです。

つまり「価格」というのは、さまざまな価格連鎖の中で成り立つものであり、必ずしも商品そのものの価値によって決まるものではないということです。
そうした不安定で人為的な価格に依存して労働の価値を決めることは危険です。
ましてや、そうして評価された労働価値を人間の価値と混同してはいけません。
経済的労働価値は、もしかしたら人間の価値と反比例しているのではないかという気さえします。
そういう考えを持つと、社会の風景はちょっと違って見えてきます。

原油価格の上昇による価格体系の変化をどういう方向にもっていくか。
これこそが国家の経済政策ではないかと思います。
価格上昇のポジティブな側面をしっかりと評価すべきかもしれません。
「悪魔」が内在するシステムには「天使」も当然住んでいるのです。

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■節子への挽歌91:居なくなってしまった節子への贈りものが届きます

節子がいなくなってから、私は今まで以上に怠惰になりました。
年末になると節子はいつもお世話になっていた人たちに手紙を書いたり、お礼をしたりしていました。
しかし、私にはそういう気持ちがなかなか起きてきません。
義理を欠くことになるでしょうが、どうも気持ちが前に進まないのです。
節子に代わって贈る勇気が出てきません。
節子の不在を認めることになるからです。

もう居なくなってしまった節子への贈りものが届きます。
柿やリンゴが届き、ケーキが届き、車えびが届きます。
その一つひとつが節子とどうつながっているかをよく知っているために、届くたびに涙が出ます。
そして、なぜ節子ではなくて、私が受け取らなくてはいけないのかと無念さが込み上げてきます。
送ってきてくださった方々への礼状も出せずにいます。
悲しくて書けないのです。
全くどうしようもないほどの不甲斐なさです。
人間の本質はこうしたところに現れます。
改めて我ながら、その駄目さ加減を思い知らされています。

最近は、罪の意識から敗北感、劣等感、自己嫌悪、失望感、孤立感など、ありとあらゆるマイナス感覚を一身に背負っています。
冬の寒さがそれを増幅させます。
私を温めてくれるはずの節子なしで、この冬を越すことができるでしょうか。

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2007/12/03

■模倣犯罪の刺激ではなく、模倣善行への刺激を

最近のニュースはどうも楽しくありません。
というか、何だか内容のない話ばかりのような気がします。
世の中にはもう少し意味のある事件はないのでしょうか。

もう半世紀ほど前のことですが、西ドイツであった話です。
テレビで放映された犯罪ドラマ「えり巻殺人」が評判になりました。
ところが、放映の後、1週間とたたないうちにえり巻による殺人事件が起こり、
結局8件のえり巻殺人事件が発生したのだそうです(「祝祭経済の時代」赤塚行雄)。
いわゆる「模倣犯罪」ですが、テレビの影響は強烈です。
そこで心配になるのですが、これほど毎日、殺人事件や放火事件が放映されることの影響はないのかということです。
学校のいじめ事件なども、私自身はかなり影響を与えているのではないかと思いますが、
マスコミはもう少し考えたほうが良いのではないかと思います。

ニュースというと、どうも暗い事件が多いのですが、明るい話題、感動する話題をもっと取り上げることが大切だと思います。
心洗われる善意の行為や元気が出てくる楽しい話、自分もやって見たいというようなちょっと良い話、そういう話題は社会にはたくさんあります。
非日常的なことだけが事件なのではないのです。
テレビでそうした話題がもっと取り上げられれば、それに刺激された「模倣善行」が拡がって行くような気がします。
少なくとも「明るい気分」は広がるでしょう。

テレビでできることはたくさんあります。
ニュースの取り上げ方ひとつでもいろいろな可能性があるはずです。
不正を正し、悪事を暴くのも必要ですが、
真似をしたくなるような気持ちの良い話を広げていくことも大切ではないでしょうか。

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■節子への挽歌90:「節子、そろそろ戻ってきてもいいんじゃないの」

今日は3回目の月命日です。
この3か月、ほぼ四六時中、節子のことを考えています。
誰かと会って話している時にも、会議をしている時にも、講演をしている時にも、フッと節子の顔が浮かぶのです。
これほど一人の人を思い続けていた経験は私にはありません。
若い頃に好きになった人、その中にはもちろん節子もいるのですが、これほど思い続けたことはありません。

