■読者へのお礼と自己反省
今年は私にとっては世界が一変してしまった年でした。
私に生きる意味を与えてくれていた最愛の妻が彼岸に行ってしまったのです。
しばらくは立ち上がれませんでしたが、このブログに「妻への挽歌」を書き続けたおかげで、気を鎮めることができました。
そんなわけで、一時はこのブログも挽歌一色になってしまいました。
しかし、妻との別れは生きるということの意味を改めて考える契機になりました。
そして、その生きるという視点から世界を見ることの意味も改めて知りました。
ゾーエとビオスという小難しい言葉を使って書いたことがありますが、挽歌と時評の2本立てで続けてきたこのブログのおかげで、自分の世界に埋没せずにすんだような気がします。
そして全く知らない人が、時評から挽歌に入り、読んでくださっていることも知りました。
また私たちを知っている人も、読んでくださり、メールや電話もくれるのです。
空虚になった自分の心の底に向けて書き出した挽歌が、こうしていろいろな人たちに読んでもらっていることに感謝しています。ありがとうございます。節子の言葉を使えば、「感謝感謝」です。
そうしたみなさんのおかげで、私たち夫婦はいまなお一緒に生きているという感じを持てるようになってきました。
しかし、一方の時評はどうでしょうか。
相変わらず言葉が汚く、感情的で独善的、時に読者を不快にさせているのだろうと思います。
実は、それでも最近は読み直してから掲載するようにしています。
ゾーエの視点を大事にする姿勢のために、原文はもっと激烈で社会的でないのです。
そうした私の直情性や独善性を戒める節子は、もういません。
自分で戒めるしかないのです。
戒めるべきは、表現だけではありません。
思い上がりや我田引水、浅はかな判断や知ったかぶり。
そうしたことは私自身を貶めるだけであり、そう問題ではないでしょう。
最大の問題は、読者の高校生が問いかけてきたように、自分はなにをやるのか、です。
来年は活動を再開しようと思います。
4年ぶりになるでしょうか。
気力も体力も半分に落ちていますので、何ができるかわかりませんが、考えるつもりです。
春からは毎月1回、土曜日の午後にサロンを始めようかと思います。
時評をテーマにした、しかしテーマのないサロンです。
またこのブログで、あるいはCWSコモンズのお知らせのコーナーでご案内します。
お会いしたことのない人と会えるのを楽しみにしています。
ちなみに1月4日の午後1~3時、湯島のオフィスにいる予定です。
よろしかったらお立ち寄りください。
どなたも、もちろん全く面識のない方も、大歓迎です。
湯島のオフィスの地図は私のホームページに出ています。
みなさんにとって、新しい年が良い年でありますように。
ありがとうございました。
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