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2007/12/05

■学校って何のために必要なのでしょうか

OECDが15歳を対象にした昨年の国際的な学習到達度調査結果を発表しました。
日本はまだ下がっているようです。
調査方法によって結果はかなり大きく変わりますから、結果だけで議論すべきではありませんし、株価ではあるまいし、上がった下がったなどと一喜一憂すべき問題ではないだろうと思います。
しかし、日本の教育行政はこうした結果にかなり敏感です。
そして結局は教師や生徒が振り回されることになりかねません。

小泉・安倍政権時代に、日本の学校教育は大きく壊されたような気がします。
そのことは、たとえば岩波新書の『誰のための「教育再生」か』にていねいに書かれています。
私の愛読書「軍事問題資料」でもよく取り上げられています
そうした指摘にほとんど私も同感なのですが、
理念的なことはともかく、きわめて実務的な面でも気になることが少なくありません。
つまり「教師への管理」と「生徒への管理」が強化されたと言うことです。
「手続き」が増加し、「学力競争」が激化したということです。
子どもたちの「いじめ」のテキストが、まさに学校そのものにあるのかもしれません。
子どもの頃、いじめられてきた文部科学省の官僚たちがその仕返しをしているのかとさえ思ってしまいます。

OECDの調査を見るまでもなく、あるいは全国一斉学力テストの結果を待つまでもなく、学校教育が崩れてきていることは明白です。
学校の集まりに出てみればよくわかります。
なぜ崩れてきているのか。
それは社会が大きく変わってきているからではないかと思います。
改めて学校の役割とは何なのかを考え直す時期に来ています。
義務教育などという発想自体も見直すべきでしょう。
そもそも「学校」って何のために必要なのかも考えるべき問題です。
小中学校が無くなったら何が困るのか。誰が困るのか。
義務教育という発想は何のために、誰のために必要だったのか。

子どもを育てるのは社会です。
私たち大人の生き方が、次に続く子どもたちの生き方を決めていきます。
学力や達成度よりも、大切なものがあるはずです。
たとえば「あいさつ」をすることも、学力よりも大切なことだと私は思っています。
いま必要なのは、子どもたちの学校ではなく、大人たちの学校です。
60歳からの3年間を学校に通う義務教育制度をつくったらどうでしょうか。
私もそこに通ったら、もう少し常識が身につき性格がよくなるかもしれません。

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