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2007/12/06

■コストや価格で考える時代はもう20年前に終わりました

久しぶりにタクシー料金が値上がりしました。
私はタクシーにはあまり乗りませんが、乗るとよく運転手と話をします。
とくに地方に行った時には比較的長い時間乗りますので、いろいろとお話を聞くのですが、汗して働いている運転手への料金の配分の低さが気になっていました。
ですから、運転手の収入を上げるための値上げは賛成です。
しかし、本当にそうなるのかどうかです。
テレビでは、料金値上げで客が減少するのではないかと話す運転手が少なくありませんでした。
中には1年は「忍」です、というような話をする人もいました。

利用者の金銭的負担の増加が汗している現場の人にきちんとつながるという構造は、実は見えていないことが少なくありません。
最近の医療費負担の増加も病院の利益や医師の処遇の改善にはあまりつながっていないのではないかと言われましたが、今回のタクシー料金はどうでしょうか。

運転手への配分比率を上昇させることが組み合わされているのかどうか知りませんが、単に料金値上げだけではなく、仕組みを考えなおすべきだろうと思います。
そうでなければ、結局は運転手の処遇改善の名目で、会社が儲け、利用者が損をするという結果になります。それは結局は運転手の損につながりかねないのです。
そういう「改悪」は少なくありません。
なぜそうなるかといえば、経済の仕組みが複雑になりすぎて、透明性や論理性を欠いてきているからです。
ですからさまざまな「悪意」や「不正」が入りやすいのです。

テレビで利用者の一人が、駅前で待っているタクシーがこんなに多いのに、何で値上げするのかと話していました。
もっともな疑問です。
規制緩和でタクシー業への新規参入は増えましたが、それがサービスや料金を下げるのではなく、むしろ運転手の稼働時間を下げることでコストアップとなり、料金を上げるというおかしな結果になっているのです。
稼働率を低下させている運転手の精神衛生にも悪影響を与えるでしょうし、第一、社会的損失だろうと私は思います。
たとえば、福島駅前にはいつもタクシーがたくさんいますが、いつも2時間くらい待つといっていました。
なんという無駄か、と私は思います。
その無駄は必ず料金に反映されます。
そうした状況を変えていくことこそが、本当の意味での経済政策であり、産業支援のはずです。
事実、仕組みや料金を工夫することで運転手の収入を大きく改善しているタクシー会社もあるようです。

儲からないから値段を上げる。
儲からないからコストを下げる。
この発想はいずれも見直さなければならないように思います。
行政と税制の関係においても当てはまることです。

コストや価格、言い換えれば「お金」で考える時代はもう20年前に終わりました。
大切なのは仕組みや価値です。

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