思い続けているといろいろな情景が浮かんできますが、そこでの新しい気づきがたくさんあります。
節子との世界はどんどん広がり、思いがとまることがないのです。
なかには気づきたくないこともあります。
いやむしろ気づきたくないことのほうが多い時期もありました。
そうした時期には、早く節子のところに行って慰めてもらいたいと思うほどでした。

いくら思い続けても、その思いが実体化することがないのが残念です。
「想念」を実体化してくれる「ソラリス」の世界に行けるのであれば、どんなにうれしいことでしょう。
「ソラリス」では、主人公クリスは亡くなった妻との再会を結局は拒否してしまうのですが、いまの私であれば、再現された節子との世界に埋没してしまうでしょう。
しかし、冷静に考えれば、私のいまの「想念」が創りだす節子と、実在した節子そのものとは別人であり、実体化した節子に埋没してしまうようなことがあれば、それは節子への裏切り行為でしかありません。

想念の実体化などを願うことなく、想念の世界で節子との世界を愉しみ悲しむのが節子への誠実さであることは間違いありません。
今日は、節子への思いを抱きながら、節子と一緒にゆっくりと過ごそうと思います。
しかし、節子の写真の前で、ついつい言葉が出てきてしまいます。
「節子、そろそろ戻ってきてもいいんじゃないの」
3か月たったのに、私はまだ自立できずにいるのです。
これでは節子もなかなか成仏できないかもしれません。
実は、こんな状況を知っているかのように、昨日、福岡の加野さんから電話があり、節子さんはちゃんとあなたの横に居るのだから、気をしっかり持つようにと言われました。
たしかにそんな気もするのですが、まだ未練がましくうろたえ続けているわけです。
困ったものです。

彼岸への1泊2日ツアーなどはないものでしょうか。

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2007/12/02

■再犯防止できない刑罰制度のジレンマ

大阪の郵便局で男が現金を奪い、追跡した人を包丁で刺し重軽傷を負わせた事件の犯人が「刑務所を出たばかりで、年を越す金がなかった」と供述しているという報道がありました(11月27日の各紙)。
それに関連して、読売新聞に次のような記事がありました。

法務省が再犯者の実態を取り上げた07年版の犯罪白書でも、再犯件数の多さが指摘されており、更生の難しさが改めて浮き彫りになった。
白書によると、昨年まで過去58年間の有罪確定者から無作為抽出した100万人のうち再犯者の割合は28・9%だったが、犯罪件数をみると、調査対象の約168万件の57・7%を再犯者による犯罪が占めた。(2007年11月27日 読売新聞)
再犯比率の高さには驚きます。
これに関連して、思い出すのが、私が最近はまっているフーコーの主張です。
フーコーは「監獄の歴史」のなかで、有名なパノプティコンを題材に現代社会の本質を見事に読み解いていますが、監獄に関しても次のようなことを主張しています。
刑罰の主要な目的は違法行為のつぐないをさせることであるが、それは同時に犯罪者を改心させるということを補足的な目標としている。そして、その装置としてつくられたのが「監獄」だが、監獄はむしろ犯罪を再生産する装置になっている。
フーコーは、監獄は法律違反者を拘禁し、矯正しているようにみえるが、実際はその厳しい行刑の技術を通じて危険な「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性をもつものとして社会に循環させている、というのです。
そして、彼は監獄制度は失敗だったといいます。
にもかかわらず、監獄がなくならないのは、それが、刑罰制度の必要性を正当化する「非行性」の概念と存在を生み出し、監獄を含めた刑罰制度の存在を正当化する基盤を、自らの効果として産出しているからだというのです。
あまりにも粗雑な紹介なのでわかりにくいかもしれませんが、納得したい方はぜひ「監獄の歴史」、もしくはフーコーの解説書をお読みください。
私はとても納得できます。
いまの刑罰制度が守ろうとしているのは何なのかも垣間見えてくるような気がします。
法曹界はもっと真剣に「再犯問題」を考えるべきではないかと思います。
それは何も刑事事件に限った話ではありません。
民事も商事もです。もちろん政治事件もです。
しかし、再犯防止に成功すれば、自らの職を失いかねませんから、彼らは再犯防止どころか、再犯奨励に熱心になってしまうのでしょうか。
ここの司法のジレンマが存在します。

