■節子への挽歌95:「いい人」でもあり「いい女」でもありました
節子は「いい人」でしたが、私にはそれ以上に「いい女」でした。
節子に「修は女を知らない」と言われていたように、どんな人が「いい女」なのか、私には見分ける力はありませんが、節子を思い出すたびに、「いい女だった」と言いたくなる気分なのです。
それに、「いい人」と言ってしまうと、なんだか軽くて、それこそ可もなく不可もなし、という感じですので、やはりここは、「いい女だった」と言いたくなるわけです。
立場が逆だったらどうでしょうか。
節子は私のことを「いい男だった」とは絶対に言わないでしょう。
そこが私と節子の違いかもしれません。
私は節子にとっては、きっと「いい人だった」で終わってしまうような気がします。
でも、「いい人だった」といわれるのは、あんまり名誉ではないですね。
そんな気がします。
ですから、私が節子のことを「いい女だった」と思っていることを、節子はきっと喜んでいるでしょう。
生前に、この言葉を聞かせておきたかったと思います。
「いい女房だ」とは何回も言いましたが。
「いい人」「いい女房」「いい女」
「いい人」「いい旦那」「いい男」
みなさんたちはいかがですか。
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