■節子への挽歌119:写真の向こうの節子の息吹を感じられるような気がします
節子 今年ももうじき終わりです。
そちらにもカレンダーはあるのでしょうか。
時間はどう流れているのでしょうか。
この頃、あなたの写真を見るだけで涙が出てきます。
どうしたことなのでしょうか。
自分でもわからないのですが、節子の笑顔の写真にこの頃、表情や変化を感じるのです。
写真なのに、その先に生きている節子を感じるのです。
あの世の世界は、私が今生きている三次元の世界ではなく、もっと高次元の世界という話を読んだことがありますが、もしそうだとすれば、この写真の向こうにあなたが生きている世界があるのかもしれません。
それが感じられるようになったからでしょうか、ともかく写真をみると自然に涙がこぼれてきます。
もうまもなく今年も終わろうとしています。
節子がいなくなってから、私にとっての世界は一変しました。
そして、それまで何となく見えてきたことがしっかりと見えてきたように思います。
とても温かな世界も見えてきましたが、とても寂しい世界も見えてきました。
生きるということの、惨めさと悲しさを改めて考えさせられています。
ともすれば厭世的になりがちです。
しかし、それにしてもこれまでの私の生き方は、いかにも寂しく冷たくて、近代的だったかを思い知らされています。
わがままで一人よがりだった。
その生き方が、節子のおかげで、温かなものに見えていただけだったのかもしれません。
節子、あなたも私同様、わがままでしたが、でもとても温かなものを持っていました。
それを思い出しながら、来年はもう少し温かい生き方を私もしようと思っています。
あなたは本当に私にとっての最高の先生でした。
すぐに後追いできないのがとても悲しいです。
あなたが早く迎えに来てくれることを願っています。
早くまた節子に抱きしめられたいです。
そして、抱きしめたいです。
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