詳しくは記憶していないのですが、今月初めに父親の暴力から家族を守るために父親を殺害した息子の裁判が報道されていました。
とても家族思いの評判の良い息子だったため、その地域で減刑嘆願運動が起こり、それもあって確か懲役15年の求刑に対して、半分くらいの判決が出たという記憶があります。
嘆願運動をしていた人たちは刑が軽くなって喜んでいましたが、私はこの事例は執行猶予にすべきだと思いました。
家族を支えてきたその息子が収監されることで、彼も家族もおそらく良い方向には行かなくなると思うからです。
彼のような場合は再犯の可能性は限りなくゼロですから、矯正の必要はないでしょうし、むしろ彼が守ったことをこそ守る判決でなければいけないように思います。
そうしたところに、日本の裁判の脱価値性を感じてしまいます。

監獄に限りませんが、こうした「自己準拠的な構造」をもつ制度は他にもたくさんあります。
いや、そもそも近代文化は、産業のジレンマに象徴されるように、そうしたジレンマをかかえたものなのだろうと思います。
再犯が多いことの意味はもっと真剣に考えなければなりません。
法曹界の人たちはそんなことは考えないでしょうから、社会問題にしていかなければいけないテーマかもしれません

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■節子への挽歌89:「もしもピアノが弾けたなら」

11月3日に献花台の前で、西川さんが節子にハーモニカーを聴かせてくれてから、もう1か月たちました。
その西川さんから、その時に私と会話したことの返事が返ってきました。
西川さんは時空を越えて会話をする人なのだと気がつきました。
西川さんはこう書いてきました。

お庭で演奏させていただいたときに、佐藤さんが、
「表現できる人」、または「表現方法を持っている人」、または「表現する人」
「…はいいですね」と言われたのです。
そのとき、佐藤さんの言葉に何の反応もしなかったと思います。
演奏直後は、どっかに行っていた私の意識が現世(!)に戻ってくるのに
ちょっと時間がかかって、ぼお~~っとしているからなのと、
「あれ、佐藤さんも表現者なんだけどな…」と思ったからでした。
たぶん、私は「表現技術を持っている人」と言ったような気がします。
「もしもピアノが弾けたなら」という西田敏行の古い歌がありますが、その時思い出したのが、その歌だったからです。
http://www.youtube.com/watch?v=zJOLvValJ64

もしもピアノが 弾けたなら
思いのすべてを 歌にして
君に伝えることだろう
雨の降る日は 雨のよに
風吹く夜には 風のように
晴れた朝には 晴れやかに

だけど僕には ピアノがない
君に聞かせる 腕もない
心はいつでも 半開き
伝える言葉が 残される

この歌詞の気持ちは、まさに私の気持ちでした。
詩や言葉や行動では伝えられない気持ちというものがあります。
音楽は、人の心から直接飛び出し、人の心に直接響きます。
私が「表現技術」といったのは、「楽器を演奏できる人」という思いでした。
しかし、西川さんが言うように、人はみな「表現者」です。
ピアノを弾けなくとも、心を響かせることはできたはずです。
ピアノが弾けないことを口実に、言い訳している自分に気づきました。

それにしても、西川さんの会話はまさにスローライフです。
対馬の村の対話もきっとそうだったのでしょうね。
見習わなければいけません。
節子の返事を急ぎすぎて期待している自分に気づきました。
来世で会う時に返事をしてもらえばいいのですね。
節子は必ず返事をしてくれるはずですから。

そういえば、仏教の時間感覚はとてもスローライフです。
弥勒が衆生を救いに来るのは、56億7千万年後なのですから。

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2007/12/01

■守屋非難の前に、先ず自らの身を正したい

守屋前防衛次官の逮捕により、防衛省の実態が少しずつ見えてきました。
その「金銭汚染」の広がりは私が思っていた以上でした。
彼の周りにいた人たちはほぼ全員共犯と言っていいでしょう。
美鳩会のメンバーも、法的にはともかく、道義的には共犯を免れないはずです。

テレビ報道で、守屋問題の感想を訊かれた防衛省職員が、国民と同じ気持ちです、と応えていました。
このブログで何回も書いているように、組織の仲間の犯罪は組織全員の犯罪だと私は思いますから、あなたも「仲間」でしょうと言いたい気分でした。
こうした「まじめな職員」が、守屋事件を支えているのです。
その典型例が、ナチスのユダヤ人ジェノサイドです。

守屋さんはおそらく氷山の一角でしかありません。
それに何も守屋時代に始まったことではないでしょう。
私の認識では、あるいは体験では、少なくとも25年前から存在していたことです。
もちろん程度は今とは大きく違いますが、構造的にはなんら変わっていないのではないかと思います。
国際関係および日米関係と言う側面はかなり変わっているでしょうが。

