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2007/12/09

■節子への挽歌97:節子は歌が好きでした

節子は歌が好きでした。
でもちょっと音痴のところがあったような気がします。本人は認めませんでしたが。
それに高い音がきれいに出ませんでした。
でも歌がとても好きでした。
それで、我孫子の女性コーラスグループの「道」に参加させてもらっていました。
その発表会にはいつも私も聴きに行きました。
しかし、この1年、彼女は病気のために参加できませんでした。
そのグループの発表会が4月にありました。
節子と一緒に聴きに行きました。
久しぶりにみんなに出会えて、よほどうれしかったのでしょう、辛かったはずなのに、私が心配するほど元気そうにみんなと話し合っていました。
そこでいろいろな人にも出会えました。
それがおそらく最後の外出でした。
たくさんの友人たちに囲まれて、コンサートを最後まで聴けてよかったと思いますが、思い出すだけで涙が出てきます。

彼女も歌った発表会を録音したテープやCDがたくさん残されています。
どうしても聴く気になれません。
しかし捨てる気にもなれません。
捨てることも出来ず、見ることも出来ないもの。
そういうものがたくさん残されています。
私もいまのうちに身の回りのものを捨てていこうと思っていますが、なかなかそれも難しいものです。

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