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2007/12/27

■誰にとっての効率

年末の風物詩はいろいろありますが、銀行のATMの行列もそのひとつかもしれません。
以前も書きましたが、本当に不思議な風景です。
数年後には、どうしてみんな黙って並んでいたのだろうかと思うことになるのではないかなと思いますが、いまは寒い中を何の疑問も感ずることなくみんな並んでいます。
もっともATMに限らず、銀行も郵便局もいまや待つのが常識のようです。
その原因のひとつは、さまざまな「保護条例」ができたことでしょうが、ともかく社会から「信頼」が失われたことです。
信頼関係の弱まりは、「取引コスト」を高め、効率性を阻害します。

その一方で、時代は効率性を要求しています。
物事の判断基準において、効率は大きなウェイトを占めています。
しかしよく考えてみると効率性は、誰にとっての効率性かで内容は変わってきます。
信頼関係が弱まったことで、効率性を享受している人もいるのです。
そこがややこしいところです。

銀行の最近の仕組みは、利用者の効率性や安全性ではなく、銀行の効率性や安全性が優先されています。
利用者は手数料まで取られて、長い時間待たされる。
仮に1人10分から30分としても、全国で並んでいる人数を掛け合わせたら膨大の無駄が発生しているはずです。

銀行にとっては無駄はなくなっているかもしれませんが、社会の無駄という視点で考えたらどうでしょうか。
国民がATMの前で待つ無駄な時間を合算した膨大なロスと銀行が手に入れた効率の総計とでは、どちらが大きいでしょうか。
もし前者が大きければ(間違いなく大きいと思います)、社会的な損失というべきです。
なぜそれが問題にならないのか。
銀行にとっての効率性と安全性だけで考えていいのでしょうか。

双方が満足できる方策はあるのでしょうか。
機械操作なのですから、勤務時間と関係なく、手数料は365日24時間一律とすれば行列はかなり解消されますし、銀行単位のATMではなく共有化すればいいだけの話です。
なぜそれができないのか。
それは、昨今の「食品偽装問題」と同じように、問題の設定が間違っているからです。
こうした事例が多すぎます。

ちなみに、並ぶことは無駄なことではないと言う人もいるかもしれません。
たしかに宝くじの発売前に並んだり、ディズニーランドで並んだり、並ぶことが好きな人もいます。
それに、日本の教育は、並ぶことを大事にしてきていますから、並ぶことへの抵抗はなくなってきているのかもしれません。
でも私は並ぶのが好きではありません。
みなさんはどうでしょうか。
並ぶことに慣れてしまう恐ろしさを思い出さねばなりません。

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