■節子への挽歌94:私のすべてが節子への贈り物
贈り物の話です。
私は節子に指輪のプレゼントをしたことがないと以前書きましたが、
正確に言えば、一度だけあるのです。
私たちは結婚して一緒に暮らすことを決めた直後、結婚式は挙げずに、
出雲大社の神前で2人だけで誓いを交わそうと決めました。
当時のスタイルとしては、まあ先端的でした。
それが何だといわれそうですが。
型にはまった結婚式は私の性分にはあいませんでした。
結局は後で結婚披露宴をする羽目になったのですが、今日のテーマはそのことではありません。
贈り物がテーマです。
出雲大社には京都から夜行で向かいました。
その列車の出る前に、京都駅前の大丸でダイヤの指輪を買いました。
お金がなかったのでとても小さな指輪しか買えませんでした。
それが私の節子への唯一の贈り物です。
娘たちは、私が妻に贈り物をしないといつも非難していました。
節子は、修はそういうのがだめなのよといつも笑っていました。
しかし、私が節子に贈り物をしなかったわけではないのです。
いや、むしろ誰よりもたくさんの贈り物をしたという自負があるのです。
実は私のすべてが節子への贈り物だったのです。
気障な言い方だと思われるでしょうが、節子はそれをわかっていました。
まあ、節子にはありがた迷惑な贈り物だったかもしれません。
捨てるに捨てられませんから。
ですが、私のすべては節子のものになったのです。
人を愛するとは、そういうことだと私は思っていました。
節子と結婚して、私の生活は一変しました。
もっとも節子は、私よりもやはり指輪や帽子のほうがいいといっていました。
そのたびに私は、好きな指輪を買っていいよ、と言いました。
たまには花束を贈ってほしい、とも言っていました。
私は好きな花束をあげるから買ってきてよ、と節子に頼みました。
そんなわけで、節子は普通の意味でのプレゼントを私からはもらっていないのです。
しかし、私は何でももらえる状況をプレゼントしたわけです。
まあ、「何でも」というのがミソですが、ほしいことがあれば努力するつもりでした。
もちろん「物」はそう考えていませんでした。
物は物でしかないからです。
さて、みなさんはどちらがいいでしょうか。
時々、何か素敵なものをプレゼントしてくれる伴侶がいいか。
かなえられることは何でもかなえてやるよという言葉をくれる伴侶がいいか。
私は後者が絶対にいいと思いますが、節子は前者だったのでしょうか。
今にして思えば、私の考えはちょっとおかしいですかね。
実はプロポーズの仕方も結婚式も、今から思うとやはりちょっとおかしかったかもしれません。
節子がよくついてきてくれたなと思います。
もしかしたらストレスをためていたのかもしれません。
でもそうしたなかで、節子のライフスタイルが育っていった面もあるように思います。
出会った頃の節子は、まじめすぎるほどまじめな人だったですから。
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