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2007/12/26

■節子への挽歌115:言葉が見つかりません

節子 
先日、自宅建設の時にお世話になったKさんがカレンダーを持ってきてくれました。
節子のことを話しました。
沈黙があった後、何を話したらいいのかわかりません、と言いました。
Kさんらしい正直な反応です。
Kさんに限りませんが、手紙でもメールでも電話でも、節子のことを知っている人は一瞬たじろいでしまいます。
それがわかるので、私自身も話す時に「たじろぎ」ます。

節子も会ったことのある私の友人にも訃報のメールをしました。
あなたも知っているKさんからのメールはこうです。
社交ベタな小生に、
「お痩せになられましたね」と声を掛けてくれたことがあります。
にもかかわらず、私は無愛想に「そんなことも無いと思いますよ」と返答したように思います。
私の不器用さに手を差しのべてくれたに違いないのに、
と瞬時に気がつきながらもフォローの言葉も思い浮かばなかったあの時の自分を思い出しました。
彼岸の奥様に
「すんません。気持ちはあるんですが、無作法で。上手く社交が出来ないだけなんです。
実は、気持ちよく迎えて戴いたことが、とても嬉しいのですが、喜びの感情表現が何故か恥ずかしいのです」
と改めてお詫び申し上げます。
Kさんのことを節子といろいろと話したことを思い出します。
彼がこんなふうに考えていたとは思ってもいませんでしたね。

Mさんは覚えていますか。覚えていますよね。
Mさんからは、こんな褒め言葉です。
初対面の他人をもホッとさせる、何とも穏やかな雰囲気をお持ちの方でした。
爽やかな印象をお与えいただきましたことを、未だにはっきりと覚えています。

他にもいろんな人が温かな言葉を添えてきてくれています。
でもメールが届くのは、みんなしばらく時間がたってからです。
どう書いていいかわからないのですよ、きっと。

年が明けたら私の知人たちから年賀状がまた届くでしょう。
私がまだ知らせていない知人友人も少なくないからです。
その人たちにどう伝えたらよいか。
例年のような年始メールも出さないつもりです。
私のホームページには節子のことを書こうと思っていますが、どう書けばいいか、迷っています。

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