そうしたことを垣間見ながら、何もしなかった自分を恥じなければいけませんし、恥じています。
もしそうしたことすべてに口を出していたら、時間がいくらあっても足りないという言い訳はありますが、所詮はそれは言い訳でしかありません。
「時間がない」はいかなる場合にも正当化の理由にはならないからです。
それに、このブログに最近投稿してくれた高校生が言うように、そんな事をしても何も変わらないという「小賢しさ」が私にもあったかもしれません。

これからは、「おかしいことはおかしい」という姿勢をもっと大事にしようと思います。
そうでなければ、私も結局は守屋さんと同じ仲間になりかねませんので。
守屋さんを非難する前に、先ずは私たちそれぞれが身を正すことが必要かもしれません。

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■節子への挽歌88:当事者の身勝手なわがまま

実にわがままなのですが、今の私はコンプレックスの塊なのかもしれません。

先日、犯罪被害者の方の話がテレビで紹介されていましたが、その方は娘さんを殺害され、そのことで奥さんが精神的に病んでしまった結果、自殺してしまったそうです。
その方が、妻は、娘を殺された後、外部からの連絡も少なくなり、孤立感を高めたようだ、というような話をされていました。
その言葉に私もハッとしました。

節子の葬儀の後、たくさんの人が弔問にきたり、電話をかけてきたりしてくれました。
今もなお、献花に来てくれる人がいます。
誰かが来てくれるということは、節子のことが忘れられていないということです。
とてもうれしいことです。

しかし、毎日誰かが来るわけではありません。
実に勝手なことなのですが、誰も来ないと見捨てられた気がするのです。
相手の人は、電話していいものかどうか、あるいはわざわざ献花にいって迷惑ではないか、などとむしろ遠慮しているケースもあります。
実際に、来るのはかなり勇気が必要だったといった方もいました。
来ることばかりが、節子のことを思っているわけではありません。
しかし、その方がどんなに思っていてくれていても、当事者にとっては実感できません。
ですから実際の活動が途切れると孤独感が生まれるのです。

病気で妻を亡くした私の場合ですらそうですから、犯罪被害者の場合はもっと深刻なはずです。
声をかけるほうも難しいでしょうし、家族の孤立感も大きいはずです。
その犯罪被害者の奥さんの気持ちがよくわかります。
わがままといわれるでしょうが、当事者はそんなものなのです。

みんなそれぞれに問題をかかえています。
ですからよその家族の不幸ばかりを気にしていることはできないことは当然です。
しかし、被害者にしろ遺族にしろ、当事者はどうしても自分の不幸を中心に考えてしまうのです。
その温度差がどうしても出てきます。
孤立感が高まりだすととまらなくなる恐れもあるのです。
最近は、そうしたことを避けるためのセルフヘルプグループも増えてきていますが、それだけではたぶん問題は解決しません。
これは当事者になって初めてわかることかもしれません。

しかし、当事者の「わがままさ」はこれにとまりません。
来ないと薄情なと思うのですが、来たら来たでまたわずらわしいのです。
みんなに気にしていてほしいけれど、気にしすぎてはほしくない。
実に身勝手なわがままさです。

以前も書きましたが、どう対処しようと当事者は満足できないのです。
困ったものです。
私の場合は、しかし理想的な対応をしてくれた人が何人かいます。
いつかその方法を書きたいと思いますが、まだ今は書くことを躊躇します。

できるだけたくさんの人に、節子のことを時々思い出してほしいと思っています。
すごく自分勝手な願いなのですが、節子のために私がしてやれる数少ないことの一つだからです。
当然の事ながら、私はほぼ四六時中、節子のことを思い続けています。
今の私には、それが生きる意味の一つなのです。

そして同時に、
坂出市の事件も、光市の事件も、
友人知人の逝ってしまった家族のことも、
今、辛い現実に立ち向かっている友人たちのことも、
節子への語りかけの中で思いを馳せ、節子と話すようにしています。
こうした思いを馳せていることの表現の仕方は、
節子が逝ってしまった後、友人知人から教えてもらったことです。

相手に伝わらないままで、思いと馳せ続けることこそ大事だとわかっているのですが、
自分のことになると、まだそれを実感したいという身勝手さが首をもたげます。
そんなわけで、頭と気持ちはなかなか一致しませんが、
当事者の身勝手なわがままさから早く抜け出したいと思っています。

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