■節子への挽歌111:私は「理想の男性」だったのですね
節子 あなたの笑顔が見られないのがとてもさびしいです。
そちらでも笑っていますか。
さびしくても悲しくても、笑わないとだめですよ。
私は、そうしています。一人でいる時にはちょっと涙が出てしまいますが。
今日は、節子にとって私が「理想の男性」だったという話です。
保谷でお近くだったNさんから手紙が来ました。
お互いに会おうといっていたのになかなか会えずに、節子も残念がっていたNさんです。
Nさんも無理をしてでも会えばよかったと悔やんでいました。
そのNさんの手紙にこんな文章がありました。
節子さんは素敵な笑顔で主人は理想の男性とよく言っていました。
なかなか言えることではないので、すばらしいご夫婦だなと思っておりました。
節子はいろいろな人に私のことや家族のことを話していたようですね。
私が会ったことのない人から、節子さんから話を聞いていましたという人が少なからずいるので驚きました。
それに節子は、多くの人に「家族にとても感謝している」と言っていたようですね。
だめな夫なのにほめてくれてうれしいです。
あなたはいつも私に、「あなたは家族のことをほめないわね」と注意していました。
私が家族にはとても厳しかったことが、あなたには少し不満だったのでしょうね。
でも私が本当に家族を愛していたのを一番知っていたのもあなたでした。
誰よりも、自分が愛されていることを知っていてくれました。
あなたにとって、実は私は「理想の男性」ではなかったことはよく知っています。
体育会系でもないし、あなたが好きなハンサムでもないし、自分勝手で時々「切れてしまう」こともあるし、第一、仕事ばかりしているのに収入はないし、頑固だし、その上、うっとうしいほどに自分(節子)を愛しているし、自動車の運転もしないし、まぁ書き出したらきりがないほど節子の嫌いなところがあったからね。
にもかかわらず、節子がNさんに私を「理想の男性」と言い切ってくれていたことを知ってうれしいです。
もっとも娘のジュンは、お母さんは見栄っ張りだったからそう言ってたんだよ、と言っています。
まあ、それが真実かもしれません。
しかし、「理想の男性」とも思っていたことも事実ですよね。
そう確信しています。
いうまでもないですが、節子は、私には正真正銘「理想の妻」でした。
まぁ、「理想」というのはちょっと視点を変えると「最悪」ともいえるのかもしれませんが。
ソクラテスの悪妻の話が有名ですが、「理想の妻」も「最悪の妻」も、同じことかもしれないとこの頃、ようやく気が付きましたが、でもまあ、私たちは「理想の夫婦」だったのかもしれません。
実はそう手紙で書いてきてくれた人が一人ならず何人かいるのです。
とてもとてもうれしいことです。
私の友人たちは、私のことをあんまりほめずに、大ばか者とか変わり者とかいう人が少なくないのですが、節子は友だちに恵まれていますね。
私はあんまり恵まれていないようです。
私の良さをわかってくれたのは節子だけかもしれません。
2人の娘も全くわかっていませんし。
困ったものです。
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