■節子への挽歌91:居なくなってしまった節子への贈りものが届きます
節子がいなくなってから、私は今まで以上に怠惰になりました。
年末になると節子はいつもお世話になっていた人たちに手紙を書いたり、お礼をしたりしていました。
しかし、私にはそういう気持ちがなかなか起きてきません。
義理を欠くことになるでしょうが、どうも気持ちが前に進まないのです。
節子に代わって贈る勇気が出てきません。
節子の不在を認めることになるからです。
もう居なくなってしまった節子への贈りものが届きます。
柿やリンゴが届き、ケーキが届き、車えびが届きます。
その一つひとつが節子とどうつながっているかをよく知っているために、届くたびに涙が出ます。
そして、なぜ節子ではなくて、私が受け取らなくてはいけないのかと無念さが込み上げてきます。
送ってきてくださった方々への礼状も出せずにいます。
悲しくて書けないのです。
全くどうしようもないほどの不甲斐なさです。
人間の本質はこうしたところに現れます。
改めて我ながら、その駄目さ加減を思い知らされています。
最近は、罪の意識から敗北感、劣等感、自己嫌悪、失望感、孤立感など、ありとあらゆるマイナス感覚を一身に背負っています。
冬の寒さがそれを増幅させます。
私を温めてくれるはずの節子なしで、この冬を越すことができるでしょうか。
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