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2007/12/03

■節子への挽歌90:「節子、そろそろ戻ってきてもいいんじゃないの」

今日は3回目の月命日です。
この3か月、ほぼ四六時中、節子のことを考えています。
誰かと会って話している時にも、会議をしている時にも、講演をしている時にも、フッと節子の顔が浮かぶのです。
これほど一人の人を思い続けていた経験は私にはありません。
若い頃に好きになった人、その中にはもちろん節子もいるのですが、これほど思い続けたことはありません。

思い続けているといろいろな情景が浮かんできますが、そこでの新しい気づきがたくさんあります。
節子との世界はどんどん広がり、思いがとまることがないのです。
なかには気づきたくないこともあります。
いやむしろ気づきたくないことのほうが多い時期もありました。
そうした時期には、早く節子のところに行って慰めてもらいたいと思うほどでした。

いくら思い続けても、その思いが実体化することがないのが残念です。
「想念」を実体化してくれる「ソラリス」の世界に行けるのであれば、どんなにうれしいことでしょう。
「ソラリス」では、主人公クリスは亡くなった妻との再会を結局は拒否してしまうのですが、いまの私であれば、再現された節子との世界に埋没してしまうでしょう。
しかし、冷静に考えれば、私のいまの「想念」が創りだす節子と、実在した節子そのものとは別人であり、実体化した節子に埋没してしまうようなことがあれば、それは節子への裏切り行為でしかありません。

想念の実体化などを願うことなく、想念の世界で節子との世界を愉しみ悲しむのが節子への誠実さであることは間違いありません。
今日は、節子への思いを抱きながら、節子と一緒にゆっくりと過ごそうと思います。
しかし、節子の写真の前で、ついつい言葉が出てきてしまいます。
「節子、そろそろ戻ってきてもいいんじゃないの」
3か月たったのに、私はまだ自立できずにいるのです。
これでは節子もなかなか成仏できないかもしれません。
実は、こんな状況を知っているかのように、昨日、福岡の加野さんから電話があり、節子さんはちゃんとあなたの横に居るのだから、気をしっかり持つようにと言われました。
たしかにそんな気もするのですが、まだ未練がましくうろたえ続けているわけです。
困ったものです。

彼岸への1泊2日ツアーなどはないものでしょうか。

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