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2007/12/09

■産業の場としての学校と教育の場としての学校

リクルート出身の藤原校長が次々と新しい試みに取り組み、
話題になっている東京都杉並区の区立和田中学校が、
来年1月から、大手進学塾の受験指導の場として、夜の校舎を提供するそうです。
主催するのは、保護者や元PTA、教員志望の学生たちが参加する、
和田中応援団のボランティアグループの「地域本部」です。
今朝の朝日新聞は、その記事を1面のトップに書いています。
塾と学校の連携は各地で広まっていますし、
硬直化した学校制度に新しい風を吹き込むという意味でも、こうした動きを評価したいと思いますが、
どこかに違和感が残ります。

仕掛け人である藤原さんの言葉が、新聞で紹介されています。
「どんなにがんばっても、学校の授業ですべては教えられない」
やはり気になる発言です。
「すべて」とは何なのでしょうか。
こうした発言の背景にあるのは、「量的な役割分担」の発想です。
昨日の説明会で、藤原さんはこうも話したそうです。
「学校の授業についていけない生徒にはむしろ負担になる。無理に参加しないで」
ますます気になります。

要は受験勉強のための塾に行きやすい状況をつくるということ、
と割り切って考えればすべては納得できますが、
そうだとすれば、「学校の授業についていけない生徒」はますます格差をつけられていきかねません。
私には問題の設定が根本的に間違っているような気がします。

放課後の学校を使うのであれば、受験のためにではなく、
むしろ「学校の授業についていけない生徒」のためのプログラムを考えるべきではないかと思いますし、
それこそが「地域本部」に取り組んでもらいたい課題のようにも思います。
そして、一番大切なことは、時代の大きな変化を踏まえて、
改めて「学校」とは何か、「教育」とは何か、を考え直すことではないかと思います。
教育産業の場としての学校と教育の場としての学校とは、似て非なるものです。

「改革」の出発点はビジョンです。
学校とは何なのか。
何のために何を改革するのか。
それを明確にしない「改革」が多すぎます。

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