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2007/12/11

■節子への挽歌100:百か日

今日は節子が旅立ってから100日目です。
正式には、百か日法要を行うのですが、今回はお寺ではなく、自宅で節子を偲びました。
百か日は「卒哭忌」ともいうそうです。
「哭」は泣き叫ぶこと、「卒」は終わるという意味ですので、泣き明かしていた悲しみを卒業するという節目です。
しかし、そうプログラム通りに行くものではありません。
母親を亡くした娘たちの辛さや悲しみなどほとんど意に介することなく、この100日間、自分の悲しさと寂しさを正直に出し続けてきました。
そのおかげで、その悲しさと寂しさを日常化することができました。
娘たちに心から感謝しています。
節子がいなくなってから、実はどう暮らしていこうかという相談も娘たちには全くしませんでした。
ただ一言、「家庭のことはすべて任せて、私は隠居する」と宣言しただけです。
娘たちは、今は何を言ってもだめだと思ったのか、素直に受け入れてくれました。
そろそろ、しかし私もこれからのことを考えなければいけませんし、節子が残していったものを整理しなければいけません。
どこかから借金証書や隠し財産が出てくる可能性は、わが家の場合は皆無ですが、すべてをそのままにしておくこともできません。
勇を鼓して、私も前に進まなければいけません。

しかし早いもので、もう100日です。
この調子だと私が節子のところに行ける日も、あっという間に来るかもしれません。
ですから、私自身の身の回りの整理もしておくことも考えなければいけません。
早くまた節子に会いたいと、心の底から思います。

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