■節子への挽歌93:家庭の中での私の位置づけにやっと気づきました
節子がいなくなったことで、家族の中における私の位置づけが一変したような気がします。もちろんこれは私の主観的な感じですが。
わが家は4人家族でした。
家族の中心は私たち夫婦、そして未婚の娘たちが同居していました。
娘たちには早く結婚して自宅を出ていってほしいと言い続けていた私たちは、節子の発病で意識が変わりました。実に勝手なものです。節子はとても複雑な気持ちだったと思いますが、娘たちが家にいることに感謝していました。
まあ、このあたりのことは書き過ぎると娘たちからクレームがつくのでやめておきます。
問題は私のことです。
節子がいた頃は、夫婦が家の中心、「主」で、娘たちは「従」、もしくは同居人だったのです。
娘たちにとってこの家は、いわば出て行くまでの臨時の住処だったのです。
極端な表現をすれば、私たち夫婦が「置いてやっていた」と言ってもいいでしょう。
ところが、節子がいなくなったら、こうした関係は逆転してしまいました。
私は主なる位置を追われてしまい、娘たちに養ってもらう存在になってしまったのです。
つまり、出ていく(彼岸に旅立つ)まで置いてもらっている存在は私になってしまったわけです。
娘たちにとっては私が「同居人」です。
もちろんこの家は私名義です。
しかし、私的所有権発想にあまり共感できていない私としてはそんなことは全く意味のないことで、事実関係として「誰が主で誰が従か」が問題です。
現状は明らかに私が「従」なのです。
だからどうしたと言うことでもないですし、従だから虐待されたり軽視されたりしているわけでもありません。
大事にされていますが、事実関係としての位置づけは一変してしまったのです。
しかし、もしかしたら「一変」したのではなく、これが以前からの事実だったのかもしれません。
節子は私の顔をたててくれて、いつも私を主たる座に置いてくれましたが、当時から私は主たる節子の付属物でしかなかったのかもしれません。
いや、そうだったのだと最近ようやく気づきました。
私がいかに節子に依存して生きていたかを、改めて痛感しています。
どうやら娘たちは、そうしたことを前から知っていたようです。
知らなかったのは私だけだったのです。
みなさん方はどうですか。
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