■佐世保銃乱射事件を契機にすべての銃器の破棄を考えたらどうでしょうか
佐世保のスポーツクラブでの銃乱射事件は2人の死亡者を出してしまいました。
最近、こうした銃を使った事件がまた増えているようです。
ニュース報道を見ていると銃社会といわれるアメリカに近づいているのではないかと思えるほどです。
いつも思うのですが、なぜこの時代に許可制とはいえ、銃の所有が認められているのでしょうか。
そのこと自体に私は大きな疑問を持っています。
もちろん警察官の銃所有も含めてです。
私の友人に猟友会の人がいます。
その人はとても信頼できる良い人なのですが、彼が猟銃を撃っている姿は想像したくもありません。
そのことを知ってから、彼へのイメージが一変してしまい、距離が出来てしまいました。
猟銃も認めるべきではないと思っています。
野生の動物が増殖しすぎて、被害が出ている時にどうするか、という問題がありますが、銃を使わなくとも解決策はあると思います。
言い換えれば、安直に殺傷する銃手段を認めることが、結局は銃乱射事件を起こし、原爆につながっていくというというのが私の発想です。
社会を形成していく上での基本原理につながっている話です。
ブログでは極めて短絡にしか書けませんが、紙面と時間があれば、論理的につなげられる話です。
銃の許可制度の見直しも進んでいるようですが、問題は簡単で、豊臣秀吉がやったように刀狩をやればいい話です。
つまり銃器類は一切破棄すればいいのです。
その覚悟がなくて、平和などは主張すべきではありません。
人を殺傷したくないのであれば、極めて残念なことではありますが、自らが殺傷されることのリスクは背負うべきでしょう。
その覚悟のもつパワーは、ガンジーが教えてくれています。
それにしても、散弾銃の私的所有が認められていることを知って驚きました。
所有を認めておいて、事件が起きないはずがありません。
事件が適度に起きることが権力維持には効果的ですから、あえてそうしているのかもしれませんが、時代状況や人々の意識は50年まえとは全く変ってきています。
そうした変化を踏まえて、今こそ、社会からまず銃器を廃棄することを考えるべきだと思います。
そうすれば、新しい社会構成原理の発見に気づくはずです。
新しい平和安全体制が見えてくるでしょう。
これは今バリで議論されている地球環境問題にも深く繋がっていきます。
また長くなりそうなので、やめます。はい。
ところで、あなたがもし銃を手に入れたら、撃ちたくなると思いませんか。
私はきっと撃ちたくなります。
その標的の具体的な名前をあげられそうです。
ですから銃を持つことはないでしょう。
| 固定リンク
「社会時評」カテゴリの記事
- ■「仕事とは生きること。お金に換えられなくてもいい」(2024.09.20)
- ■世界がますます見えなくなってきています(2024.06.02)
- ■人間がいなくなった廃墟の中で生きていませんか(2024.05.09)
- ■共同親権が国会で議論されることの意味(2024.04.17)
- ■なぜみんな地域活動が嫌いになるのか(2024.04.04)
「平和時評」カテゴリの記事
- ■「愛国心」(2024.09.25)
- ■「無国籍」の人が日本には2000人ほどいるそうです(2024.08.09)
- ■核のごみという言葉に騙されてはいけません(2024.07.07)
- ■湯島サロン「攻められたらどうするのか? 真の安全保障政策を考える」報告(2024.04.18)
- ■半田滋さんの「台湾侵攻に巻き込まれる日本」をぜひ読んでほしいです(2024.03.08)
コメント