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2007/12/31

■節子への挽歌120:節子、とうとう今年は会えずじまいでしたね

節子
今年も終わりです。

今日は実は大変な1日でした。
節子が呼びに来たのかなと思ったほどです。
朝起きたら、めまいと吐き気で、動けなくなりました。
ホームページに書きますが、
何とか落ち着きました。
生まれて初めての体験でした。

もうじき除夜の鐘が鳴り出すでしょう。

今年は私たち夫婦にとっては忘れられない年になりました。
しばらくの別れを余儀なくされてしまった不条理さをまだ受け入れられずにいますが、
今もなお、節子と共に生きていることはかなり実感しだしています。
矛盾した言い方でしょうが、それが正直な気持ちなのです。

あなたと会えなくなってから、たくさんのことに気づきました。
毎晩、早朝に目が覚めます。
そして1時間くらい、あなたと静かに会話します。
時には自然に声が出ることもあります。
そこであなたからたくさんのことを学んでいます。
あなたが私に残してくれたことは、本当にたくさんあります。
ありがとう。感謝しています。

節子と結婚しなかったら、今の私とは全く違った私になっていたでしょう。
今の私は完全に節子によって育て上げられたといえるでしょう。
そしてその生活の基盤をつくったのもあなたです。
わが家の文化は、良いところも悪いところも、すべてが節子の作品です。
節子がいなくなって、あなたの存在の大きさを感じます。

節子がいなくなってから、私はずっとめそめそしています。
会う人たちは、予想に反して元気で明るいと安堵しますが、元気で明るく、めそめそしているわけです。
娘たちは2人とも私とは別のショックを受けていますが、若い分だけ対応も柔軟のようです。
心の底は私には見えませんが、彼らはとてもよくしてくれます。
これも間違いなく節子の文化のおかげです。
家庭の文化は、結局、女性が創るものだとつくづく思います。

この挽歌も120回になりました。
私にとっては、この挽歌を書くことが一つの支えでもあるのですが、
うれしいことに(そして少し気恥ずかしいことに)読みつづけてくれる人がいるのです。
あなたのことを知っている人も多いですが、私たちとは面識のない人まで読んでくれています。

4か月たつのに、今も節子の周りには花が絶えません。
一昨日、ジュンの知り合いが、わざわざ富山からきれいなチューリップをたくさん持ってきてくれました。
彼はあなたの花好きのことを知らないだろうに、どうして花を持ってきてくれたのか不思議です。

明日から新年。
朝はいつものように、一緒に初日の出を見たいと思います。

節子
本当にありがとう。

また会えるのを楽しみにしています。
本当は今すぐにでも会って抱きしめたいのですが。

除夜の鐘が鳴り出しました。

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