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2007/12/05

■節子への挽歌92:葬儀は人生で最も重要な儀式

3か月前の9月5日、節子の告別式でした。
節子は形式的なことにこだわるのが好きではなく、あまり仰々しい葬儀は好んでいませんでした。
しかし、節子の死があまりに突然だったので、私たち家族には考える間がありませんでした。
それで結局、世間的なスタイルに流されてしまったのですが、果たしてそれでよかったのかどうか、私の気持ちの中にはもやもやした気分がありました。
そんな時、安田喜憲さんの「一神教の闇」という本を読んでいたら、こんな主旨の文章に出会いました。

人がこの世での命を終えるときこそ、その人の人生の中でもっとも重要な瞬間なのではないか。その人生の重要な瞬間を全く簡素化してしまうようになってきている現代日本の世相は、どこか危ないものを含んでいる。(92頁)

そうだ、と思いました。
もやもやした気持ちをなくすことができました。
むしろ私の友人知人に知らせなかったことを少し後悔するほどです。

葬儀には予想を上回る人たちが来てくださいました。
葬儀社の人たちには100人以内にしますとお話し、訃報も節子の限られた友人たちにしか回しませんでした。
しかし、こうした情報は流れるものらしく、葬儀の日に斎場に行ってみると予想していなかった生花がたくさん届いていたのです。
その本数を知って、葬儀社の方は私が伝えていた予想人数を上回る人が来ると体制を組み替えていました。
実際に通夜には200人を超える人が来てくれました。
知るはずもない人まで来てくれました。
告別式に来てくださった方と合わせると300人近い人が来てくれたことになります。
しかも節子を知ってくださっている方がほとんどでしたので、節子も喜んでくれたと思います。
葬儀が終わった後も、遅れて訃報を知った方々がわが家まで来てくださいました。
こうして、節子の人生の最も重要な瞬間は多くの人たちに居合わせてもらえたのです。

私も、死後の葬儀はしたくないと思っていた一人です。
そろそろだなと「死期」を感じたら、節子に頼んで「お別れサロン」をやって、それで人生の幕を引き、その後は実質的に節子と2人だけの隠居にして数日で自らの意志で終わろうと考えていたのです。
人は自分の意志で死を迎えられると私は思っている人間です。
自殺という意味ではありません。念のため。
しかし、節子が先に行ってしまいましたので、その終わり方はもうできません。
どうしようかと思っていたのですが、安田さんの文章を読んで、葬儀をしてもらうことにしました。
できれば、生きているうちから少しずつ葬儀を始められればと思っています。
ただし、娘たちの負担にならないように、仕組みと資金はきちんと用意しておくつもりです。
一番大変なのは香典返しですので、それもしないですむようにしておこうと思います。

余計なことを書いてしまいましたが、結婚式よりも葬儀にこそ目を向けるべきですね。
これはもしかしたら、社会の行く末につながる話かもしれません。

節子はたくさんの人たちに送られて本当によかったです。
決して「幸せ」ではなかったですが(家族と別れることは幸せではありません)、寂しくはなかったでしょうから。
みなさんに本当に感謝しています。
ありがとうございました。

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