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2007/12/02

■節子への挽歌89:「もしもピアノが弾けたなら」

11月3日に献花台の前で、西川さんが節子にハーモニカーを聴かせてくれてから、もう1か月たちました。
その西川さんから、その時に私と会話したことの返事が返ってきました。
西川さんは時空を越えて会話をする人なのだと気がつきました。
西川さんはこう書いてきました。

お庭で演奏させていただいたときに、佐藤さんが、
「表現できる人」、または「表現方法を持っている人」、または「表現する人」
「…はいいですね」と言われたのです。
そのとき、佐藤さんの言葉に何の反応もしなかったと思います。
演奏直後は、どっかに行っていた私の意識が現世(!)に戻ってくるのに
ちょっと時間がかかって、ぼお~~っとしているからなのと、
「あれ、佐藤さんも表現者なんだけどな…」と思ったからでした。
たぶん、私は「表現技術を持っている人」と言ったような気がします。
「もしもピアノが弾けたなら」という西田敏行の古い歌がありますが、その時思い出したのが、その歌だったからです。
http://www.youtube.com/watch?v=zJOLvValJ64

もしもピアノが 弾けたなら
思いのすべてを 歌にして
君に伝えることだろう
雨の降る日は 雨のよに
風吹く夜には 風のように
晴れた朝には 晴れやかに

だけど僕には ピアノがない
君に聞かせる 腕もない
心はいつでも 半開き
伝える言葉が 残される

この歌詞の気持ちは、まさに私の気持ちでした。
詩や言葉や行動では伝えられない気持ちというものがあります。
音楽は、人の心から直接飛び出し、人の心に直接響きます。
私が「表現技術」といったのは、「楽器を演奏できる人」という思いでした。
しかし、西川さんが言うように、人はみな「表現者」です。
ピアノを弾けなくとも、心を響かせることはできたはずです。
ピアノが弾けないことを口実に、言い訳している自分に気づきました。

それにしても、西川さんの会話はまさにスローライフです。
対馬の村の対話もきっとそうだったのでしょうね。
見習わなければいけません。
節子の返事を急ぎすぎて期待している自分に気づきました。
来世で会う時に返事をしてもらえばいいのですね。
節子は必ず返事をしてくれるはずですから。

そういえば、仏教の時間感覚はとてもスローライフです。
弥勒が衆生を救いに来るのは、56億7千万年後なのですから。

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