■長崎新幹線と公共交通システム
長崎新幹線問題は興味ある話題です。
ご存知の方も多いと思いますが、九州新幹線西九州(長崎)ルートは、
並行在来線の経営をJRから分離することへの沿線市町の反対で着工できないままになっていました。
整備新幹線の着工には、並行在来線の経営分離に対する沿線自治体の同意という法的規制があったためです。
そこで佐賀県などは反対する沿線自治体に地域振興のための資金支援を働きかけ、同意を求めてきましたが、在来線のJRからの経営分離は、いずれ廃線になりかねないということで同意はえられずにいました。
県からの資金支援にもかかわらず、沿線市町の首長は反対の姿勢を崩さなかったのです。
高齢社会においては、公共交通システムは地域住民には死活問題なのです。
ところが、着工を望む佐賀、長崎両県とJR九州は、JRが在来線を現状通り運行し、赤字が出た場合は両県が補填するという方策を考え出しました。
これで、沿線自治体の同意なしで着工できるようになってしまったのです。
フェアとはいえない、こうしたやり方には憤りを感じます。
小賢しい知恵は社会を駄目にしていくからです。
強気に転じた佐賀県の知事は、これまでの地域支援策の話は白紙に戻すと強気の姿勢に転じてしまいました。手のひらを返したようなテレビでの発言は気分が悪くなるほどです。
この半年の県知事と沿線自治体の市町の関係は逆転してしまったのです。
反対していた自治体の市長が、地方自治の実態はこんなものですとさびしそうに語っていたのが印象的でした。
整備新幹線が必要なのかどうか、私には判断は難しいですが、
長崎に限らず整備新幹線にまつわる問題はいつもどこかで問題の立て方が間違っているような気がしています。
幹線道路建設の話も同じです。
いずれにおいても、公共交通という問題が、生活とどうつながっているのかという根幹の部分に関する考え方が重要です。
交通手段は、私たちが生きていく上でのとても重要な手段です。
そうした生活の視点から、国家全体の公共交通システムをどうグランドデザインしていくか、それが見えてこないのです。
以前どこかで書いた記憶があるのですが(探しましたが見つかりません)、公共交通システムは単なる移動手段ではありません。
その設計の仕方次第で、社会のあり方やみんなの生き方が決まってくるほどの大きな意味を持っています。
文化にも大きな影響を与えます。
公共交通システムと私的交通システムをどう配置するか、またそれぞれの速度やコストをどう規定するかは、社会のあり方、人々の生き方を決めていくのです。
社会の基軸は、いまや経済から生活へと移りつつあります。
産業のための交通システムを早急に整備すべき時代は終わり、生活を支え豊かにしていく生活システムとして考えていくことが必要になってきているように思います。
システムを設計していく起点を住民の生活に置くべき時代になってきています。
それこそが「地方自治」の出発点だろうと思います。
長崎新幹線問題は、さまざまなことを考えさせてくれます。
今日、公共交通の活性化のための予算が30億円追加されたそうですが、
基本設計がしっかりしていないと資金の投入はむしろ生活システムとしての交通を壊しかねないかもしれません
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